子どもの頃に手放したこと
自分はいつから自分という人間になったのかを考えてみた。
小学生のとき、クラスメイトの背中に人をけなすような言葉を書いた紙が貼られていた。
その紙の存在を本人に教えたら、彼の友達から非難の声を浴びた。
それは男子同士のじゃれあいだった。
私はそれに気付かずに、嫌がらせを阻止した気持ちになっていた。
それなら、気づいたことがあっても発言しないようにしようと思った。
小学生のとき、運動会で発表するダンスの振り付けをグループごとに考えていた。
誰も意見を出さなかったので、私がたくさん案を出したら次々と採用され、ほとんど私がつくったダンスになった。
すると、グループ長を勤めていた子が私のことをよく思わなかったようで、気まずい態度を取られてしまった。
私は思い付いた案を提供しただけで、自分ひとりでダンスをつくり上げたいと思っていたのではないのに。
それなら、積極的に行動しないようにしようと思った。
中学生のとき、好きな人へ手紙を渡すのが恥ずかしくて、同じ部活に所属していた友達を介して渡してもらうことにした。ところが、その友達は私の手紙を渡す前に開封し読んでいたようで、私の好きな人を想って書いた言葉は彼へ一番に届けることができなかった。恥ずかしいというより失望した。
それなら、人を信用しないようにしようと思った。
こうして本当はそうしたいのに、自分の気持ちを折り曲げながら大人になってしまったことに気付いた。
他人の反応を気にして生きるようになり、自分の素直な気持ちが分からないのかもしれない。
当時はタンスの振り付けが泡のように思い浮かんだのに、今は自分がアイデアを思い付くことなんてないに等しい。
子どもの頃にできていたことが今ではできなくなっている。
私は、自分の心に従うという生き方を手放してしまったのかもしれない。
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