母と娘の離乳食戦争
2020年1月に元気よく大音量の産声を上げた娘は、毎日ごくごく音をたてて大量のミルクを飲み、大砲のようなゲップを出し、プクプクのむっちり体型で生後6ヶ月の離乳食デビュー日を迎えた。
米農家の親戚からとっておきのお米を送ってもらい、丁寧に研いで土鍋に入れ、じっくり弱火でコトコトお粥を炊く。お米の甘い香りが部屋中に広がる頃に重い蓋をそっと開け、慎重に上澄みだけを掬い上げて小さなお皿に注ぐ。
冷めるまでじっと待つ。
果たして食べてくれるだろうか。
おいしいと思ってもらえるだろうか。
手首の内側にスプーンから一滴垂らして熱くないことを確認する。
よし、完璧だ。
絵本をかじってよだれまみれになっている娘を膝に乗せ、
「これからご飯を食べますよ。
いただきます。」
と呼びかけて
そっと口もとへスプーンを運ぶ。
白い液体が真っ赤な美しい富士山の唇に触れた瞬間、奥から綺麗な舌がにょきにょきと現れて、全てベーっと出されてしまった。
せっかく頑張ってつくったのに…
翌日も、その翌日も、その翌日も
全てべー
お粥を慣れさせ
ペースト状の野菜を慣れさせ
軟飯を慣れさせ
豆腐や挽き肉を慣れさせ
パンや麺を慣れさせ
柔かめの様々なおかずを慣れさせ
これから少しずつ大人の食事へ進めていかなければならないのに、スタートから全くうまくいかない。
頭の中は離乳食のことでいっぱいになり、気づけばいつも悩んで険しい顔をしていた。
最初は舌が出てくるだけだったが、だんだん暴れるようになり手でスプーンを払い除けられたりお皿を足で蹴られたりした。
親子共々全身お粥まみれになり、ソファーもカーペットもびちゃびちゃ。最初は大量のティッシュペーパーを消費していたが、乾いてから掃除機をかけたほうが米粒は片付けやすいと気づいてからは、我が家は常にお粥が床一面に広がっている状態になった。
どうして食べてくれないのだろう。
お米がまずい?
スプーンが嫌?
椅子が嫌?
ママが嫌?
頑張って作っても
ほぼ全て床に撒かれる。
悲しくて虚しくて
離乳食の時間が憂鬱で
泣きながらスプーンを強く握りしめた。
ゆめぴりか
青天の霹靂
つや姫
あきたこまち
だて正夢
コシヒカリ
1合分だけ減った米袋がどんどん台所に鎮座していった。
娘は食べなくてもミルクを飲んでくれているので元気いっぱいだ。でもわたしは食べなければ動けない。
どんなにへこんで食欲がなくても、わたしが動かなければ誰も娘のオムツ交換もミルク調乳もゲップ出しも着替えも沐浴も保湿も歯磨きも寝かしつけもやってくれない。早朝から深夜まで激務の夫も心配する声をかけてくれるが、声だけで子どもを生かすことはできない。
動くために、食べねば。
せっかく我が家には美味しいお米が揃っているのだからと、炊飯器をアルミホイルで仕切って全種類のお米を炊いて、梅干しと納豆となめ茸と海苔の佃煮と一緒に食卓へ並べた。
ゆめぴりかは口に含んだ瞬間にお米の甘みがふわっと広がり、噛み締めると強い粘りが印象的なご飯になった。
青天の霹靂は一粒一粒にしっかりとした噛みごたえがあって、どんなおかずにも負けない迫力がみちみちと詰まったご飯になった。
つや姫はその名の通り見た目の艶やかな美しさに心奪われ、口に入れると奥深い旨味に驚かされるご飯になった。
あきたこまちは秋田美人を彷彿させる美しくあっさりとした食感で、おかずごと作品のように見える綺麗なご飯になった。
だて正夢は、甘い香りと強いもっちり感が印象的でおかずなしでこのまま味わいたいご飯になった。
コシヒカリは、甘み旨み粘り全てが完璧で王様のようなご飯になった。
たのしい。これはたのしいぞ!
手の込んだ料理をする時間も気力もなくて、ありあわせのおかずとただのご飯。それでもなんだかとっても贅沢な気分になって、肩の力がふっと抜けて自然と口角が上がった。
ふと横を見ると、寝ていたはずの娘がよだれを垂らしながらこちらを見つめている。
「食べたいの?」
お粥さえほぼ食べられていない子に普通のご飯なんて良いのだろうかと思いつつ、急いでスプーンを取りに走りまだ自分の箸をつけていない部分をちょっぴり掬って口もとへ運ぶ。
途端にスプーンごと奪われて、唖然とする私を前に娘はむしゃむしゃと豪快に食べ始めた。
なんとまあ
急いで先ほど冷凍庫に突っ込んだ残りのご飯も電子レンジで温めて娘の前に並べてみると、
嬉しそうにきゃっきゃと声を上げて小さな両手で米粒をコネコネ潰しながら顔を洗うように食べ始めた。
指先まで丹念に舐めてニコニコ笑う娘が、
涙で滲んでよく見えなかった。
この姿をずっと見たかった。
嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
そっか。
わたしは娘に『おいしいって、たのしい!』を教えていなかったのか。
そりゃ怖い顔をして泣きながらスプーンを強く握りしめた人からご飯をもらっても、食べる気にはなれないか。
わたしが食事を心の底からたのしんでいる姿を見たから、娘は安心してご飯をたのしく食べてくれたんだ。
ご飯、おいしいね。
ご飯、たのしいね。
とても大事なことを、娘がわたしに気づかせてくれた。
その日から、娘の離乳食タイムに自分も同じものを食べるようにした。自分用には少し醤油やマヨネーズを足しつつ、二人で離乳食をニコニコ笑いながらたのしんだ。
スプーンやフォークを投げ飛ばされたり、野菜スープを床に溢されたり、麦茶をぶーっと噴射されたり、大変なことは多いけれど、二人で同じものを笑いながら食べる時間は何にも代え難い幸せなひとときだ。
口の周りを米粒まみれにしてニコニコ笑っている娘へ
おいしいって、たのしいね。
大事なことに気づかせてくれて
本当にありがとう。
この世には、君の知らないおいしいがまだまだいっぱいあるよ。
これから一緒に
たくさんのおいしいに出会って、
たくさんのたのしいを見つけていこうね。
あなたのおいしいの笑顔が
何よりも大好物なママより
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