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組織における「良い」とは何か。

9月24日(木)

こんばんは。

最近も普段と変わらず、朝部活して勉強してジムに行くという生活をしています。

一昨日、自分が就職する先の内定式があり、自分の同期となる仲間と初対面してきましたが、良い人が多く刺激になりました。

内定式の中でも社長への質問をする場があり、そこで学んだことが多すぎたので、数回に分けてnoteに投稿していきます。


今日のテーマは「組織における良いとは何か」です。


まず大前提として組織に所属する以上、1つ1つ扱う言葉には細心の注意を払わなければならない。

言葉1つ1つの定義やニュアンスのズレが組織の大きな歪みに繋がる可能性があるからである。

このことは今まで何度もnoteに書いてきた。


自分達は組織が掲げる目的・目標を成し遂げるために、あらゆる施策を実行したり、言葉を定義したり、制度を作っていく。

そもそも自分たちが成し遂げたいビジョンは何か。
そもそも自分たちの目的・目標は何か。
目的を果たすためにどういう制度・施策を作るべきか。
どういう文化を形成していくべきか。

こういうことを考える続ける。

そして当たり前だが自分達は「良いビジョン」や「良い制度」「良い文化」を創ろうとする。


では自分達が考えなければならないのは

「良い」「悪い」を判断する基準は何か。

ということである。

「良い」とは
組織全員が納得感を持つことなのか。
全員が「自分が決めた」という責任感を持つことなのか。

もちろんこれらの要素は間違いなく大事であることは確かであるが、それさえあれば「良い制度・施策・ビジョン」と言えるのか。


ここで「良い」とはどういうことかを定義してみる。

それは

「良い」とはその施策・制度・言葉にどれだけ救われた経験があるかどうか

である。

つまり最初から「良い」なんてものは存在せず、
自分達がそれらに救われる経験・過程が良いものにしていくのである。



自分が苦しい時にそのビジョンに救われた経験があるか。
自分が困難にぶつかった時にその施策・制度に救われたことはあるか。



自分達は日常、あらゆるところでそういう場に遭遇しているが認識することができていない。


自分も仲間にもそういう瞬間を意識して認識すること・もしくはさせることが、チームへ言葉や施策・制度が大事にされ機能していく。

そういう過程が結果的に振り返った時に、「良い」ものにしている。


この考え方は今の関大サッカー部にも大きく当てはまることなので、実践していこうと思います!



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