ありがとう 50TA

 興奮冷めやらない状態で、久しぶりにnoteを開いた。

 50TA。一体どの程度の方がご存知なのだろうか。どの層に浸透しているものなのだろうか。

 中の人は、お笑い芸人の狩野英孝。もともとは、テレ朝のロンドンハーツという番組のドッキリ企画から誕生したものである。誕生は何年前なのだろうか。私がまだ小学生の頃、それも低学年だったように思える。
 好きだった仮面ライダーに出演していた女優の方が、仕掛人として狩野英孝と関わっていたことがきっかけで、その企画に注目するようになった。そんな企画もクライマックスに差し掛かったところで、狩野英孝は彼女に一曲のオリジナルソングを贈った。これこそが、後に『涙』として世に出ることとなる曲、そして、50TAという一人のアーティストを生み出すきっかけとなった曲である。

 50TAという名前は、50周年テレビ朝日の頭文字をとったものである。彼に、これはロンハーのドッキリであるとヒントを与えるための命名だった。それでも彼は気が付くことなく、田村淳にもてあそばれながら、数多くの曲を生み出してきた。遂には芸人としての道を断つとまで言うのだから、純粋も度を越えると可愛く見えてたまらない。

 騙されていると知らないまま、彼は真剣に音楽活動を続けていた。若干の心苦しさもあったものの、見ている側としては彼の持つ独創性に期待してしまっていたことも否めない。

 ライブ終盤の落とし穴によってネタばらしされ、その後は、実際にCDデビューできると思ったら他の女芸人と間違われていただけだったり、ライブをすれば落とし穴に落とされたり、心優しい人の助言かと思えば裏には淳の悪魔のささやきがあったりと、踏んだり蹴ったりのアーティスト人生を送る訳だが、それでも着実に曲を世に送り出してきた。

 何故私が彼に惹かれたのか。それは、彼の作詞センスと純粋さによるものが大きい。良くも悪くも誰にも思いつかない歌詞、不自然を不自然と案じない感性、そして目の前の物を信じて疑わない真っすぐさに、幼いながら私は夢中になっていた。
 しかし、本当の彼のすごさを実感したのは、まさに、今日である。

 あれから何年経ったのだろうか。私は大人になってしまった。数多のしがらみを見てきたし、人間の汚い部分に触れることも増えた。変わることのない大学と家の往復。毎日時間に追われていた。
 コロナ禍においては、さらに顕著に人間という生き物の内面的な愚かさがあちこちで見られ、この社会に辟易としていた。

 大学にも行けず、友達にはもう何か月も会っていない。オンライン授業を受け、パソコンの画面に負けて体調を崩す毎日だった。今PCに向かうのも少し辛いが、どうしても今の感情をここに残しておきたい。

 先日のスぺシャルで、50TAは第七世代の50PAに負けた。確かに、負けた。50PAは、50TAと同じように、自分の歌詞を信じて歌う真っすぐな人だった。彼の歌詞も、他にはない独創性があり、どちらが勝ってもおかしくなかった。そして、番組終盤の視聴者投票で、彼は、50PAに敗北した。勝者には生配信ライブの権利が与えられた。敗者には落とし穴が用意された。正直、50TA誕生の瞬間から見ていた私は、50TAに期待しているところがあった。その分、悔しくも感じた。

 翌週、私は50PAの生配信ライブを見た。母と二人で。素敵なライブだった。楽しそうにパフォーマンスする姿に、私は目を奪われた。しかし、その感情も、ある瞬間から別の感情に負けてしまった。ただ一人の観客としてライブを静かに見守る50TA、否、狩野英孝の姿を見つけたときである。彼は潔く負けを認め、50PAのライブを真剣に鑑賞していた。50PAが彼の歌をカバーすると聞いても、面白いことを何も言わず、「歌ってもらえるんですか」とただ一言、誰も期待も予想もしていない言葉を吐いた。

 完全に自信を失っていた。後のブログによると、どうやら本気で世代交代を考えていたらしい。そんな彼の哀愁漂う姿は、見ていて辛かった。いつものように、噛みついて面白く笑いにしてほしかった。心が苦しくなった。
 勿論、50PAのライブは最高だった。ぺこぱの二人が織りなすコンビネーションは、画面の向こうの視聴者を笑顔で包んだのだろう。私もその一人だ。しかし、どうしても、50TAのあの顔と姿が、私には忘れられなかった。

 そして今日、彼はテレ朝のカメラ倉庫が会場という前代未聞の配信ライブを、華やかに成功させて見せた。
 私はこの日を毎日楽しみにしていた。セトリを予想したり、毎日曲を聴いたり、最高のコンディションでライブに挑んだ。そして、今私は、かつて感じたことがないような、若しくは、久しぶりに感じるような、不思議な感覚に陥っていた。

 セトリは予想を大きく裏切られた。良い意味で。彼らしい選曲、彼らしい表現、彼らしいMCが爆発していた。その空気は、50TAにしか作れないものだと、私は確信している。

 始めこそ戸惑う様子がうかがえたが、次第に気持ちが高揚していることが伝わってきた。彼の本調子が表れた。カメラ倉庫といことでイヤモニをしておらず、一曲目でリズムがズレたときにやや不安な見通しがたったが、すぐにそれを撤回させられた。

 彼は、ほとんど意味の分からない歌詞の曲たちを、真剣に、感情的に、物凄い熱量で披露していった。セットの準備や転換、そして着替えやメイクをも自分一人でカメラの前で行う彼の姿に、頬がちぎれるほど笑った。期待をはるかに超える演出に、我が家のリビングは爆笑に包まれた。そんな不思議さはいつも通り、それでもやはり彼なりに真剣に曲を届けようとする姿に、私は、自分がいつの間にか自然な笑みを浮かべていることに気がついた。ある曲では、口を開いたまま真剣に聴いている自分に気が付いた。彼の曲とパフォーマンスは、私のすさんだ心に、温かい優しさを与えてくれた。私は、自然体を思い出した。かつての純粋な笑顔を思い出し、そうしている自分に嬉しさを覚えた。

 最も印象に残っている場面は、「紅葉に抱かれて」という曲のサビで、タオルを持った三四郎の小宮が乱入してきた場面である。50TAは何かと文句のような言い方をしながらも、それまで一人だった配信ライブに現れた見慣れた顔に、心底安心し、それまでのどの曲よりも楽しそうに歌っているように見えた。言葉では表現できないほど、楽しそうに。この時間がずっと続けばいいのに、と、本気で思った。この曲が終わらないでほしいと思った。彼には、そのようなほころんだ笑みが一番似合う。見ている側まで温かい気持ちにする、その笑顔。

 私は、涙をこらえることで必死だった。

『こんなに幸せなのに、なぜ涙出るの。』

 こんな感覚は、生まれて初めて感じたような気がした。それとも、以前にどこかで感じたことがあっただろうか。もっと幼い頃かも知れない。世界の美しさしか知らなかった頃。周りの全てが味方だと思っていた頃。

 慣れないオンライン授業。PCはいつも私の頭痛を引き起こし、めまいや吐き気のおまけがあったりする。課題は多いし、こなさなければならないタスクも沢山ある。毎日にうんざりしていた。特別なことは、ほとんど何もなかった。

 そんな毎日に、忘れていた笑顔をもたらしてくれた狩野。50TA。
視聴者や協力者に何度も礼を述べていた彼だが、本当に感謝を伝えたいのはこっちの方である。彼は、私の人生で確実に大きなキーとなった。人々を幸せにする仕事が、こんなに素晴らしいものだと感じたのは初めてだ。芸人を志す人は、みんなこのような感覚を味わっていたのだろうか。もっと前に感じていたら、その道を考えたかもしれない。それほど、私にとって彼には影響力がある。


 ありがとう。50TA。ありがとう。
またいつか、その姿を私に見せてください。
いつか、満員の会場で、大きな声援に包まれる彼を見ることが、私の生きる一つの目的になりました。

 ありがとう。


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