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『ウクライナのサイバー戦争』(松原実穂子、新潮社)はコンパクトに情報が凝縮されていた


最近刊行された『ウクライナのサイバー戦争』(松原実穂子、新潮社)を読んだ。ひとことで言うと、ここまでわかっていることを網羅的に整理して、まとめてあって参考になる。ある程度、ご存じの方でも「これは知らなかった」ということがあると思う。また、確認が取れない情報はオミットしているようなのでその点も助かる。たとえばランサムウェアグループやハクティビストとロシア当局機関との関係についてはあまり書かれていない。
ウクライナやサイバー戦に関心のある方は手に取って読んでみることをおすすめする。


もっと早く読むつもりだったのだが、8月中はとにかくいろんな仕事があってバタバタしていた。今でも余波が残っているものの、なんとか読了できた。

●本書の内容

本書はまず、クリミア併合から最近までのサイバー空間の戦いの流れを3章にわたって紹介している。
次に重要なポイントについて章ごとに解説している。ウクライナの重要インフラ企業、ロシアのサイバー攻撃、世界からの支援のもととなったウクライナの情報発信力、ハクティビストやハッカー集団、ロシアのサイバー人材、台湾有事への影響だ。
ひとつずつ紹介してゆくときりがないのが、幅広い情報を紹介しているので、おそらく誰が読んでも知らなかったことがいくつも出てくると思う。たとえば、ウクライナの重要インフラ企業の現場の話や、ウクライナ国家親衛隊とカリフォルニア州兵の関係、一見あまり成功しているように見えないロシアのサイバー攻撃についても異なる見方の可能性を示すなどしている。

最後に台湾有事との関わりについても整理しているのも、昨今の情勢を考えると参考になる。

●感想

全体としてていねいに調べてまとめられており、おすすめできるよい本だと思う。告知を見て、認知戦について、もっと多くが書かれているような気がしたのだが、そこはほとんどなかった。
また、現在進行形の戦闘ということもあり、いくつか関係者の意見などを紹介するに留めて、著者の判断や意見をあまり出してないことももったいない気がした。

個別に考えたことをあげてみる。これらはあくまで私の備忘録なので、本書と直接関係ないことも含まれている。

・明らかに欲張りな要望だが、ウクライナのサイバー戦についての全体像、ロシアのサイバー戦の全体像がわかるような整理がほしいと思ってしまった。日本以外の国ではサイバー部隊はいわゆるサイバー攻撃とデジタル影響工作の両方を担当している。その作戦の全貌を整理したものがあるとうれしいのだけど、それはまだ難しいのだろう。

・ウクライナ、ロシア、ウクライナ支援国の民間企業の活動と態勢についても事例だけではなく、体系的な整理が必要な気がした。しばらく前から国際政治学者のイアン・ブレマーがテクノ・パーラーとしきりに言っているように、ビッグテックの影響力の増大はすさまじい。ウクライナでも通信やサイバーセキュリティでアメリカのビッグテックが支援している。しかし、彼らは彼らの意思で止めることも続けることもできる。この問題は今後のサイバー戦におけるきわめて重要な課題になると思う。
グーグルが繰り返し、中国に検閲機能付きの検索エンジンを提供しようとしていた事件はビッグテックはどちらの側にでも立つし、双方を支援して売上を上すことすら厭わないという懸念を生む。
アメリカの国家サイバー戦略には民間企業を柱にする旨の記述があるが、その柱は敵国のトロイの木馬となる危険性を含んでいる。

・個人的にウクライナ国内の監視システムの現状をすごく知りたいと思っていたので、そこはほしかった。

・ランサムウェアの攻撃が2022年に減少し、2023年に増えたのはこの時期に関係する理由があるわけではないかもしれない。一時的に減少し、そのあと増加するという過去のランサムウェアのパターンを繰り返しているだけかもしれない。

【2023年9月12日追記】アメリカにおける情報共有に関して、情報にアクセスできる人間が増えたことが原因で、2023年3月の情報漏洩が起きたことにも触れてよかったと思う。この漏洩文書ではウクライナに関するものも含まれていた。

・台湾有事に関する箇所では、いくつか気になった。「有事の可能性は常にあるが、現在の中国にとって優先度の高いオプションではない」という意見はさまざまなメディアやレポートでよく見受けるのだが、本書では台湾有事が近づいているという意見を中心に紹介しているので、(著者はこの件ついて意見を言っていないにもかかわらず)台湾有事が近いように感じる読者もいそうである。
また、海底ケーブルの切断や軍事演習など一連の中国の行動は、有事の際に備えてレッドラインを押し上げておくことが目的であり、それ自身は有事が近いことを意味しないという解釈もある。有事の可能性を繰り返し想起させることは中国にとって悪いことではない。

【2023年9月12日追記】ウクライナと台湾よりも、日本とポーランドの方が似ていると思うので、そちらにも触れてほしかった。

・日本の情報発信力に課題が多いことはご指摘の通りで、大きな課題と言えそうだ。日本のサイバー能力についても技術などの問題以前にコミュニケーションの問題も大きい。サイバーセキュリティ関連の用語の定義について調査したNATO CCDCOEのレポートでは、日本は関係国中もっとも用語の定義を持たない国だった。多角的に日本のサイバー能力を評価したレポートがほしい。NCPIはその候補だけど、あれの最新版だと日本はかなり弱い。

読んでいると、いろいろ頭に浮かんできて、とても参考になり、刺激にもなった。

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