備忘録 民主主義を3つのレイヤーに分けるとわかる民主主義国の問題

(これは考えていることのメモで、いずれちゃんとまとめます)

実は今まで紹介してきた資料の多くには民主主義そのものの定義がないことが多い。そこで民主主義とは何か整理してみることにした。もちろん、紹介した本の中にはもろに「民主主義とは何か」「デモクラシーとは何か」というタイトルの本もある。しかし、現実の民主主義と比べてるとどうもわかりにくいい。そこで、わかりやすく3つレイヤーに分けて整理してみた。

●民主主義の3つのレイヤー
・レイヤー1

理念や基準、規範であり、ほとんどの人が同意するもの、民主主義といった時にイメージするものである。たとえば民主主義の入門書として知られている『デモクラシーとは何か』(R.A.ダール、岩波書店、2001年5月28日)では、デモクラシーが満たすべき基準として「実質的な参加」、「平等な投票」、「政策とそれに代わる案を理解する可能性」、「アジェンダの最終的調整の実施」、「全成人の包括的参加」をあげている。
何度か触れた3つの民主主義指標は異なる制度を持つ国をまたがる指標化を想定しているので、詳細な制度には立ち入っていない。国を超えて適用可能な概念的な民主主義の枠組みを提示しているので、その内容はレイヤー1に近い。
各指標があげている項目はだいたい似通っている。民主主義指数は「選挙手続と多元性」、「政府の機能」、「政治への参加」、「政治文化」、「市民の自由」を大きな項目にあげており、フリーダムハウスは「政治的権利」と「市民の自由」、V-demは「選挙民主主義」、「自由」、「平等」、「政治参加」、「意思」をあげている。これらについての詳しい内容は別途表としてまとめた。関心ある方はご参照いただきたい。
こうしてみると、表現の違いこそあれ、なんとなくイメージする民主主義に近いものが出ていることがわかる。これがレイヤー1である。

・レイヤー2
理想を現実にするための基本的な枠組みである。当然、国ごとに異なるためバリエーションに富み、レイヤー3の枠組みとなる。憲法がこれに近いが、より概念的である。たとえば現代ではほとんどが代表制をとり、投票によって代表を決めているので、多くの国ではレイヤー2に代表制が含まれることになる。行政、立法、司法の基本的な役割の規定も含まれる。

・レイヤー3
レイヤー2の基本的な枠組みのうえで詳細な制度、法律、行政、司法の仕組みを規定し、運用する。いわば実装レイヤーと言える。議会は一院制あるいは二院政に分かれ、統治や選挙も異なる。たとえばアメリカの場合は大統領制と小選挙区制、イギリスの場合は議院内閣制と小選挙区制となっている。このレイヤーには憲法、法律、運用体制などが含まれる。最終的に現実とすりあわせるものとなるため、常に状況に合わせて更新されなければならない。

こうしてみると、我々がふだん何気なく口にする「民主主義」はレイヤー1の話が多いことがわかる。そしてレイヤー1を公然と否定する国はそれほど多くない(存在はする)。中国やロシアも公然と否定しているわけではない。プーチンだって選挙で選ばれているし、その選挙が公正で平等に行われたとプーチンは主張する(欧米の多くは疑問視しているが)。

だからこそ、どう見てもレイヤー3では問題あるインドもデモクラシー10(D10)や自由で開かれたインド太平洋戦略の一翼を担える。その国がレイヤー1を肯定するなら民主主義的価値観を共有できる仲間にできるという発想だが、それだと中国やロシアも仲間にできるほどゆるい基準になる。「本当の目的が民主主義を守ることではない」場合、対中国であるなら問題がないという発想かもしれない。


●民主主義は常に脆弱である
レイヤー3は常に脆弱である
ことが運命づけられている。なぜならこれらは我々の日常生活から外交までを網羅する広範なものであるため、全てを明文化されたものにするのは困難である。くわえて常に新しい技術、製品、サービスによって領域が拡大あるいはオーバーラップしている。リアルタイムで変化に更新することは現在の立法プロセスでは不可能だ。
アメリカの民主主義の危機を指摘した民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道』(スティーブン・レビツキー、ダニエル・ジブラット、新潮社、2018年9月27日)でも、アメリカの民主主義は法制度ではなく、相互的寛容と自制心という倫理的基盤の「柔らかいガードレール」によって守られていたと記している。そのため倫理的基盤が崩れると崩壊する。同書ではトランプ政権がそうだと指摘している。また海外からの干渉も当然倫理基盤など無視して行われるため障害となる。
また、選挙や言論の自由などを悪用して民主主義体制を毀損させることも容易にある。ほとんどの民主主義国は合法的なプロセスで非民主主義化できる。それはブラジル、ベネズエラ、フィリピン、インドなどの国を見ればわかる。
そして現実問題として民主主義指標で民主主義国家に分類された国でもレイヤー2、3では問題があることは多い。たとえば日本で話題になっている学術会議の件は行政の法解釈や適用といったレイヤー3の運用の問題であり、行政の裁量範囲の拡大と言える。トランプ大統領が任期終了が近づいて関係者の恩赦を乱発しているのも同じ問題である。
さらにおおきな問題なのはレイヤー2、3の民主主義そのもの関する基礎研究にあまり予算も人もかけられていないことである。

●民主主義国においてレイヤー2と3、特に3の優先度は必ずしも高くなかった。
レイヤー2と3で選挙や外交などさしせまった現実の問題や軍事あるいは経済に関しては多額の予算が組まれ、人材も豊富に用意されてきたが、民主主義の根幹に当たる研究には予算も人も充分だったとは思えない。

たとえば根幹をなはずの選挙の方法論についての研究についての関心は低く、選挙そのものの費用や関心の高さとは比べようもない。選挙の方法に関する研究には「社会的選択理論」という分野が存在するが、名前を聞いたことがない人がほとんどだろう。通常の選挙では多数決が当たり前のように用いられるが、そこに合理的な理由がないことも知られていない。慶應義塾大学経済学部教授の坂井豊貴は、「文化的奇習」とまで言っている(「多数決を疑う――社会的選択理論とは何か」、2015年4月22日、岩波書店)。アメリカ大統領選で不正選挙が話題になっているが、それ以前に選挙の方式に問題がある。前掲の民主主義の危機を訴える資料のほぼ全ては公正な選挙の重要性に触れていたが、社会的選択理論に基づく最適な選挙について触れたものはなかった。
これはひとつの例にすぎない。実体としてレイヤー2、3には基本的に関心が薄く、国民から政治家まで時間もコストをかけていない。もちろん、学術会議や香港の問題など関心が高い話題もあるが、それは全体からしたらごく一部でさらに言えば、その時点でわかりやすく感情的反応を得やすいものに限定された対症療法的なものである。
わかりやすく感情的反応を得やすいものばかりになり、民主主義の危機もその範囲で世論には認識されるようになる。対国民という観点では、結果合目的的に、民主主義の危機は、わかりやすく感情的反応を得やすいについて国際世論を喚起するものでしかなくなる
結果合目的的という言葉は数十年前から私が使っている言葉で、意図していなくても結果的にそうなってしまうことを指す。たとえば科学技術の発展において個々の科学者や技術者は意図していなくても、国家予算や企業予算が多く配分される分野に人が多く集まり、同じく予算が豊富な方が設備などが整備され研究が進みやすくなる。それが軍事だった場合、結果合目的的に科学技術は軍事のために発展していると言える。国や企業は研究者になにも強制する必要はない。予算配分を変えるだけで、研究者を目的通り動かすことができる。
同様に、民主主義はレイヤー2と3の研究の予算配分を抑えることで発展を抑制することができる。その代わりに選挙そのものへの投資が増加している(特にアメリカにおいて)ことを合わせて考えると、結果合目的的に合理的な方法論を抑制し、操作可能な選挙を発展させたと言える。民主主義の後退の理由としてアメリカとヨーロッパの民主主義振興が弱まったことをあげている識者は多い。関心と予算が減ればそうなのは当然である。
民主主義の各国でネット世論操作がさかんなのもそのためと言えるだろう。民主主義の危機を訴えるレポートはたくさんあり、ほとんどにはネット世論操作への対策が含まれている。しかし、ネット世論操作に耐性のある選挙方法についての研究は見たことがない。

●レイヤー1の見直しも不十分
レイヤー1の見直しが必要であるという提案はさまざま形でなされてきたが、まだ不十分だ。たとえばアメリカの政治学者ジェイソン・ブレナンの「Against Democracy」(2017年9月27日、ジェイソン・ブレナン、Princeton University Press)や、ブライアン・カプラン(「選挙の経済学」、2009年6月25日、ブライアン・カプラン日経BP)の提示した「有権者は合理的な投票を行わない」という単純かつ破壊力のおおきな指摘に対する有効な対策は見つかっていない。

資本主義はある程度発展すると、民主主義に悪影響を与えることがわかっている。経済格差による政治参加機会が制限されることなどが理由である。格差が拡大すると社会の分断につながり、非民主主義的なポピュリストに人気が集まりやすくなる。資本主義と民主主義のバランスを取るための基礎研究も不可欠だ。

●追記 2020年12月28日
レイヤー2とレイヤー3の具体的な内容を考えていて気がついた。民主主義においてはレイヤー2が希薄なのではないだろうか? 実装レイヤーと理念を結ぶための科学的理論が整備されていない
行政の組織、法制度などは理念を実現するためのものであり、最適な方法論、組織論が科学的に決定できるはずである。社会的選択理論はそのひとつで、意思決定論や統計や行動科学も含まれるだろう。もちろん政治学もそういう学問であるはずだが、民主主義の理念から全体的なシステムを演繹的に解析、設計した、包括的な事例を見たことがない。あったら見てみたい。
これに対して、中国やロシアなどの権威主義国家はすでにハイブリッド戦を想定しているので、レイヤー1からレイヤー3までつながっている有機的に連動させ、迅速に変化に対応するための指導者もいる。
民主主義においてレイヤー2がほとんどなく、そのせいでレイヤー3が「文化的奇習」とまで言われるほどに発展が遅れているのだろう。我々は民主主義の理念には賛同するし、関心も持つ。実装は身近な生活に関わるから関心を持たざるを得ない(全てではない)。
これに対してレイヤー2はどちらでもない。なによりもレイヤー2は経済や軍事に直接影響を与えることがないから誰にとっても優先度は低くなる。仮に誰かがレイヤー2を発展させないと理念を実現することができないと言い出してもあまり関心を持たれないだろう。
しかし、もし民主主義の理念を重要と考えるなら、レイヤー2の充実とそこからレイヤー3を再設計することが不可欠だ。

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