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塩生好紀「やすむ勇気 やすませる勇気 不登校だった僕を救った2つの勇気」

・本書は、スポーツチームら選手や地域、企業への健康支援を主な事業とした株式会社を設立し、西日本初の「かかりつけ理学療法士」として看護師や柔道整復師、健康運動指導士らのスタッフとともに健康支援に尽力する著者が、学習障害(ディスレクシア)の影響から不登校だった経験から、不登校の現実と、未来のメッセージを伝えた1冊。

・著者は、5年半、小学校の頃に不登校だった時期があったその理由は、国語や社会の授業で、立ってみんなの前で教科書を読み上げる「音読」が辛く、「学校に行きたくない!」と小学校1年の時に思ったから。
※後に23歳の時に、学習障害のひとつである「ディスレクシア」(読字障害)であることがわかる。

・その後、著者は「中学校から学校に通おう」と思うようになる。その理由は、
①不登校の時期に、「いろいろな人に出会ったこと」
②①の結果、「やりたいことや目標が見つかったこと」
が大きかったから。
・著者は、いろいろな人と関わるようになり、人と関わることが好きになったとのこと。「人前に出るのが嫌」「人と関わることが苦手」と思い込んでいたが、これらの経験から「学校の外で個人的に人と関わることはとても好き」ということに気付くことができたそう。このことは、後に仕事を選ぶ時に「人と関わる仕事がしたい」と思うきっかけにもなっているとのこと。
・また、いろいろな人と出会ったことで、「こんな人になりたいな」と思う憧れがたくさんできた。著者の一番の大きな夢はプロ野球選手になることだったが、民間のフリースクールに通う中で、サポートしてくれるお兄さんたちと出会い、「このお兄さんみたいになりたい!」と思ったり、いろいろな職業の方にお会いする中で、「こんなおじいさんになりたい!」と感じたりしたことが良かったのだと著者は思っている。
・10人の大人に会えば、その10人の素敵なところ、憧れるところを一つずつ真似していたような小学校時代を送っていた。この経験の数や出会った人の数が多かったことが、著者にものすごく大きな影響を及ぼしていると感じているそう。

・著者が、無事に学校に通うことができた理由は、「自分の夢のためだった」から。幼稚園や小学校に通うのが辛くなってしまったのは、親や学校の先生、同級生のために「行かなくちゃ」と思っていたから。「行かなければならない」になっていたので、負担になっていたのだと思ったそう。
・著者に限らず、学校に行けない子の多くが、共依存症的な特徴があると感じている。誰かのために苦手なことを頑張って苦しくなっている人が多いのだ。そういった子は、人にしてあげすぎる傾向があるので、意識的に「しないこと」を決めたり増やしたりする勇気を持つことが、自分の精神を保つポイントになるのではないかと思っている。

・本書では、「学校に行けなくなった小学1年生」「野球との出会い。夢を見つけた小学5年生」「野球選手になるために復学!中学校からの再スタート」「順調に過ごした高校時代と全力で走り抜けた専門学校時代」「「生きやすい道」を探して」「事例から考えたい、不登校への対応」「知ってほしい、不登校にまつわるあれこれ」という章で構成されており、「著者が不登校になってから復学するための道のり」「不登校の事例(イジメ・夢が見つからない・家族関係など)から考える、不登校への対応」「学校に行きにくい子の障害や症状」「家族における不登校の関係性と関わり方」など、「子どもたちがこの先の長い人生を生きていくために必要な力とは何か」について考える内容となっている。

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