第1話 それは2009年から始まった

一田和樹と申します。これは2019年3月にカクヨムに投稿したものにちょっと手を加えたものです。
あまり有名な小説家ではないですが、毎年3冊から6冊の本を刊行し、あちこちに連載したり寄稿したりしています。収入のほとんどは執筆によるものなので、最近少なくなった専業作家と言ってよいでしょう。小説家を目指すみなさんに、私がデビューした時のことについてお話ししたいと思います。もっとも私が投稿していたのは2009年から2010年にかけてのことなので、どれだけ参考になるかわかりません。

●戦績 投稿期間1年半、投稿回数96回、受賞2回、最終候補6回
私が「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」というやたら長い新人賞を受賞したのは2010年10月。本格的に投稿を開始したのは2009年の年初からでした。1年10カ月かかったわけですが、実は2010年10月の時点ですでにネット小説連載と連載マンガ原作が決まっており、夏くらいには新人賞への応募はもうやめてもいいかなと思っていたので実質的には1年半くらいでした。およそ96回投稿しました。毎日最低20枚、最大70枚、平均50枚(四百字詰原稿用紙換算)で書き続けました。
1年半におよぶ投稿の成果は下記です。2つ受賞し、6つの最終候補になりました。星新一賞だけはちょっと時期がずれます。
小説現代のショートショートコンテストにも7回掲載していただきました。

受賞 島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞
   コバルト短編小説新人賞
最終候補 文學界新人賞、小松左京賞、創元SF短編賞、ダ・ヴィンチ文学賞、ホワイトハート新人賞、星新一賞

●ステータスと投稿方針
投稿を開始した時点の私は小説を高校時代にちょっと書いたくらいでその後はほとんど書いておらず、読書もそれほど熱心ではありませんでした。ほぼゼロからのスタートといってよいでしょう。

方針1 「数撃ちゃ当たる」
誰もなにが売れるかなんてわからないし、作品の善し悪しを決める絶対的な尺度はない。ならば選ばれるのは運。運というと非科学的に聞こえますが、要するに確率です。受賞する確率は決して高くないわけですが、しょせん確率ですから試行回数を増やせばいつかは当たります。

方針2 「分野を限定しない」
短期間に試行回数を増やすためには、分野を限定していては無理です。そこでどんな分野に限らず新人賞に応募することにしました。

方針3 「出版が約束された賞を中心に応募する」
これは職業としての作家を考えていたので当然の選択です。新人賞にはデビューできる(本を出版してもらえる)ものとそうではないものがあります。

方針4 「使い回しをおそれない」
ある賞に応募して落選した作品を改稿して他の賞に送ることをタブー視する人もいるようですが、私はかまわずやりました。もちろん時間があれば新作を書きましたが、無理な場合は改稿して他の賞に出していました。創元SF短編賞、ダ・ヴィンチ文学賞の最終候補になった作品は使い回しで、タイトルも同じです。

方針5 「インプットを極大化する」
原稿を書く=アウトプットを極大化すると同時にインプットも極大化しました。なにしろそんなに読書家ではなかったので、毎日1冊以上は読むようにし、原稿を書きながら映画やテレビドラマを流しっぱなしにしていました。

方針6 「効率的なスケジュールを組む」
原稿書き、推敲、使い回しなどを効率的に行うためには投稿スケジュールを3カ月くらい先まで用意しておく必要があります。まだプロットすらないものもアイデアや最悪タイトルだけでも入れるようにしました。最終候補になった場合、ほとんど場合、最終候補発表号(定期刊行物で発表の場合)の1カ月前には電話が来ます。電話の来るタイミングは過去の受賞者のブログなどからもわかることがあるので、あらかじめ調べておき、電話が来なかったら使い回しできるストックに回すようにしていました。

上記はかなり常軌を逸した作戦で、実行に当たっては当時の奥さんの全面的な協力が不可欠だったことは言うまでもありません。もともと私よりも文才があった彼女が原稿のチェックを引き受け、的確なアドバイスをくれたのは大きな助けになりました。

投稿戦線に関心のある方がいるようなら、さらに詳しい作戦となにが起きたかを書いてみようと思います。

関心を持った方のコメントをお待ちしております。こういう情報を知りたいというリクエストも受け付けます。
邪道とか、チートっぽいとかは重々承知しているので、特にコメントいただかなくて結構です。

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