マッキーとドラッグ。芸術家について。
アーティストやハリウッドスターとドラッグっていうのは、なぜか切り離せないものになっている。
日本でドラッグの使用で逮捕される芸能人もいれば、ハリウッドスターで、ドラッグの使用が原因で死んでしまった人もいる。
今でこそメディアがあって、どんなニュースもすぐ知れ渡るけど、もしかしたら、有名な画家だって今の時代ならドラッグを使っていたのかも。
それくらいドラッグと芸術家というのはなぜか結びつく。
昔の画家のかんしゃく持ち、精神が参ってしまったとかもありそうな話。
ゴッホの耳切り事件や、作家の自殺を思い起こさせる。
生む苦しみ。孤独感。個々人で違う悩みがあるんだろう。
今はインターネットが普及したから、作品がすぐに評価されるし、利益ももっと入ってくると思う。でも逆に少しのことで、オセロがひっくり返るように評価が変わる。
自分も相手も故人も、この時代に生まれてなかったらどうなっていたのか、最近よく考える。
そして、こういうのを見るたびに、有名でもお金があっても満たされないものってあるんだろうなと想像する。
お金や名声、利便性だけじゃなくて、人とのつながりも発展していけばいいのに、と思う。
私は、作品に罪はないということに関しては支持している。
きれいなものはきれいだし、いい曲はいい曲だ。
実際槇原敬之さんの曲を前よりよく聞いているし。
よく考えたら、なんでドラッグの使用って逮捕されるんだろうと思った。私はそれが罪っていうよりも、体にも心にもよくないし、それが広がっていくことで社会にいいことが起きないから、止めているって感じなのかなと思う。
社会のためだけじゃなくて、個人にとっても、使わないで幸せに暮らせた方が犠牲(気持ちのアップダウンとか中毒性による症状とか)が少ないのかな。
こういったことも他人事として考えないように気をつけたい。誰かがニュースの的になって、いい評価をされたり悪い評価をされたりする。
でもそれは表面的なことで、じゃあ自分はどうなのか、何が原因なのか、どうすれば起こったことを防げたのか考えるのが本来、見る人の役目なんじゃないかと思う。
2020/2/3
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