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タトゥーが入ったコック長と

高校生から専門学生になるまで、私はホテルの厨房でアルバイトをしていた。

ホテルは観光地ど真ん中。閑静な並木の途中にある、真っ白な外壁と緑の対比が美しい「非日常感」を売りにしたリゾートホテルだ。
一人当たりの宿泊料金は2万円で、広い部屋には天蓋付きのベット。大浴場は天然温泉で、夜はバーで好きなお酒と共に夜鳴きそばを楽しめる。

ディナーはジャパニーズフレンチのフルコース。
季節によってメニューが一新される。観光地ということで、近くの港で採れた新鮮な刺身だったり、名産の野菜などが「本日のお品書き」が印字された和紙を添えて振る舞われる。

初めに言うと、本当に良いアルバイト経験をさせてもらった。
空白期間を含め約3年ほど勤めていたが、その時の話をさせてほしい。

題字の「刺青のコック長」については文章の最後の方を中心に書いている。
ぜひ前後の文章に合わせてコック長のことを知ってほしい。

若い人ほど厨房アルバイトを

当時私は18歳ぐらい。実家住まいで、食べることは好きだったが料理は気が向いた時ぐらいしか作ることはなかった。
アルバイトスキルで言うと、皿洗いと提供、ドリンク提供や接客対応ができる程度。居酒屋に勤めていたこともあり、食材に触れる経験は少しある程度だった。
その私が、真っ白なコック服と高さのあるコック帽をかぶって勤め始めた。

その状態で厨房アルバイトをしたことは人生において本当に正解だったと思うし、自分のスキルになるいい時間だった。

後でまた出てくるが、厨房のコック長は大変面倒見の良い人だった。
地方ゆえ、人材不足という面もあるがこんな高校生アルバイトを「育てよう」という意識がひしひしと伝わってきた。

例えば「包丁の構え方」「包丁の持ち方、切り方」。
左足を前にして、左肩が前にくるように包丁が水平にくるように構える。ノコギリのようにギコギコ擦るのではなく、押し潰さず滑らすように。
重心がずれていて姿勢が悪いだけでも、厨房の離れたところから注意の声が飛んでくる。いつもチェックしているのだ。

誰もが「家庭的な調理方法」を親に教わったり、一人暮らしを始めてから試行錯誤しながら料理経験を積んでゆくと思うが、「プロが正解だと思う調理方法」を学べたのはあまりにも大きいと思う。それが絶対的ではないにしろ。

料理に対しての苦手意識が減る

適性もあるかもしれないが、家庭料理のハードルをグッと下げてくれたのもこのアルバイト経験だった。

宿泊客が食べ終わったお皿がウェイトレスの手によって下げられてくる時、私は洗浄機の前で洗浄対応をしている。
飲食業をしたことがある方なら分かってもらえると思うが、洗浄機対応は「キッチンなら誰でもできる作業」だ。
私は他のコックと違い、フライパンを持ったり調味をする技術を持っていないので、かなりの時間洗浄機対応をしている。

朝ご飯の時間帯は3時間ぶっ続け。
ディナーは提供時間の枠内で、仕込みをしながら提供しながら、隙を見て怒涛の速さで洗浄機にかける。

あまりにも大量の皿を長期間対応していると、自宅での皿洗いなんてちっぽけな量に感じてしまう。
(それでも自宅にいる時サボらず洗っているかと言ったらそうではないが!)
料理をする人にとって、ポケモンのゲームで言うと「経験値」を簡単に上げさせてくれるのが、キッチンアルバイトかもしれない。

美しい盛り方を知る

仕込みや盛り付け作業も、かなり関わらせてもらえた。
刺身や飾り野菜など、料理の味と見栄えに大きく関わってくるものはもちろん板前やコック長、コック補佐などが扱っていた。
それでも、形が重要視されないものを切ったり、デザートを作ったり、前菜を作ったり、料理を美しく盛る作業は行え相当な経験量を積めた。

ディナーに向けての準備だったら、昼前から夕方前まで仕込みがある。

その段階でやることがかなりあるが、事前に盛り付ける作業は結構な時間を費やした。提供直前に皿に直接盛るのではなく、オーダーが入ったらポンと皿の中心に乗せて飾り付けができるように、人数分を仮で盛り付けて冷蔵保存をするのだ。それも、ストック分を含めて50人前近くは作るので集中力を要する。

だが、箸やゴム手袋をした左手を使い、美しく盛る作業は「高級料理の盛り付け方の正解」を学べる良い機会だった。
なにしろ私は細かな作業が向いているようで、楽しかった。

コック長の見本や、経験の長いコック達の見本を見ながら進めるので徐々に「これが綺麗と思える盛り付けなんだな」という感覚が身に付く。
料理は感覚がメインに思う。味付けも盛り付けも、コック長の方針で分量を感覚的に覚えさせられた。
その感覚というのは、センスとでもいうのだろうか。
人生で長年いろいろな飲食店で飲食をしたり、家庭でさまざまな料理を作りながら探っていくものだと思うが、若い段階で毎日のように正解を見て経験を得られるのは貴重な財産のように思う。

時間配分の重要さを知る

コック時代の私の具体的な1日のスケジュールをまず書こうと思う。

07:30-10:30  朝食で使用された皿の洗浄(3h)
10:30-12:30   午前中に終えておきたい仕込み(2h)
12:30-13:30  まかないを食べ休憩(1h)
13:30-16:30  仕込みと仮盛り付け(3h)
16:30-21:30  ディナー提供、皿の洗浄(3h)

シフトによってこの通り12時間働いたり、午前のみ、など様々だったのは最初に言いたい。
板前はAM5:00からいるし、最終までいる人はPM23:00も当たり前だったのでアルバイトの私は10-12時間勤務は厨房にしては珍しいことではなかった。(やりがいがあったからこそ出来たことだけれども)

注目してほしいのは、仕込み時間が2h+3hの5時間しかないこと。
その5時間のうちに、私が任されているディナーに必要な全てのものを揃えなければ営業できない。責任重大だった。

調理をしている上の立場の人たちを除いて、私のような仕込みができる立場の人は基本1人か2人だった。
ディナー提供開始という時間制限がある中でタスクをこなしていくのは緊張感があった。もちろん前後の日付の担当者で調整していったり、現実的にこなせる量に調整されているが、例えばプリンのことを完全に忘れていてディナーのデザートの時間になってから「プリン加熱してません!」だなんて決してあってはならない。

リストアップをして、時間配分を考えながらこなしていく。
日常的には、学生でいう大学受験の勉強や、家事や予定の兼ね合いでスケジュールを決めてゆくなど、様々なタイミングで発生していく経験ではあると思う。
けれど、これをこなしてゆく力を短期的に得られたのは厨房のコック経験のおかげだと思う。

私はデザイナーで勤めているが、現在の仕事の中でも時間配分は何より大切だ。納期に合わせて計画的にコツコツと積み上げていく。
時間感覚に弱い私だ。キッチン経験がなかったら今まで何度も破綻していたかもしれない。

10代で見る大人の人間関係

人間関係はとても面白いなと思う。
長く勤められるぐらい自分に合った職場だったから、面白かったなという感想をもてるのだろう。けれど、ホテル管理人から私という末端のアルバイトまで人間関係を持てたことで、文字通りの社会経験となった。

規模で言うと、グループ企業のホテル事業の1つ。
本社から来た社員が地方であるここのホテルに常駐し、管理部とウェイトレス、キッチン、清掃と部署が分かれていて、1日で出勤する人数は20人も満たないぐらいの小さなホテル規模だと思われる。

人数が集まるとどうしても不協和音が発生する。実際私のいたホテルも不倫も派閥も嫌がらせもあった、それでも多忙で社員も出入りするホテルはそんな中でも安定して経営されていたと思う。
お客も日々満席で、大手宿泊サイトとのキャンペーン企画なども積極的にされていた。

その中で、若手の一員である18歳の私は、ありがたいことに大変可愛がられた。本当に若さゆえというのは当時から実感していたが、コミュニケーションも取れたし定期的に行われる社内打ち上げなどで交流を深めていけた。

長くなったが、その中で一番印象的だったヤクザのコック長について最後に話したいと思う。

信頼される舌と、刺青の肌

その人が他人だとして街中ですれ違うようなら、通常の人より広めに空間を開けるように慎重に避けるだろう。

色黒スキンヘッドに厳しい眉間、全身のタトゥーなどがそういった近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

アルバイト面接の際、初めて会ったのだが「見た目は怖いけど、きちんと教えたいと思う」と伝えられた。齢18の幼い私は、「そこまで言うほど怖くないじゃん」と当時思ったのだが、今現在そういった人と関わるようだったらとても気を遣う。そういった雰囲気を醸していた。

ホテルの厨房経験はもちろん、海外料理にも長けていて様々なハーブを使いこなしていた。グラム単位の調理よりは目と味覚を重視し、パッションに生きているような人だ。

表があれば裏もあって、舌を重視する割にタバコをこまめに吸い、打ち上げでは吐くまで酒を飲むような人だった。車の助手席で酔い潰れるコック長を、調理補佐の人が車で家に送る際、助手席の裏に座る私に、助手席から窓に嘔吐した飛沫がかかってきた出来事が印象深い。

それでも子供が数人いるというコック長。キッチンで勤める全ての人に気を配り、常々目を見張って指導していた。

いつも温厚で優しくて、と言いたいところだけれども短気で怒ると誰にも止められなかった。立場上、耐えるところは耐えるが、沸点を超え物に当たった時は心臓がギュッと締まる。
不機嫌が頂点に達した時、バコンという大きな音と共に深く厚みのある片手鍋をセラミック台に打ち付け、ぐにゃりと曲がっていた時は逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

それでも、「新しくタトゥー入れた。見てよ」と言って、ホワイトニングされた白い歯を剥き出して少年のように笑うコック長は、私にとって面白い大人だった。
コック長が休暇をとるごとに、1つまた1つと増えていくタトゥーが、私とコック長の付き合いの長さを感じられた。

いつしかコック長としてだけではなく、私の親のように今後の心配をしてくれるようになった。当時私は身体が悪く、やむを得ない欠勤をした際にも私の実家に電話をかけ、普段の体調について私の親に説明をしてくれた。打ち上げの時には、バーカウンターで将来の相談を真剣に受けてくれた。

良い大人に思えた。

時はたち、私は上京することになった。
住まいが離れても、あの時間が恋しくなって夏休みの帰省の際にはアルバイトをしにキッチンに戻った。夏休み期間は観光地ではかき入れどきなので、人が1人でも多い方が助かるらしい。
馴染み深い従業員たちの中で私は快く受け入れられた。

その中で、コック長が東京に勤めることを知る。
元々都内勤めだったこともあり、ホテルでのコックは出向という形だったらしい。都内に戻ったときに都内で居酒屋を開くということで、私はアルバイトをする約束をした。

良いアルバイトだと思えるほどのホテル勤務、その中心にいたコック長のことを特別に慕っていた。そこまでの関係だったにも関わらず、子供の私には見えていないことが多く、本来のその人をよくわかっていなかったのかもしれない。

本来のコック長

コック長は都内の居酒屋で店長となった。
表記がややこしいので、コック長と引き続き呼ばしてもらう。

その居酒屋は、他の代表取締役が経営している飲食店のグループの中の1つだ。他の店舗は、都心部では知名度のあるような店が並ぶ。
メイン食材の品質を売りにしていて、ブランディングも徹底していることから、新鮮でこだわり抜いた食材が並ぶメニューを見れば、誰が見ても「いい店」と感じさせられる。

コック長が店長ということで、オープニングスタッフとして入ることになる。時給は当時居酒屋にしては高い方だったが、ほとんどのアルバイトが外国人留学生であり、唯一の日本人である私は密かに期待された。

もちろんコック長をはじめ、マネージャーや調理補佐などは日本人で社員であるが、やりがいを見出した私はやる気で炎を燃やしていた。

いざオープンすると、来客の忙しなさにびっくりする。
私は厨房の経験のほかに地元で居酒屋の経験もあったが、さほど広くない店内にしてもあまりにも手が回らず、上京したばかりの私は困惑していた。

ブランディング要素の1つとして高温の器具を使った演出があったが、大火傷の危険性を考えながら重いものを持つのはしんどかった。
なにしろ会社の並ぶ、都心駅近の居酒屋にはとにかく来客が多かった。

コック長とは会っても一日1分にも満たない会話と、ホテルアルバイト時代に食べ慣れた美味しい賄い程度の交流しか持てなかった。
アルバイト同士の交流をとれるほど時間もなく、調理補佐のお兄さんのような人と、開店準備時間に雑談ができる程度で、それ以外は飛び回り過労でいっぱいだった。

その辺りからコック長との関係性に徐々に距離ができた。

調理補佐のうわさ

「薬物をやりながら仕事をしている」
仕事の愚痴を言いながら、調理補佐はコック長について話した。

コック長が薬物をやっている噂は、正直ホテルアルバイト時代からあった。私は関係ないなあという気持ちで気にもしていなかったが、調理補佐からの度重なる愚痴で現実味を帯びてきた。

「明らかにそっち系の知り合いをお客で連れてきて、仕事に手をつけず散々だ」。そういうような話が調理補佐の愚痴として増えてきた。
ホテルアルバイト時代から、確かに知り合いのガラが悪いなあとは思っていた。知り合いとして連れてきたアルバイトはタトゥーは当たり前のような、全員目つきが鋭い人だった。

居酒屋に「そういう人」を連れてきて、商品のサービスするようなことが続いているらしい。また、「共同喫煙所で薬物をやっているところを見た」「とにかく薬物臭いし、薬が回っている状態で勤務している」とも聞いた。

私は尊敬してきたコック長が、少し変わったなと思ってしまった。

まあ、変わったなというのは子供じみた感想ではあると思う。実際にはホテルアルバイトが始まる前、コック長の出向前もこんな感じだったのだろう。やはり薬物や「そういう人」の割合は地方とは比べられる物ではないから。元に戻ったという表現が正しいのかもしれない。

それでも、そう言った話を聞いてるうちにキラキラした尊敬の像は薄くなっていった。実際、優しく丁寧に教えてくれる、ホテルアルバイト時代のようなコック長ではなくなっているのをこの目で見ていたから。

私にとってのコック長

噂だけにとどまらずコック長は「そういう人」の関係を優先しており、私は「長年の知り合いでアルバイトしてくれている人間」でしかないのを自覚し始めてきた。

そのぐらいの時期から、コック長のサボりが増え、調理補佐の人に皺寄せが段々と来ているのを見たり、居酒屋全体の従業員のストレスやピリピリした感情など、流れが良くないと思った私は少しずつシフトを減らして辞めることになった。

その居酒屋からフェードアウトすることは、コック長から離れる事と等しかった。

コック長にはそれなりの理由を説明して退職に至ったが、その理由以上のことはないと思われていた。後日「他に手伝って欲しい仕事がある」という連絡があった。

そのまま連絡を取らなくなったが、当時も今もそうするしかなかったなと思う。

親でも彼氏でもない、ただその時に縁が深くなって気がついた時には離れていたなんて人間関係はよくある話だと思う
友達は一生友達!というような横並びの関係ではなく、勤務先の経験だとしたら数えきれないほどあるはずだ。

それでも財産とも言えるような調理のアレコレを教えてくれて、親のように親密に付き合いを重ねていたコック長は、今後とも良き大人で付き合えると思っていた。

人と人の付き合いは縁で、螺旋のようにぐるぐる回りながら上に向かってゆく。たまたま自分の螺旋と相手の螺旋がぶつかったり並行したりして、似た動きをすることもあるかもしれないけれど、上に上がったり、下に下がったり、大きく円を描いたり小さく円を描いたり様々なんだと。

短い期間か長い期間だかわからないけれど、私はコック長に大きなものを与えられたな、と思う。コック長によって調理スキルも人間的にも向上したんじゃないかと。

そんな数多な出会いと別れを繰り返したり、また出会うかもしれないそんな螺旋の中で様々な人とぶつかって行くんだなと思える一件だった。

終わりに

7000文字と長くなったし、全然話していない出来事もたくさんある。それでも今まで話したようなコック長との関係は、もう年に数回思い出す程度になってしまった。

それでも、包丁を持って正しい姿勢に構えるときに、「ああ、若い時に教われてよかったなあ」と思える。
貴重な成長の機会がそこにあったし、感謝しきれない程に良い言葉と良い知識をもらった。

教育を狙ってキッチンアルバイトをした訳ではないから、本当にたまたまの積み重ねなのだろうけど、新しい環境は何があるかわからないなと思った。

転職という新しい環境を探している今、いつかどこかで螺旋がぶつかるようなそういった出会いがあるといいなと思っている。

読んでいるあなたにとっての人生のキーマンは誰でしたか?

2023/06/15


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