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習慣と選択の区別

8.11.火
こんばんは。

今日は久しぶりに高校の恩師と出会い、思い出話に耽りました。改めて自分を大きく変えてくれた高校の恩師には感謝しかありません。

今日は昨日のnote同様に「習慣」の話をしようと思います。

今日のテーマは「習慣と選択の区別」です。


私は今までのnoteで選択の幅を広げ意識的にその選択をすることが重要である
と言い続けてきた。

しかし習慣化とは自分のこのプロセスの先に存在することがわかった。

間違いなく選択肢の幅を持ち意識的に行動できることは大事であり、
無意識的行動に目を向けて意識的行動にシフトさせることが必要である。

具体的な例でいうと
カフェで店員にコーヒーをこぼされた客がすぐにぶちぎれるのは、無意識的に感情を表に出している。
しかしカフェをこぼされたという事実に対してどう反応(行動)するかを選択することができれば、むやみに怒りを引き出す必要がない。
(怒りという感情が出てきてしまうこと、そして最も簡単な感情的行動をしてしまうことは理解できる。)


これらの日常の全ての行動を

細分化し選択を意識的にする」は欠点がある。
それは毎度あらゆる誘惑と葛藤し選択しないといけないということだ。

あらゆる誘惑がある日常で全ての選択で打ち勝とうとすることは自分自身を疲弊させる。(意志力を低下させる)

つまり意図した方向に選択しないで済むように仕組み化することが大事であり、その仕組みかこそが習慣である。


習慣化とは一体何か。


習慣化するとは自分が大事であると考える行動を意識的から無意識的にシフトさせ仕組み化させること

であると私は考える。

つまり私たちは第一段階として日常のあらゆる行動を無意識的行動から意識的に行動することが大事である。

そしてそれらの中から自分が習慣化すべきものを抽出し、自分の日常生活の中に組み込む。

その習慣化することは選択するというプロセスを含まない。(歯磨きみたいな感じ)

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つまり自分が必要であるとわかっているものに対して、わざわざ毎度するかしないか選択する必要はない。

無意識のうちに行動できるように習慣化させることが必要である。

簡単にはそうならないが、やり始めのハードルを小さくすること・トリガーを用いることで気づかない間に習慣化している。


自分はそうして朝のランニング・筋トレ・マインドフルネスなどは大事だとわかっているのであらゆる誘惑があろうと関係なく、無意識的に行動し習慣化されるように努力している。


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