わたしたちがしていることは 全て"ハンドメイド"に帰結されるのか 【不器用な寂寥と暈し染め】


人生は消耗される、常に。

ここで生きているわたしはここからまた、先へ落ちる。腐った果物を手で握りつぶした感触を、あなたならどう表現するだろうか。自分の部屋に現れた小さな虫を、殺さずに窓から逃がすその行為に酔ってはいないだろうか。生活で試されているわたしたちが、大衆の目に直接的に触れることなどない。ただそれでも根底にある濃い黒を溶かすのに必死なのである。

約束した覚えはない。
ただ、後ろから崖が迫ってくるような幻想に日々怯えている。けれどそれはひとたび何かを怠れば、簡単に現実の襞を見せ始める。
そもそも、あなたのことはわからないがわたしは日々"何か"を怠っている。そうして人は元にあった影を自分で無意識に削り取っている。いち早くその削り方を覚えた人、そしてその魅せ方を醜く覚えたあなたが紛れもなく勝ちだったのである。


人は孤独だった。
孤独の言い訳をするために仲間と手を繋ぎ、肩を組み、どうしようもない嘘をつき続ける。会話に混ざり切れない人間は現実で淘汰され、悲しくもないくらい取り残されてしまう。

欲は破壊される。
「誰だって必死に生きている。」
そんなはずはない。
大抵の人間は必死に生きてなどいなかった。"何か"を怠る理由だけを必死に考えているだけの案山子だったのだ。

自分が生きるためにどこかで人の腕を切り落とさなければいけない場面はある。それは一度や二度ではない。日々この瞬間。どこかで手を繋いでいた誰かを侮蔑し、自分がより勝ちに行くために這い上がるのである。


以下。
今日のこれは全てわたしが気持ちよくなるための言葉と文章である。それを理由にまた同じくして醜く文章を書き連ねるのである。

少し今日の文章は冗長になってしまったかもしれない。ただ簡潔に綺麗に纏めたり、二回に分けるとわたしの場合感情が分散したり溢してしまう気がして。それも含めて許されていたい。時間があるとき、少しずつわたしの"これ"に付き合ってくれたら幸いです。



ハンドメイド展示交流会と寂寥


8月25日。
その日、わたしは朽ちていた。
背伸びをしたつもりが、骨をひとつ抜き取られていたようだ。いつもより少し高級な煙草を吸う。そんな行為も今となっては意味を見出せずにいた。

朝焼けを全身に浴びる。
これから先の自分が、どうにもならないことを教えてくれているようだった。


その日わたしはとあるnoteの非公式イベントに参加することを決めていた。

本当に簡潔にまとめると

「ハンドメイド作家さんたちと会って話せて作品も見れるイベント」


それは良い意味でそれ以上でもそれ以下でもない。参加人数は20名ほどで。参加者は全員noteをやっている人、またはそれに関係する方達で構成されていた。参加されていた方はわたしとは違う 背伸びを見せすぎない姿勢で、醜さの影が映ることはなかった。それか若しくはそれを隠すのが上手い人もいたのかもしれない。



原口あゆみさんKojiさん

初めはもう包み隠さず言えばこのお二人に会いに行きたかった。兎に角お二人の作品に向かう表情をこの目で見てみたかったのだ。

先に言ってしまうと イベント後にあった懇親会からわたしはお二人から話を聞きたくて、聞いてもらいたくて独占してしまっていたかもしれない。そうなっていることがその場でわかっていてもわたしはその欲に抗うことが出来なかった。


イベントの会場はとある建物の4階のスペースであった。最寄りの四谷三丁目駅にわたしは降り立つ。どこを歩いても同じような景色。初めて降りた場所というのは新鮮さが際立つものかもしれない。けれどわたしにとってその日その場所はnoteのイベントのことで頭がいっぱいで。いつもだったら好きな喫茶店を探したり、雲に乗った気分で散歩をしたくなる。しかし、もうひたすらにわたしは会場に向かうことだけを考え続けていた。


一歩道を外れれば四谷は住宅で埋め尽くされていた。会場の場所も、イベントが無ければその向かう道を歩いている理由を他人に説明出来ないような雰囲気であった。

結局わたしはいい大人だというのに似た色の住宅の渦に飲み込まれる。朝焼けとは違う、灼熱の太陽に照らされながら15分ほど会場の周りを彷徨っていた。

それでもなんとか辿り着くことに成功する。
恐らく正規のルートではないところから気紛れのようにわたしは到着した。



わたしがnoteを始めたのは今年の1月1日で。
けれどTwitterはもう何年も続けている。ネットの人に会ったことは其れ相応にあって。ただそれは殆ど一対一で会うか、多くても三人で集まるくらいしか経験をしたことがなかった。わたしは自分で言うのもおかしいかもしれないが、現実ではかなり内向的な性格である。それでもネットの人に会うことにそこまで抵抗はない。勿論何年もTwitterをしていて、会ったら危険な人を事前に判断する力があると自負しているところも後押ししているのは大きかった。


到着し、会場のある4階の辺りをわたしは見上げる。

するとわたしの心臓が突然動き出した気がした。馬鹿なことを言っているのは承知の上だった。心臓は常に動いている。それなのに"今"臓器が動き出した気がしたのだ。突如として現れたわたしの身体の中の猛獣が、動きを収めてくれない。暑さのせいではなかった。頭の中から直接吹き出ることを実感させるほどにわたしは汗を滝のようにかいたのである。


イベント開始は13時30分からだった。

わたしが会場の下で心臓と遊び始めたのが確か13時40分くらい。この場で留まっていたら、続々と後ろから参加者が"来てしまう"と意味の分からない怯えを感じていた。いずれにしろ会場で会うことになるのはわかっているのに、なんてことないこの住宅街の隅で"いちとせしをり"を見られるのは現実で全裸を見られるくらいにわたしは恥ずかしかったのだ。

先に進むのも、引き返すのも。
どちらの選択も不安定にぶら下げる。
わたしは嘘みたいに下手くそな深呼吸をしながら4階の会場へ繋がる階段を上り始める。


すると微かに上から話し声が聞こえてきた。
「ああ、人がいる。」
と、わたしはまた意味の分からない怯えと共に一段一段確かめるように階段を上った。

そして4階に到着し、そこのベランダで待っていてくれたのはおまゆさんとその旦那さんであった。

おまゆさんは天真爛漫な笑顔で、如何しようも無いわたしを迎え入れてくれた。顔の筋肉がわたしよりも何百、何千という単位で動いている気さえした。透き通るように明るく眩しく、けれど目を瞑りたくなる光ではなかった。肉眼を撫でてくれるような可愛さにわたしはその時心を預けきっていた。隣にいた旦那さんは凛々しく逞しい表情をしていて。わたしのことなんて掠りもしない日常を生きているはずなのに、おまゆさんと同じく、それ以上にわたしのことを見てくれた気がした。


わたしはそこで用意してくださったネームプレートと「Thank you」と書かれたカードを頂いた。ネームプレートの裏にはわたしに向けた言葉も書かれていた。

参加の申し込みをしているのだから、わたしが来ることは運営の方達はわかってくださっていると。そのことがわかっていても"わたしが用意されている"ことにただただ頭を下げることしか出来なかった。そしてこういったことが出来る人をわたしはきっと羨んでいる。


扉を開けると、近くであゆみさんが忙しなく動いていた。わたしとは違って、SNSのアイコンで顔出しもしていたのですぐにわかった。かわってわたしは顔出しなど微塵もしていない。女の子の皮を被った悍ましい人間である。けれどわたしのネームプレートを見てあゆみさんが朗らかになってくださったのは今も鮮明に覚えている。


そこにはもうすでに準備を整えた香嶌一伽さんとお母様。

そしてmoonさんはるさんが出迎えてくれた。

さらに奥へ進むと、Kojiさんがわたしの眼底をくらますほどに偽りのない愛嬌を見せてくれた。そこでわたしはもうただ自分の名前を名乗る機械と化す。そして女の子ではないわたしがいつも盾のようにしている"女の子"を皆さんが綺麗に剥がしてくれているようだった。


もうその時自分が話していたことはあまり覚えていない。空気になることを望みつつも、ここに存在し続けたいという矛盾を噛み締めながらわたしは胃をふやかしていた。

そんなわたしの姿を見兼ねてか、慈愛に満ちた表情のあゆみさんが椅子を出してくれた。わたしは目立ちすぎず、目立たなすぎず、かといって邪魔にもなりづらい考えうる最高の場所に椅子を用意してくれた。その椅子にわたしは何度も助けられることをその時まだ知らなかった。


わたしはその椅子に座り、心臓とまだひたすらに戦っていた。吹き出る汗を悟られないように必死だった。急いで汗拭きシートを取り出し、もう呼吸をしているので精一杯だった。


「言葉で会いに行く。」

わたしがいつも心に持っている言葉だった。なんて事を言っていたんだわたしはと、その時何度も繰り返し思ってしまった。それもそのはず、わたしは碌に人の目を見て話すことも出来なければ、まともに辻褄のあった言葉をのせることすらそこで出来ずにいた。そんな事を言っていた自分に為す術もなく崩れかけていた。


すると、はるさんがふと声をかけてくださった。

「何か飲みますか?」

わたしは人に優しくしてもらうことに慣れていない。この無像な自分に水滴を与えてくださるはるさんが言い過ぎではなく神様のようだった。

そして準備されていた飲み物、どれを飲みたいか聞かれ、わたしはオレンジジュースを選択した。もうその飲み物を選択する場面ですらわたしは何か人間を試されているのではないかと混乱して自我を失いそうになる。

その飲み物たちは皆さんにのちに紙コップに入れられ配られることとなる。ただその紙コップには他の人と混ざらないようそれぞれの方の名前を、はるさんやおまゆさんが書いてくださった。


それだけのことに何を、と思うかもしれないが。はるさんはわたしの紙コップに"しをりちゃん"と書いてくださったのだ。

わたしは女の子でも、子どもでもない。わたしがそれをお願いしたわけでもない。大人すぎるほどにわたしの顔は大人であるはずなのに、わたしはその"しをりちゃん"に救われるほどに涙が溢れそうになる。

そんななんてことない紙コップだったはずのものに生命を感じ、わたしはまたあゆみさんが用意してくださった椅子に座る。



続々と参加者の方で溢れる会場。
わたしは"言葉で会いに行く"などと抜かしつつ、ただ「吐きそう」と本当か嘘か人を心配させるような言葉を落とし続けていた。

そんなわたしのことを見てくださったのは、千羽はるさんピロリさん、そしてよもぎさんだった。もう震えて立っている事すら出来ないわたしに話しかけてくださり、心落ち着く時間を頂いた。暴れ続ける心臓の鼓動が収まり始めたのはこの三人の方と話をしていた何を隠そうこの時だった。


お三方はわたしのnoteを見てくださっていることを何より教えてくれた。わたしは本当に欲に塗れた人間であると思う。現実では内向的なふりをしながら、ネット上では自分の言葉や文章を読まれたくて堪らない。そうだったはずなのに、いざ読んでくださっている人を目の前にすると、これほどに現実で感動してしまうのかと。清らかな水にわたしの汚れた心をさっと通してくれたような、そんな感覚だった。


そしてわたしは千羽はるさんの助けをお借りしてイベントの何よりの大元である「ハンドメイド × 創作文芸」で一冊の本を作ろう!という企画。その小冊子を作ることを達成することが出来た。

その小冊子を作るスペースはもう当然に人で溢れかえっていた。それはKojiさんのいた部屋に用意されており、それを作るためにはホチキスで用紙を止める必要があった。ただそれだけの簡単な行為を、わたしは人で溢れていたその空間に飛び込み、行う勇気がなかった。

それでも千羽はるさんが横について来てくださったおかげでその偉業を達成出来たのである。わたしは簡単な行為をどうにも大袈裟に書いてしまう癖があるようだ。それでも人がそこにいてくれるというのは大人になっても安心するものなのだと改めてそこで実感するのである。



そして時はあっと言う間に過ぎ去り、時刻は16時30分。イベントは終了した。会場に入った瞬間は正直、一分一秒が途轍もなく長く感じた。けれど心臓が落ち着いてからは、本当に全てが一瞬だった。下らないはずのわたしの日常、無益に過ごすことしか出来なかった"時間"を。その日は何より渇望してしまった。

イベントは終了した。けれど当然会場は借りている場所である。17時には完全に撤収しなければならない。そこで皆さんが機敏なままに協力し合って片付けている姿がその場にいながらも潤しかった。

わたしも作家さんたちの片付けを少しでも手伝おうと思い、あゆみさんのスペースにわたしは駆け寄った。するとあゆみさんは片付けの手を一旦止め、わたしにひとつのブレスレットを唐突に渡してくださった。


「しをりさん、これいいと思うんですけど。」

わたしの腕に包み込むようにそれをつけてくださった。わたしはこの日、あゆみさんの作品とKojiさんの作品は必ず買うと決め込んでおり、財布には生々しいほどに現金を詰め込んできていた。

その機会をわたしはなかなかイベント時間中につくることが出来ずにいた。そしてあゆみさん自身がわたしに似合うブレスレットを決めてくれていたことに驚き、わたしはまた気持ちが溢れそうになる。


ただそのブレスレットはわたしには少し緩かった。

貧相なわたしの身体にある手首は、自分で言うのも少し躊躇いがあるが物凄く細い。それでもその時わたしは、そのブレスレットに心を完全に渡しきっていた。予想よりも細いわたしの手首にあゆみさんは焦っており、それよりも小さいブレスレットをすぐに選んでくださった。
その小さなブレスレットが良くなかったわけなど有りようもなかったが、わたしは最初にあゆみさんが付けてくださった緩いブレスレット以外のものを考えることが出来なくなっていた。


「わたし、でもこっちの緩い方がいいです。」

そう我儘な赤子のようにわたしは言葉をあゆみさんに伝えた。ただ忘れてはいけないのだけれど、ここまでのやり取りは全て片付けの途中である。それでもあゆみさんはわたしのことを必死に考えてくださり。少しサイズに悔いるような表情を浮かべながらも、わたしの気持ちを尊重してくださった。

そしてわたしがブレスレットを選んでいたのもあり、あゆみさんの片付けはギリギリになってしまった。本当に申し訳ない。それでもわたしはひとつ、noteをしていてよかったと。そのブレスレットをまだ沈みかけてもいない太陽に翳しながら身体を高ぶらせていた。



時刻は17時。
わたしたちはあゆみさんの言葉を受け、今日この場を作ってくださったことにわたし含め皆さんが感謝していたと思う。閑静な住宅街の中に、わたしたちの色がそこに染まった瞬間であった。

そしてわたしたちはそのまま懇親会に移ることとなる。どうしても予定や家族のこともあり、そこで解散となってしまった方たちもいて。必ずやnote、そしてどこかでまた色濃く話が出来たらとわたしは願っていた。



懇親会のお店まで歩く。
その時間はどこか忘れていた青春を思い起こすような時間だった。人それぞれ歩く速度は違い、散らばりそうになりながらもわたしたちは共に歩き、時を有意義に過ごしていたように思う。

お店に到着し、わたしたちはまたひっそりと話を始める。わたしが言ってしまうのも変ではあるが、体育会系の飲み会には染まりづらいわたしたちは、わたしたちなりの温度で楽しめていたと思う。

そしてわたしはここで、心に付いて剥がれない。ひとりの人のことについて語らせてほしい。それはイベントと懇親会、どちらも参加していた文豪りんごさんのことだ。



文豪りんごさん。

この方の書く小説はしなやかで、そして美しく。それでいて新しいことを読者に伝えてくださるような、そんな小説を書かれている印象がわたしにはあった。

その印象は必要なものであったか、そうでなかったかはわたしにはわからない。けれど何よりnote内で形成されているイメージと、顔を合わせた時のイメージの乖離が他の誰よりもあったのはこの方だったように思える。
それは勿論良くないことでは全くない。それでも懇親会の空気を間違いなく支えてくださり。内気なわたしたちを盛り上げ、ユーモアを持って分け隔て無く接してくださったのはこの方だった。


恐らくというか確実に、わたし以外の参加者の方も似た感情を抱いていただろう。りんごさんが面白い場面はいくつもあったけれど、それを一文字一文字起こしてその場にいなかった方に伝えようとしても、100パーセント"ユーモアの空気"が伝わることはないだろう。

ただわたしもその場にいた時に言ってしまったのだけれど、あそこまでに底抜けに明るいりんごさんがいて。もうしなやかで美しいりんごさんの小説が上手く読めそうにないと思ってしまった。けれどそう思い、言ってしまったことをわたしは今とても後悔している。それは、内に秘めていたりんごさんの心がのちに綺麗に見えたからである。懇親会の後、また静かに二次会を行ったのだが、そこで語る姿、そしてわたしの話を真剣に聞いてくださったその優しさに、本当の"芯"を感じたのである。



「ブランディング失敗した。」

と小説のイメージとの違いを自身で認識し、陽気にりんごさんは懇親会で話をしていたし、わたし含め周りの方々をそれで楽しい気分に浸らせてくれたと思う。それでもわたしの中で確かに小説に向き合うりんごさんは心に残っている。

こんな真面目に語られることをりんごさんは望んでいないかもしれない。けれどきっとわたしは面白くない人間なのです。それを許してください。もっとあなたの小説を読んでからお会いしたかったとまた違う後悔をしていることも事実です。

わたしみたいな身分で恐縮であり、そして微力ながらわたしのnoteを読んで少しでも文豪りんごさんのことに興味を持ってくださった方は、りんごさんの小説を読みにいくことをお薦め致します。そして強いお酒を飲みながらふたりで話をする機会が何処かであればとわたしはいま切に願っています。



懇親会は本当に心地の良い時間だった。
noteについての話も沢山出来た。何より食事をしながらも言葉を交わすことが出来た圧倒的なまでの事実がわたしは嬉しかった。


そして懇親会もあっという間に終了する。
しかしそこでわたしはひとつの目的がまだ果たせずにいた。


それはKojiさんの作品を手に取り、購入することであった。

わたしはイベント中、緊張して何も出来ない時間もあり、そして他の方との楽しい時間も相まってKojiさんの展示スペースに中々立ち入ることが出来なかったのだ。

わたしはウブな学生のような所作でKojiさんに詰め寄り唾を思いっきり飲み込む。Kojiさんが少し遠くに住んでいることを知っていたにもかかわらずまたわたしは自分の欲に負け、許されるのであればKojiさんの作品を見る時間をくださいとそこで頼み込んだ。

するとKojiさんは嫌な顔ひとつせず快諾してくださった。本心はわからなかったけれど、もうそれは知らなかったことにさせてほしい。そしてわたしたちは時間が許す人たちでまた二次会を行ったのである。



場所は近くのファミレスだった。
もうそれが十分すぎるほどに心地よかった。二次会の人数は九人であり、中々にファミレスでいっぺんに入るのは難しい人数であったと思う。それなのにそこにはテーブルがちょうど大きく空いており、わたしたちは運とタイミングも持ち合わせていたことに有り難さを感じた。


ファミレスは瞬く間に展示会へと変貌する。
落ち着いてKojiさんの作品を手に取れるその時間は幸せそのものだった。そして何よりそこで皆さんのnoteに対する思いや創作に向かう姿勢。言葉や文章、そして作品で生きていくための話を色濃く出来た時間は、わたしにとってかけがえのないものだった。


わたしは二次会の時、喋りすぎなほど自分の話をしてしまっていたと思う。話をしながら「もうお前の話はしなくていい。」ともうひとりの自分が叫んでいたが、どうにもわたしのブレーキは壊れていた。言葉を書き続ける意味と、それが認められない当たり前のようにそこにいる地獄。わたしたちに与えられている時間は有限ではない。努力という言葉で前に本当は進みたくない。この場所は譲らないという、そして掴み取ったその"世界"もわたしは不器用に守っていきたい。



わたしは言葉や文章を書いて生きていきたいと思っている。

それを聞いて笑う人がほとんどだと思う。
生半可なことでそれは叶わない。
それでもわたしは目指したいと今日も思っている。日々紆余曲折しながらも、一歩とは言えず半歩ずつでも前進しているわたしは醜く欲に溺れている。どうしたらそれで生きていけるのかあらゆるものを試し、失敗し。そして苦悩を吐き出し、それでもまた生きることを決めている。


その日そんな話を聞いてくださった方々に、わたしは本当に感謝している。けれど感謝しているだけではいけないとも思う。わたしは血で染め上げるように しかと書き続けるのである。

暈す(ぼかす)だけの人生ではいけないだろう。
それでも濃く人生を生きる瞬間もあれば、濃く生きたからこそ淡くなれる瞬間もあるのではないか。

生命を溢すように「幸せだな」と思うわたしたちは、誰よりも淋しさに耐え抜いてきたはずだ。


これから先の道なんて見えない。
見えないからこそ価値があると、詰まらない綺麗事に今日も許されていたい。

その日わたしは家に帰り。
すぐにカバンから取り出す。
皆さんの生命が入った小冊子、あゆみさんの作品とKojiさんの作品。一伽さんからいただいた作品、おまゆさんが渡してくださったお菓子。それら全てをわたしは昔1500円で買ったテーブルの上に広げ、溜め息をついた。

その溜め息は謝意のものだった。時間を包み、これ以上ないくらいわたしはその夜深く深く眠ることが出来た。



以上。およそ一万文字。
ここまでの分量をnoteで一回に書くことはなかった。わたしは日々文字数に恐れを持っている。人のせいにしてしまう弱さがこびり付いて離れない。熱量と時間を持って出来たもの。言葉や文章、そしてハンドメイド作品でもそうだろう。その評価がそぐわない時は当然にある。

だからこそわたしは日々のnoteで長くとも4000字ほどで収め、2000字から3000字をおおよそ蠢いている。

それは拙い保険みたいなもので。読まれたときの衝撃は心地よい、ただ読まれなかったときの衝撃は自身を壊してしまうほどに痛烈だった。
それでも心が今日は確実に付いてきた気がした。それは何故か、イベントに参加した人はわたしのこのnoteを読んでくれると信じているからだ。無論、それはわたしのお得意の我儘だ。ただイベントに限る話ではない。言葉や作品で生きていく以上、人がそこにいてくれるという安心感は自分で作り上げていくしかない。


誤字脱字はいつも以上に多いだろう。ただそれも熱量で誤魔化していきたい。

わたしたちはこうして死ぬほどハンドメイドをしている。だから読んでいるあなたにも死ぬほど付いてきてほしいのです。


また言葉で"愛"に行きます。
そして、"愛"に来てください。

わたしは明日もここにいます。
纏まりもなく、締め上げてしまった。
ただ比喩や小手先ではなく。
最後だけはこう残したい。

本当に、本当にありがとうございました。


書き続ける勇気になっています。