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「私にできること」はありません。それでも、いいじゃない-あるLGBTsのつぶやき-

 こんにちはor初めまして!echobaroです。明日から、仕事を休めることになり、久々にこんな時間まで起きています。
 今回はLGBTsというよりは、今の社会の雰囲気について日記のようにツラツラと書こうと思います。

 noteでも #いま私にできること というお題が出ていますね。でも私、ひねくれているから思ってしまうんです。「何かできなきゃいけないの?」と。
 上記のお題はにそって書かれている記事は(note以外でもそうですが)、コロナウィルスの感染が拡大する中で、例えば、「簡単なマスクの作り方!」「除菌の方法!」「在宅で子どもがいても仕事をする方法!」「コロナ鬱にならないために!」みたいなテーマが目につきますよね。そういった記事のタイトルを見るだけでも、「何かできること探さなきゃ!」みたいな気分になりますけど、できないことはできないんですよね(笑)私は不器用だからマスク作れないし、子どもがいる中、在宅で仕事をされる方の気持ちに寄り添うことはできても、真の理解はできません(大変さは理解しようと努めてますよ!)。

 マスクをつけるとか、三密を避ける、無用な外出はしないなどはもちろんのこととしても、「自分が今置かれている状況・持っているもの」以上のことを求められることで、追い詰められていく自分を感じます。私はできないことが多いです。無理やりLGBT関連の話と結びつけるのであれば、やはり世間一般が「普通」だと考えるような形の恋愛はできないし、求めるパートナー像も大多数の方とは違うこと思います。性や恋愛という、社会の中で重要とされている事柄について、苦しんで悩んできたことも影響してか、「無理でも、できなくてもいいじゃないか!だってそれが私だし!」という思いに30年たってやっとたどり着きました。

 お題の、「いま私にできること」に引き付けてまとめるのであれば、「何かできなくてもいいんだよ」とこの社会の雰囲気に追い詰められている人たちに声をかけてあげることでしょうか。この「何かできなきゃいけないのか」という考えは、障害者施設で研修をした時に強く感じたことでもあります。このことも、セクシュアリティとは分野が異なりますが、私の中でとても大切な経験だったので、いつかnoteで書ければと思います。

 最後になりますが、コロナウィルスにり患したことで、同性のパートナーがいることが明るみに出てしまうケースが話題になっています。これは場合によっては「え?セクマイだったの?」っと本人が意図しない形でのカミングアウト/アウティングになってしまいます。コロナから回復しても、当事者の方々が偏見や差別に合うことなく、過ごせることを願います(難しいかもしれませんが…)。

 ここまで、まとまらない記事を、お読みいただきありがとうございます!
 そして、いつも「スキ」してくれる皆様、ありがとうございます!

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