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10歳の彼女からもらったココロの話。

自然災害の報道をTVで流す時の
「※しばらく津波の映像がながれます」のあれ、
子供の頃は、被災を受けた方に対する配慮としか捉えていなかったが、さらに深く考えるようになった。

TVやスマホで悲しい情報や映像が目に映ると、
誰もが心苦しい気持ちになるのは、言うまでもない。だがそこを、今までの私は少し甘く見ていたらしい。

というのも、
私自身、昔から人が病気になってしまう映画や そういった感動系のドラマやアニメに耐えられず涙を流したり、その後もしばらく落ち込んだりする子であったがために、被災の映像や世間の悲しい報道に対して、過度が付くほど敏感であった。中学2年生の時には、好きな先生の家族が病気だと知ってからしばらく落ち込んで、学校で口を開かなくなった。
めちゃくちゃ反抗してたやん…って先生方は思ったはず。

これは思い返せば の話で、大人になってからの方が その感受性に結構、だいぶ、かなり、めちゃくちゃ、苦労する。
他人の悲しみや争いに悪い意味で心を奪われるそうで。
自分事ではない課題や問題を、他人事としてでなく自分自身に起こった感情として 引きずり回されるそうで。

というより、他人事も自分事も
人間に喜怒哀楽という感情があるとすれば
悲しみ(哀しみ)の幅だけが広すぎるみたい。
これに対して、いろんな言葉を当てはめることができるけど
ネガティブ とか 考え過ぎ とか 共感性が強い とか 優しい とか
未だに納得のできるフレーズが見つからないままだけれど。

この 悲しみの共感 っていう話。

私はちょっと自分を大切にできていないなって思う時、自分自身の悲しみに対しては結構限界まで我慢してしまうタイプなのかもしれない。

でも、自分は平気だと思っていたとしても
それを見た誰かが本人より悲しむってことがあるんだなって。

私が持っているスクールのチームの子達はみんな、一言で言うと優しすぎる。少し抽象的過ぎるけれど。

指導者である私は、いろんな家庭や保護者を見てきたわけで、子供に対する態度や言葉が少し望ましくないものだと感じても、周りの人に比べれば多少なりとも冷静に関わることができてるものである。
しかし、私が指導している小学生の彼女ら彼らは本当にピュアで、目に見たものを良い意味でも悪い意味でも真っ直ぐ受け止める。

友達や仲間の悲しみもを、真っ直ぐ受け止め真っ直ぐに表現する。
「どうしてあの子が悲しい気持ちにならなきゃいけないんですか。」と練習中に足を止めて涙を流しながら訴えてきた彼女の顔を見た夜は、大粒の涙を流した。(アンタは泣くな)

純粋で優し過ぎるが故に、貴方のココロを奪われないで。

そしてそのココロは、間違いじゃない。

10歳の彼女に教わったことは、

私自身の悲しみも、私以外の大切な人を悲しませる
ということ。

どうして人を大切にしなきゃいけないのか って
どうして人を傷つけてはいけないのか って
さらに言うと、
どうして自分を大切にしなくてはいけないのか って

きっと答えはそこにある。

自分の心や他人の心を傷つけてしまった私も貴方にも
悲しめばそれ以上に悲しんでしまう誰かのココロがある。
大切にしなければいけない理由がある。

そんな、

10歳の小さな心から大きなことを思い出した
掴もうとするとすぐに割れてしまいそうな
ココロの話――。



ただ、君のココロも何より大切にしてほしい。

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