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vol4-4 トークセッションのメモと感想、本と商店街 2024

本と商店街 2024 のレポート最終回。
トークセッションの感想であります。

peatix からのキャプチャ画像

文筆家・木村衣有子さん × ツバメコーヒー・田中辰幸さん
「本と店と町の編集をひとつながりで考えてみる」

盛岡市の書店 BOOKNERD の早坂さんが司会進行役。

お話を聴きながらメモしたものを、
ザッと並べ、最後に感想めいたものを残したい。
若干、時系列をいじって並べ替えてます。


◎ 編集ってなんぞや?

出版が盛んな場所=東京
というイメージが根強い。

「編集」と言ったら
「出版の編集」しか頭になかった。

しかし最近は
「編集」という言葉が拡がっている印象。
出版に限らず「編集」が行われている感触。

「本の編集者」というのは
お金をもらいにくい。
フリーランスでやっていくのは難しい。
何をやっているのか、わかりにくいから。
会社に所属している「編集者」は、わかりやすい。


◎ ツバメコーヒーの出版・編集

最初はカフェも出版もやるつもりじゃなかった。
家業の美容室を継ぐことが目的だった。
しかし経営が厳しくなった。
そこでカフェを思いついた。
しかしただ単にカフェをやっても差別化ができない。
だったら自家焙煎だ!と、いきなり焙煎機を購入。
やりながら研究、勉強していった。

「俗物」という本を作った。
「カルチベイト」という本も作った。
本を作ったことで、
町の外交にもなっていると思う。

町を良くしよう!
と考えて本を作ったのではない。
結果的に何かしら作用していけば、
町が良くなっていくのでは?

店自体をメディアにしようと思った。
10 万円の広告費を出すのなら、
10 万円の赤字で店をやっている方が町づくりになる。

関係性に依存すると、
価値が下がっていってしまう。
例えば。
自分が暮らす町の中だけでやろう!とすると、
高い質を担保できず、下がっていってしまう。

内側から湧き上がる「欲望」を持て!
それを、やれ!

「みんなのこと/町のこと」じゃなく、
自分が好きなことをやりきりなよ!
それぞれが好き勝手にやればいいんだよ!

スペシャリスト達が分業してゆくのではなく、
一人がマルチに動けるのは地方ならでは。
なのではないか。

動いていった「結果」が「編集」になるんじゃないかな?

欲望に忠実に動けばいいのだ!

自分が動くことで周辺の力学が変わる。
力学が変わり、
バランスが変化することで、
関わる人の増減が起きてゆく。
「結果」として、
「みんなで編集していた/編集されていた」
という世界が見えるんだと思う。
動いている最中には「編集している自覚」なんて起きない。


◎木村さんが語る「編集」

最近、自分の名刺に「編集者」という肩書きをつけようかと悩んでいる。

しかし「編集」のレベル/クオリティを考えてしまうと、
何も言えなくなってしまう。
だから、ハッタリをかます。

元マガジンハウスの編集者、岡本さん。
対象との距離が素晴らしい。
住まずして町を編集している人だと思う。
岡本さんの視点は、
町を見るひとつの指標になる。
初めて訪れる土地がある場合は、岡本さんの Instagram をチェックする。
岡本さんの感性ならではの面白いものに光を当てている。

「出版」のハードルが下がってきている。
独立系書店が「編集者/編集部」になっている。

一人出版社をやっていける素地/インフラが整ってきた。
DTPソフトの普及、本の印刷をしやすい環境。
ネットで発信して、遠くとも繋がっていける。

このようなスモールビジネスは
「個人の信用」で成り立っているよね。

日詰平井邸2階
とんでもなく立派な和室で開催されたトークセッション

【感想】

ツバメコーヒー田中さんの考え方、視点、行動力、
どれもに刺激を受けた。
これくらいの熱量で動いていたら、世界は変わるよな!
と感銘を受けた。
田中さんくらい動きたいぜ!とアコガレてしまった。
出逢えて良かった。

自分は今、地域おこし協力隊として着任しているけれど、
田中さんほどの熱量を出せていないように感じる。
熱量の多寡は「必死さ」の度合いだろうか。

身銭を切って、経営することの必死さ。
生活が保障されている協力隊という立場の安全。

やらねば、死んでしまうのだ!
というガムシャラな生命力。
それが、俺に、あるか?
正直なところ、そこまでの必死さは、ないと思う。
安全な中で、必死さを出す。
官民の対比。
このままじゃあ、何も成せないんじゃないか?
どうすりゃ、ガムシャラな必死さを発動できるのか?

「これを実現させたいんじゃ!」
という強い希求を抱ける取り組みがあれば発動するのか?

考えれば考えるほど、
環境に依存して甘えているように思えてならない。

色々と考えていることはあるし、
実現させたいと考えていることはあるけれど、
田中さんのようにマグマのような熱さを爆発させられるか?
と比較して冷静に眺めてしまうと、
自分の熱量に萎えてしまう。
こんな程度のやつに地域おこしなんてことができるんか?

比較する必要はないのだろう。
自分には自分のペースがある。
(これがもう言い訳に思えてならない)
いずれにせよ、田中さんの熱さは指標になってくるし、
個人事業主であることの必死さは、
どの方のお話も参考になるし、身につまされる。

溶岩流ほどの熱さではないにせよ、
「動けば、力学が変わるんだから、欲望のままに動け!」
というのは、ガイドにしたい。
やらなきゃ、何も動かないのだ。
(そりゃそうだ)
ノートにペンで考えをまとめてゆき、
キーボードで文字を打ってるだけじゃあ、
変わるまい。
もっと物理的な動きを、目に見える場所で、やるのだ。

それには『ハッタリ』も必要なのだろう。
やれまっせ!
という、多少の誇張。
あとは動き出してから必死に達成させてゆけば良いのだ。
うん。

過去に何回も個人事業主として生計を立てていた時期があるのだけれど、
思い返してみても、なんだか、ぬるいんですね、僕は。
「必死さ」があったか?
ほど遠い熱量だったように思う。
無理なく、ほどほどに。
目の前の仕事に集中するだけであった。
や、何日も寝ないで徹夜することはあったけれど、
それは締め切りに対する反応でしかなく。
生活が最低限維持できれば良いのだ、という動き。

必死に取り組んだ仕事もあるけれど、
「やることが決定して動き出してから」の必死さで。
「やれまっせ!」と見栄を切って引き受け、
ハッタリを現実に変えるための必死さであった。

いまは『場』をつくろうとしている。
ハッタリをかまして、見栄を切り、
「やれまっせ!」と動き出してからが、
「必死さ」の本番なのだろう、たぶん。

何某かの『本』をつくる、というのも、
予測不能な楽しい未来に繋がってくるのかもな。
一関市東山町で、いま、俺が本を作るとしたら?
どんな本を作るのだろうな?


昔フリーランスで名刺を作ろうとした時、
肩書きをどうするか、ものすごく悩んだ。
デザイナー? アートディレクター? 編集者?
自分がやっていることは「編集」だよなあ、という感触があった。
でも、一般的には「編集」と認識されないよな。
やっぱりデザイナーが一番理解されやすいだろうか?
などと取っ組み合っていた。

藤本智士さんの著書『魔法をかける編集』という本があり、
とても素晴らしい内容の本で大好きで、
「そうそう!編集だよね!」と激しく同意、共鳴したものです。
7月に盛岡でイベントがあるので、聴きに行きます。楽しみ😊

すべての仕事はクリエイティブディレクションでもあるし、
( ↑ この本も名著、心の師匠)
編集でもあるよなあ、と思うのです。
肩書きを一つに絞るのは、もう、ナンセンスなのかしらね。
もしくはハッタリを効かせて、言い切っちゃう。


脱線しましたんで、終わります。

距離と時間の兼ね合いで、
このお二人のトークセッションしか聴けなかったが、
とてもとても大事な体験になった。
素晴らしい組み合わせで場を作って下さったことに感謝!!

他の方たちのセッションを聴けなかったけど、
聴いてたら、更なる財産になっていたのだろうなあ。
今度こういう機会があったら、無茶してでも聴こう。


4回にわたって書いてきたけれど、
視察のレポートになっているだろうか。
不安。

何はともあれ、これにて完!

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