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光川康雄「牧野富太郎 草木を愛した博士のドラマ」

・本書は、現在(2023年4月時点)、NHKの連続テレビ小説にて放送中の「らんまん」の主人公のモデルとなった牧野富太郎の生涯、牧野富太郎をとりまく人々、牧野富太郎の足跡を通じて、牧野富太郎がどのような人生を歩んだかについて紹介した1冊。

・牧野富太郎(以下、富太郎)は、空気は読まない、経済観念も乏しい、家庭は顧みないなど、非常に破天荒であったが、一途に植物と向き合い、その命名・分類などに生涯をささげた植物学者である。

・1862年(文久2)、代々酒蔵業(小問物屋も兼ねる)を営む後継ぎとして生まれるも、12歳で入学した小学校で教材の「博物図」にめぐりあったことが、富太郎の好奇心に火をつけ、植物について独学するようになった。
・富太郎は、「小学校中退」という来歴を持つが、富太郎が幼少期に受けた江戸時代以来の教育は漢文訓読などかなりレベルの高いものなのだ。
・そのように学んできた富太郎は、小学校を退学した翌年に、小学校の臨時教員として招かれたこともある。そして、小学校の臨時教員を辞め、高知県の中心地である高知に遊学に出るのだ。
※その後上京し、東京の学者たちと「植物学雑誌」発刊などの秘話、一目惚れをした愛妻とのエピソード、理学博士号の取得、文化勲章を授与されるまでの話など、牧野富太郎の生涯が書かれているが、詳細は本書をお読みください。

・牧野富太郎には、さまざまな人たちが関わっている。富太郎の妻の牧野壽衛は、富太郎との間に10人以上の子どもができ、生活費がかさむところに富太郎が学問のために浪費するあまり、牧野家が貧乏していたために、借金取りの応対をさせられていた。
※富太郎が当時発見した新種の笹に「スエコザサ」があるが、これは妻の名前を付けている。
※母・壽衛の没後は、娘の牧野鶴代が富太郎の研究と生活を支えた。

・東京大学初代植物学教授で、日本初の理学博士の矢田部良吉は、当時上京してきま富太郎に好意的であり、協力も惜しまなかったが、富太郎を脅威に感じると、「牧野くん、今後はこの研究室への出入りを遠慮してくれたまえ!」と突然研究室の利用を禁止するなどしてきた。
※富太郎が矢田部に研究室の出入り禁止をした経緯ならびに、恩師である矢田部からの妨害に富太郎はどうしたかの詳細は本書をご覧ください。

・本書では、「酒造業の後継ぎとして生まれるも、植物博士になるまでの牧野富太郎の生涯」「家族や地元高知、東大など、牧野富太郎をとりまく人々」「高知・東京・仙台・兵庫など、牧野富太郎の足跡」が優しくあたたかなイラスト、写真付きで収録された内容となっている。

現在放送中の「らんまん」と合わせて読むと、より一層楽しめる1冊です!

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