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自分の本を出すという空想

数ヶ月ぶりの投稿になるかもしれない。

数ヶ月の間、noteに記事を書こう書こうと下書きを何本も書き溜めているのにうまく書きたいあまり完成しきれないという、勿体無いことを繰り返している。

自分が楽しくやりたいことに、いつの間に肩の力が入っていいると楽しくやれなくなってしまうと思う。
でも身体の姿勢と一緒で、そのズレというか違和感に気づけるのは普段正しい姿勢だから気づけるのであって、骨格が歪んでしまった状態が普通となってしまうと、ズレていることにすら気づかない。

自分が楽しいことに対して「これ、このままだと楽しめなくなるな」という最初で最後のサインを逃したらいけないと思う。

そういったように、文章を書くことについては私は楽しさが消えてしまったら嫌だなと思うほど気を遣っている。

気楽にnoteができるようになれればいいな。

自分のエッセイ、出せる?

今から、私の空想の話をしたいと思う。

私は、幼い頃からぼんやりとイメージしている将来の自分の像を持っている。◯◯歳になって、著者として自分の本を出版する。というものだ。

目標とは違うかもしれない。幼い頃からの夢かもしれないし、多くの著名人の本を読んできたことの憧れなのかもしれない。けれども、叶うか叶わないか別として、そのイメージを幼い頃から持っていて、いつか目の当たりになっても良いのじゃないかと密かに思っている。

もしもの話をする。
私が本を出版するとしたらエッセイを書きたい。

専門分野についてや自己啓発などは自分が適任者だと思わない。小説についてはオリジナルのものをWeb上で書いていた時期はあったし、物語を空想することは大人になった今でも日常茶飯事ではあるが、世にある作品たちにあまり触れてこなかったので、小説というものを知らなさすぎる。

けれどここ最近になって、書きたいと思っていたエッセイは私には書けないんじゃないかと思うようになってきた。

私は、人に誇って話せるほどの人生を歩んできたと思っていない。過去のことは隠したいことばかりだし、社会的にグレーな部分もある。

つまり、本を出版したいという気持ちがあるのに皆にここを読んでもらいたいと思える内容を書けるのか、と思う。
本を書くというのは、伝えたいことがあるから書くものだと思っているからというのもある。

少し聞いてほしいのだけれども、私は承認欲求の真逆のような思想を持っている。自分の弱みを知られたくないし自分の大切な情報を多く相手に持ってもらいたくないと思う。自分が選んだ情報だけを相手に持ってもらいたいという、なんとなく不信的な部分があるからだ。

どうしてそう思うようになったかは、まだ自分の理解が進んでいないのだけれども。

けれど、1冊の本が出ることによって自分の人生が報われるような気がしている。私はデザイナーという職なので、ものつくりの延長線上の話ではあるけれど、自分が苦労して作ったものが世に出ることは、生きがいにもなれる。

人生で起こるイベントなどで膨大なインプットがある中で、アウトプットが文章でできていないのはすごく苦しい。だから、本を出したいのかもしれない。

noteで好きなものをたくさん書けばいいのに、とも思うのだけれども本にこだわる理由は本が好きなことがあるのだろう。

たくさんの瞬間、たくさんの本に救われてきた私なので、こういったように本を出す空想をして出版予定のない本に悩んでいる。時間を持て余した贅沢な悩みなのだろうけど、ゆく宛のない半生の思いの行き場がないというのもわかっていただけたらなと思う。

これからもnoteを書いて、エッセイとまでは行かずとも自分で自分を解きほぐせる文章を作成していければいいなと思う。

あなたは、エッセイを出版してみたいですか?

2023/11/03

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