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その時代に生きるということ。宇多田ヒカル automaticから考えた。

私は今流行っている曲より、昔流行った曲が好きだ。これは子どもの頃からで、音楽番組を見ることが好きだったのと、懐メロ特集もよくみていたからだろう。

ちなみに私の記憶では、ドリカムは2人だし、スマップは5人。ポルノグラフィティも2人。記憶にあるはじめての総理大臣は小泉さん。そのくらいの年代です。

音楽も歴史や時代をよく映し出すものである。自分がその時代に生まれていなくても、疑似体験したような気になる。

でもそれはやっぱり疑似体験に過ぎないんだよな、と思うことがあった。


宇多田ヒカルさんのautomaticという曲に最近ハマった時のことである。前からサビは知っている曲だったけど、ふと聴きたくなってフルで聴いたら虜になった。
いつも歌詞は間違わないですぐ覚える方なんだけど、聴きながら自分で歌っていてあれ?と思ったら歌詞を間違えて歌っていた部分があった。

それも冒頭、「♪7回目のベルで受話器を取った君〜」の部分。

私は「♪7回目のベルで受話器を置いた君〜」と歌っていた。受話器置いちゃったら電話切っちゃってるじゃん。てかベルが鳴ってるんだから置くのはおかしいでしょ、っていう矛盾に気づかず歌っていた。

なんでこんなアホなこと、って思って気がついた。私は固定電話を使ったことがない。


家に電話はなくて、携帯電話だけだった。公衆電話もほぼ使った記憶がないし、親が働いていて心配して小学生から携帯を持たされたので、あまり固定電話の必要性がわからない。というのが正直なところ。

親戚の家で固定電話を見たことはあるけど、電話に出たことはない。サザエさんやちびまる子ちゃんではよく見るからイメージはあるけど。

そうすると、私はきっとさっきのフレーズに続く歌詞の意味が本当の意味で実感をもってわからないのだと思ってちょっぴり切なくなった。

「♪7回目のベルで受話器を取った君〜」に続く歌詞は、

「名前を言わなくても声ですぐ分かってくれる」だ。これもまた経験がない。

携帯電話しか使ってないから、着信があると誰からか表示されるし、automaticの歌詞にあるようなことは起こらない。というかそもそも受話器もないし。もしもし、の後に名乗った経験が少ない。


言葉に表すのは難しいんだけど、今ほど便利じゃなかった時代の方が、いろんな気持ちの余地があって、風景やちょっとしたことで表現できること、ほのめかすことができることの幅が広い気がする。

そういう余地は、便利になってもあってほしいものだと思う。

もしautomaticの歌詞が「7回目のバイブ音」とか「スマホのスクリーンに名前が表示されている状況」だったら、それらがあまりにオートマチックすぎる。それだと恋することで自動的に、無意識に感情がこぼれてくる、という部分の意味合いが薄れてしまうと思う。

そういった感傷を時代が変わっても想像したり、わかるような気がしたりするのが歌って面白いなと思う。その時代に生きていないから、同じようには感じられないけれど想像の余地があるのが、私は好きです。



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