移植外科とはどんなところ?
最後は移植外科病棟です。
ここは、生体肝移植のみでした。
ここは、ドラマだらけでした。
手始めに出会した、衝撃的な思い出は、田舎の大学生(めちゃくちゃ頭いい男子)が農薬を飲んで、自殺を図り、劇症肝炎を起こし、ヘリで運ばれて来た。
母親と一緒に。
すぐに母親と男子の移植オペと急いだが、男子大学生は助からなかった。
母親は、気力を無くし、開腹後の回復を待ち、集中治療室でした。
ヘリで息子さんと運ばれて来て、自分の肝臓をサッと差し出せる強さに驚きました。
私は、母親になったらそんな事ができるだろうか。
想像もできません。
ていうか、ヘリで付き添った田舎の大学病院の医師、看護師はどうやって帰ったのだろう。
配偶者にあげるパターンもありましたが、大体女→男で、
やはり女の方が愛が深いのだろうか。
母親(ドナー)→子供(レシピ)のパターンが多く
産まれながらに胆〇〇〇〇の子供の移植が多かったです。
いずれは移植をしないと助からない、という説明をされて、若い夫婦共に抱き合って泣いている姿を、何パターンか見ましたが、やるせなかった。
10例くらい携わって、完全に退院した人は、私がいる間では、妻から夫の1人だけでした(何故か高齢)
移植のオペ後は沢山の点滴(主に免疫抑制剤で、わざと免疫を下げておく)と免疫下がって感染しやすくなるため、抗菌剤。
何故か、術後に、せん妄が多くて、ナースコールの嵐、夜勤がめちゃくちゃ大変だった記憶があります。
移植をする人っていうのはやはり、金持ちが多くて、会社の社長夫人とかでした。
新入社員の面接を、真っ黄の顔で病室でしていたのには驚きました。
病院の出入り、マジで自由すぎな時代やわー
後よくわからない金持ちは、200万円のかつらをしていたり
意外にドクターもたまにいました。
若い女の子が、術後、夜中に辛い辛い、と騒いでいて
雪が見える〜!雪が降ってる〜!
と言って点滴を引き抜くのを制止したり。
恐らく、たくさんの輸液ポンプのランプが夜にチカチカして、窓にも反射して、チカチカが嫌になったのだろう。
まぁまぁ大変な上に大体1番嫌な「拒絶反応」がたまに。
大体、急に発熱して、痛み出す。
免疫抑制剤を行く、
免疫抑制剤の為に感染する、
このループにハマるとなかなか退院が難しくなり、入院長くなって
移植って、サクッと終わりじゃ無いんだなぁ。結構大変なんだなぁと
これが正直な感想でした。
こんな、眼科、耳鼻科、移植外科が混合で、一つの病棟なわけですから、
ナースの数は以前いた脳外科の数の倍は軽くいました。
勤務表がデカすぎて、自分の名前を探すのが大変。
今日は眼科で明日は移植、明後日は耳鼻科、
マジで初めはしんどかったです。
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