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人生で一番感動した瞬間。2009年11月20日葛西純VS伊東竜二【カミソリ十字架ボード+αデスマッチ】

僕は今まで色んな事で感動した。
オリンピックで泣いた、麻雀の対局見て感動したなど皆も何かしらあると思います

僕は学生の頃にふらっと観たプロレスが死ぬほど感動して、今でも新日本プロレスワールド入ったりプロレスニュースを海外から日本まで毎日観るのがもう10年ぐらい日課になってしまいました。

大日本プロレスで行われた
2009年11月20日葛西純VS伊東竜二【カミソリ十字架ボード+αデスマッチ】
今後生きていてこれを超える試合は観れないかもしれない。


プロレスは大きく分けて2つに分かれる。
新日本プロレスや全日本プロレスなどのメジャーと言われる団体。          テレビ局がスポンサーだったり東京ドームなどで大会をやったり、週刊プロレスの表紙を毎週のように飾るのがメジャー。
インディーはまず表紙はほぼないし、スポンサーもそれほどない、大きな会場でも後楽園ホールぐらい。それがインディー
大仁田厚さんがそれを逆手に取って熱狂を生んだとかはありますが、それは別の機会に。

その中でも異質も異質、デスマッチを主戦場にカルト的な人気があるのがインディー団体大日本プロレス。
2009年当時はそんな感じでした。
伊東竜二選手がデビューしたのが99年の葛西純選手戦。
それから10年経った日に実現した一戦。
それまで大日本プロレスのメイン選手だった葛西選手は2003年にゼロワンに移籍してから正直パッとしなかった。
猿キャラをやったり付き人やったり。
葛西選手のその辺りの人生などは詳しくは現在やっている葛西選手のドキュメンタリー映画「狂猿」を見てください。

2005年に転機があり当時チャンピオンだった伊東選手が葛西選手を呼び掛ける形で大日本プロレスに戻る。
そして10月にいよいよ対戦が実現しそうなときに葛西選手の内臓疾患のため欠場のため実現せず。
2006年にも二人は対戦しそうだったが今度は伊東選手の負傷により実現せず。
2007年も葛西選手が怪我。
どうにも噛み合わない二人当時のプロレスファンの間でもすごく見たいのに実現しない。 
2007年の葛西選手の怪我が膝の怪我でデスマッチファイターはただでさえ普通のプロレスとは違うデスマッチファイター日々体を傷つけて生き様を見せる。
膝の怪我は致命傷
度重なる怪我。
たぶん葛西選手は引退するんじゃないか。
そんな噂が2008年から2009年にあった。
そして2009年葛西選手の「俺たちの間には時間がねぇ、伊東、シングルでやろう」に繋がる。
そして繋がる11月20日。
対戦前の当時、僕はものすごくモヤモヤしていた「たぶんこの二人はもう一生やらないだろう、やれない運命だろう、お互いに死ぬんじゃないか、この一戦を観なかったら一生後悔する」本当に心からそう感じてました。
当日は平日だったので僕は学校をサボり、後楽園ホールに向かう。
後楽園ホールに着いたら会場から溢れんばかりの人。
当時の大日本プロレスで満員は見たことがなかった。
試合前の大葛西コール大伊東コール、試合後も二人に拍手が終わらない。
You Tubeに当時の試合がダイジェストであるがそれでは伝わらないかもしれない。
DVDもある、いやダイジェスト版でもぜひ観てほしい。
お互いの生き様と今まで苦労、引退するかもしれないとゆう背景すべてが完璧だった。

この試合は2009年東京スポーツ年間最高試合に輝いた。
これがとんでもない快挙だった。
全国毎日何処かでプロレスの試合があるし何百試合、何千試合もあったり、東京ドーム大会などもやってる試合がある。
それを全て合わせてもこの試合が年間一番凄かったとゆうことです。

それから今でもプロレスが好きです。

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