私が適応障害になるまで

私は休職中である。『抑うつを伴う適応障害』と診断された。

その時の症状を段階的に書き残しておこうと思う。こういう症状が出たら、自分の体からアラートが出ていると思った方がいい。

第1段階:痩せる(就職後1か月)
いつのまにか体重が落ちている。私は一人暮らしの部屋に体重計を持っていなかったので、気づくのが遅くなった。ある時温泉施設に行って、久しぶりに体重を図ったら、目を見張るような数値が表示された。
以前の数値を正確には覚えていないが、就職して1か月で少なくとも4キロ痩せていた。5キロかもしれない。
ただ、私はこの時、痩せてラッキーと思っていた。(←バカ)一人暮らしで自炊していたので、実家の母が作る量よりかなり少なかったし、通勤で少し運動量も増えていた。そのおかげだろうと。

今思い返すと、急に痩せすぎである。中学生以来、私は体重が40キロ台だったことがなかったので、図った時は体重計が壊れていると思い二度乗った。
50キロを切れないと思い悩んでいた思春期が嘘のように一瞬で体重が落ちていた。(思春期の痩せ信仰を引っ張っている。マジ危険。)

あばら骨が見えるようになり、悩んでいた太ももの裏の肉は消え去り、腕が骨と皮みたいなって、そのまま8か月ほど過ごしていた。
でも、市販の服が体型や骨格を気にすることなく着られるようになって、嬉しかった。

一方で、痩せたのに思ったよりきれいになっていないなとは思っていた。(肌ツヤが悪く、なんだか前より老けていた。毎日化粧をしているからかとも思ったが。)

その数か月後に実家に帰った時、栄養失調の子供みたいな体型になっていると心配された。

第2段階:食欲がない(2か月め~)
体重が減っても、朝昼晩と3食きちんとそれなりの量を食べていたので、なぜ体重が減ったのか疑問に思っていた。(ストレスだよ!それしかないだろ、と今ならツッコミを入れたい)

一人暮らしの部屋から研修施設に移ると、必ず食堂で昼ごはんを食べるようになった。それが、揚げ物や肉をメインにしていて結構重たかったので、夜に食欲が湧かなくなった(と思っていた)。インスタントスープで夕食を済ませていたが、やがて何も食べなくてもお腹がすかないことに気づく。

私は今まで「3食食べないとダメ派」だった。どれだけ食べても、少し何か口に入れないと寝る前にお腹がすいて眠れなくなる。それがパタリとなくなった。

第三段階:胃痛(6か月め~)
研修施設ではパクチーくんとシナモンちゃん以外の同期もいて、特にパクチー君とは距離を置いていたので、夕食を食べないことと相変わらず体重が減ったままだということを除けば普通であった。

一人暮らしに戻り、同期が3人に戻った6か月めから、食後でもないのに、午前中から胃が重たい感じがするようになる。のちに、この胃痛は慢性的でもあるが、パクチー君と話した後に毎回症状が出ることに気づく。もう、アレルギーみたいなものである。接触すると症状がでる。
パクチー君の言葉を思い出すと重くなる。もはや見るだけでも多分症状が出そうなので極力視界に入れなかった。声を聴くだけでも無理。

第3段階:逆流性食道炎(8か月め~)
ご飯を食べた後に酸っぱい味がする。昼も夜もである。胃痛で一度病院を受診し、胃が重く感じるのは薬で症状がなくなっていたのに、今度は逆流性食道炎の症状が出た。
今思うと、この頃から朝食の量が減っていた気がする。昼も夜も、食後に酸っぱい味がするのが嫌で、食べ過ぎないようにしていた。(負の循環)

今思い返すと、パクチー君の顔を見るのもそうだが、シナモンちゃんの顔を見るのにも嫌気がさしていたのがこの頃である。(どちらも同期。仕事で頻繁に関わる)

第4段階:動悸(9か月め)
ある日、昼休みが終わってパソコンをカタカタ打ち始めていると、動悸がした。心臓の音がドクンドクンうるさくて、血管が膨張でもしているのか??というような音量でお腹にも響くようで気が散った。就職する前も、突然動機がすることはあったが、せいぜい2,3分ももたなかったので放っておいていた。
でも、この動悸はずっと収まらず、20分以上続き、頭にも響いてきた。「なんで?収まってよ。むしろひどくなってるじゃん」と葛藤していると、急に呼吸の仕方が分からなくなった。一瞬目の前が遠くなって、また戻った。目の前がぼんやりしたのはこの時だけだが、パニック障害の症状に少しに通っていたかもしれない。

さすがにヤバイ、病気かもしれないと思い、隣の席の先輩に相談し、違う部屋で少し寝て休んだ。が、横になっても収まらない。

ついに、早退して病院に行くことになった。心配した上司がついてきてくれた。病院に行く道すがら、動悸の音は少し収まってきた。病院について少しすると、ほとんどなくなったように感じた。
診察を受けたが、原因は判明せず、ストレスかもしれないね、と言うことだった。内科だったので逆流性食道炎の薬をもらって診察は終わった。(私は胃痛で一度病院に行ったが、逆流性食道炎の症状が出て以降は通院していなかった)

しかーし。動悸はこの日だけでは収まらず、時間を選ばず急にやってくるようになった。もうやばいかも、という考えが頭をかすめる。

第5段階:もうよく分からないけどだるい。

私は割とルーティン人間なので、弁当を作って着替えをしてと、毎朝心を無にして出勤準備をしていたが、ある日なんだか急に職場に行きたくなくなった。胃痛、動悸等の症状は上司にも報告済みだったので、その日休みたいと電話で告げると上司は快く了承してくれた。

布団に横になり、休んでみたものの、体調が良くなったとは思えず、心の霧は晴れなかった。その日以後も職場にいくが、胃痛はするし動悸が襲ってこないかとヒヤヒヤするしで手につかず。

ついに上司に心療内科への受診をすすめられる。私は受診も考えていたが、知らない土地でどこの病院に行こうか考えるのも面倒で引き延ばし続けていた。(というかこの頃はもうそういうことを考える余裕や気力がなかった。)上司が見つけてくれた病院に(なんと診察の予約もしてくれた)かかることになり、適応障害との診断が下りる。

診断が下りたことにはなんだか拍子抜けした。適応障害とは聞いたことがあったが、私の症状にこんな名前がつくのかと。

結びに

こうやって私の体は蝕まれていった。今振り返ると、なかなかなものがある。
私は、我慢強さと自分の疲れに無自覚(これは思い返せば実家にいた頃も母に指摘されていた)なこと、症状を甘く見ていたことで取り返しがつかなくなってしまった。
胃痛のあたりから上司には相談していたが、私は「辛い」と言うのが苦手でどうしても「ちょっと大変だが平気」というトーンでしか話せていなかったのだ。自分の症状は自分にしか分からないのに。

ちょっとしたサインを見逃してはいけない。自分のいいように解釈してもいけない。我慢強い人は、「私大変なんですアピール」をやりすぎかなってくらいするので多分ちょうどいいくらいである。
そして、周囲の人のちょっとした変化にも気付いてほしいし、気づけるようにしたい。できれば声をかけたり、手伝ったりを自分の無理のない範囲でしたい。

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