夜の中でも霧の中でも、こころは保てる。 ―『夜と霧 新版』(ヴィクトール・E・フランクル,1977)
さざなみのように、伝言ゲームのように拡がっていく、この暗くて重い空気はどこからくるのだろう?
――なにを信じたらいいかわからない。どう行動したらいいかわからない。誰が悪いのかわからない。どう振る舞ったらいいのかわからない。どう受け止めたらいいかわからない。「正しさ」の在り処がわからない。わたし達の「正常な日常」はどこへ行ってしまったんだろう!
そんな苦悶のうめきが聞こえる気がして、感染リスクよりも、不安の海から自主避難している気分の今日このごろ。
ふと思い出して、本棚から一冊の本を取り出してみた。ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧 新版』(池田香代子訳)だ。
(△昨年の読書記録より)
強制収容所から人間を照らす
精神科医/心理学者のフランクルは、ユダヤ人であったために第二次世界大戦でアウシュビッツに連なる強制収容所へと送られた人物。『夜と霧』は、その過酷な日々の中で、人間性を失う人と深める人の双方の姿を見つめ、人間とは何か……を考察する手記だ。
戦後間も無く出版され、世界的な大ベストセラーになったのち、世界情勢を踏まえてフランクル自身が加筆や修正を重ね、再度出版された1977年の新版。それを池田香代子さんが日本語に翻訳したのがこの一冊。
一人称で綴られる瑞々しい文体は、強制収容所という遠い出来事を、「誰にでも起こりうる人生の苦しみ」に引き寄せてくれる。
”わたしたちはおそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはつねになにかを決定する存在だ。人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。” ー『夜と霧 新版』
今、頭上にある”夜と霧”
『夜と霧 新版』について自分が読書メモに綴ったのは昨年の秋。次の春がこんなことになるとは想像もしていなかったけれど、今まさに、同じような "夜と霧”がわたしたちの頭上にある。
それは、「行動が制限される日常が強制収容所のそれと似ている」なんていうことではなくて、そこで生まれる精神的危機の構造において。
”収容所に一歩足を踏み入れると、心内風景は一変する。不確定性が終わり、終わりが不確定になる。こんなありように終わりはあるのか、あるとしたらそれはいつか、見極めがつかなくなるのだ。”ー『夜と霧 新版』
”(暫定的な)ありようがいつ終わるか見通しのつかない人間は、目的をもって生きることができない。ふつうのありようの人間のように、未来を見すえて存在することができないのだ。そのため、内面生活はその構造からがらりと様変わりしてしまう。精神の崩壊現象が始まるのだ。”ー『夜と霧 新版』
フランクルは、こういった精神の置かれかたを、「失業者などでも起こりうる」状況だと続けた。職を失うというのは「ありようが暫定的になる」ことだからだ。
そう、そして、今まさにわたしたち(の精神)が置かれている状況も、そういうことなんじゃないかと思う。終わりの見えない感染拡大、緊急的事態、命の危険。主語のぼやけた「自粛」、「加害と被害」の反転。生活が、仕事が、どう考えたって変わってしまう。でも誰も答えを持っていない。
全員が無期限の暫定的存在になっている。夜と霧が頭上に拡がっている。
最後まで残る「態度」という価値
重くて暗い、夜と霧。だけど、この本が世界中で読み継がれているのは、闇の深さではなく、そこから見いだされた希望に心震わせた人が多くいたからだ。
”人は強制収容所に人間をぶちこんですべてを奪うことができるが、たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。”ー『夜と霧 新版』
強制収容所の過酷な日々の中でも見られた思いやり、人間性、表現、本質に向き合う力。本に収められたエピソードは収容所生活のイメージを揺さぶり、改めて「人間とは何か」を読者に優しく問うてくる。
戦後、フランクルが説いた「人生価値」は、〈創造価値〉〈体験価値〉〈態度価値〉の三つ。特に〈態度価値〉は、創ること、体験することが叶わないような状況でも、運命をどう受けとめるか、どう振る舞うかということが自ら発揮しうる価値であるという考え方だ。
実はわたしはこの「態度価値」という言葉に出会ったことで、『夜と霧 新版』を手にしたのだった(基本的に不勉強者なので世界の名著は全然読んでません。恥ずかしながら)。
こころは守れる
もちろん、この本を読んだところで現在の事態そのものに立ち向かう具体的な手段なんてわからない。それどころか、どの最新情報を並べてみても、自分と他者の安全な身の守りかたすら(生命的な意味でも、経済的な意味でも)わからないのが現在だ。
ただ、『夜と霧 新版』を読み返して、どのような状況であっても人間の精神(フランクルは「魂」とも言う。わたしは「こころ」と呼ぶことにする)は守れるということに励まされた。環境によって容易に揺さぶられてしまう、影響を受けてしまう人の弱さを理解した上で、態度が大切だということを忘れない。振る舞いが魂を決めるということを忘れない。
そうやって自分のこころを守ることは、誰かのこころを守ることでもあると思う。
『夜と霧 新版』を読んで、最も感銘を受けたのは、まさにフランクル自身の「態度」だった。彼は、収容者と被収容者、あるいは迫害した側とされた側に線を引かず、あくまで一人ひとりの態度によって、人間性によって、堕落するかどうかが決まると主張した。そこは胸に刻んでおきたい。
あと、このくだりも好き。
"ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。ユーモアとは、知られているように、ほんの数秒間でも、周囲から距離をとり、状況にうちひしがれないために、人間という存在にそなわっているなにかなのだ"ー『夜と霧 新版』