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高校でキャリア教育に関わって

今回、地域教育をかき氷という一つの媒介を通して行ったのは以下のプロセスを経ている。

5月から2月までの流れ

自分達でかき氷シロップを開発してみる(5月)
与板の刃物イベントでかき氷販売を行い、刃物文化を知る(6月)
③与板の企業でプロからかき氷と刃物文化を五感を通し学ぶ(7月)
④市内のイベントでかき氷を販売しお客さんの反応を見る(8月)
⑤自分が本当に作りたいシロップを開発する(9~10月)
⑥高校の文化祭でかき氷販売を行う(11月)
⑦来年度に向けた計画(12月)
⑧1年のまとめ全体発表会(1~2月)



活動を通しての所感

当然活動の事後には何を得ることができたか、疑問があったかなど言語化の作業を行っていく。
学校から外に飛び出すことで見える社会の景色はとても貴重で、学びに保護された環境でいかに多くのチャレンジができるか、環境を用意出来るかがカギとなる。
社会の実態を肌で感じながら、様々な価値をかき氷を通して学ぶ授業を展開した。この授業の特徴は、決して点数で評価できるような正解が一つもないという点である。
シロップ開発においては、味に正解はない。美味しいかき氷を食べてみたり、自分達で開発し美味しい物や美味しくないものなどを体験し、自分にとっての正解を導き出す作業が必要になる。自分のセンスを信じるという公教育ではあまりなじみのない事を行う。自分の価値観と他の人(社会)の価値観とのせめぎ合いを感じ取る機会の練習になる。
また接客販売も全員初めてである。本物の社会の中で行う活動とその経験がキャリアを確実に積み上げる経験となる。

売り上げ数の目標設定は前例も事前情報もない中で作ることは技術的(マーケティング)に難しいので、教育を作る場の人間はその場その場で成功するために全力で事前準備を奔走するしかない。
毎回賭けをしている状況ではあったが、全ての機会において、生徒にとって何らかの成功体験を得られる機会になったのは本当にありがたかった。社会との関わりがあるだけでも成功なのだが買ってもらう事で自己肯定感やなによりも社会から受け入れられたという実感を強く伴う。
そのおかげで、彼らは三年時に自分達で何かしたいという積極性を身に着けることが出来た。

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サンドイッチを作って売りたいという言葉は自発から発展し自立して動いていけるものだと思っている。
この社会の中で得られた成功体験の積み重ねこそが社会教育で最も重要な要素であると考える。
最後に彼らのまとめの発表を聞いたが、今後社会で活動していく中でこの経験がより言語化出来ることを切に願う。

活動機会のコーディネートには運の要素もあり、当初確実に販売を行うという機会設定は文化祭のみであった。しかし与板削ろう会や長岡市ロボカップジャパンなどイベントへの参加と販売は貴重な機会であり、地域の方や地元企業の方々に尽力頂いたお陰様で、2回の社会教育の実践の場を創らせて頂いた。何よりも貴重な土曜日や夏休みの期間にイベントへの参加を許可した学校の配慮には大変感謝している。

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活動における重要点


年間スケジュールを通して
(Ⅰ)生徒のモチベーションを引き出す、維持すること。
(Ⅱ)安定的な学びの提供。

この二つが重要な要素である。

(Ⅰ)に関して言えば、良い生徒を学校側の配慮でチーム作りをして頂いたのもあるが雰囲気はさほど悪くなかったし、生徒の実態も特に大きな問題はなかった。教師と生徒の間柄ではなかったのも大きな要因かもしれないが、陽気なおっさんと生徒の関係性の中で創り上げる関係性は授業であるが故対等ではないが教師程厳しくもなく、程よい距離感を創れる関係性となった。
雰囲気作りとある程度の見通しをしっかりと持っていれば特に問題なく進められるなという実感を二回の授業を通して感じ取ることが出来た。

雰囲気を大事にする中で、彼らのやりたいことを引き出し、それを実際にやってみる機会をなるべく多く設定した。こんなシロップを作ってみたいとなったら実際に素材を用意し作る。このおっさんはマジでやるタイプの方の大人という認識を持ってもらうためである。

このイベント出店で彼女を作る、または有名人に会いたいというちょうど良い邪な理由を作って活動も展開した。しょうもない話を組み込めるのも部外者だから出来るなと踏んで行った。
広瀬すずさんに会う事は出来なかったがイベント出店した際にはミスインターナショナルの杉本雛乃さんと生徒は写真を撮ることも出来た。美人にドギマギする姿もほほえましかったが活動する事で想いが叶うというちょっと横に反れた成功体験も実現することができた。もちろんこれも一切確実性はない小さな賭けではあった。外に向けて動く事で文化資本だけでなく社会関係資本の広がりを感じ取ってくれればと切に願う。

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ちなみに夏休みのイベント出店は完全に任意で行った。
五名中四名がやってみたいと手を挙げてもらったことも非常にありがたかった。一人でも手を挙げれば御の字で、私が一人でかき氷を売ることも想定していた。やりたい人がやれる環境にしたのは、モチベーションを保つためである。

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学校はやらせることを基本としているが、そこを部外者がやらせても残念ながら絶対に自分事として活動に身を投じることは難しい。
いかに学校らしくない授業で、学校の中で非日常的な空間を当たり前にしていくかが私の中での課題で取り組んだことでもある。学校という特殊な社会環境をどうやって一般社会と同じような形へ広げられるかは、今後も保守的な新潟県の教育課題の一つであると考える。


もうひとつ、(Ⅱ)である。
より外へ行く機会を作るがために奔走した。学校側も常に綿密に協議し支援して頂いた事もあり、早めに事前連絡を行い予定を埋めることが出来たが、運の要素があまりにも強く毎年同じことが出来るかという確証は来年度も一つもない。その辺りは大正自由教育運動と同じ命運に近いものを感じる。
教育の質を高め安定化させていくことが公教育の必然性である中で、日常の業務にプラスして不確実な状況を戦い続けられる教師はほとんどいない。何よりもいずれ転勤するので維持できない。
確実性の低さは常に起こりうることであり、安定性の確保のためにも地域団体と連動し地域教育の質を高め、地域や社会教育の保障や場の確保などに今後動いていく必要がある。

最後に、

これを民間が仕事として行う場合は一切儲からない。
完全にCSRやCSVとしての試みとなる。
そんな中で地元企業のサカタ製作所さんや地下甘味処まつみさん、長岡市の行政や与板削ろう会さんの支援には心より御礼申し上げます。
地域と公教育に橋渡しを行えたこと、その影響力はすぐには表れることもなく、バタフライ効果程度と私は考えている。

そして何よりも偏差値とは関係なく、それぞれが一人一人の人として見た時に、ちゃんと物事を考えられる生徒達であったという事を記しておく。
学校の質で総ては決まらない。引き出せる環境であれば人は変わるし変わりたいと願って動けば人は変わる。
夏休みの販売では、真剣な表情で販売という仕事を行い、お金を生み出せる行動を生徒たちは自発的に行えていた。授業を通して社会的な価値を生み出せたのだ。
それを保証できるのは私が時給を払ってでもかき氷屋で雇いたいと思える人材になっていたからでもある。この時点で、一つのキャリア教育としての成果が出たと思っている。
価値を生み出す事は、その人自身の可能性を自身が引き出せることである。
そのために社会環境が総活躍社会に向けてシフトしなければならない時期に差し掛かっている。具体的な在り方を大人が見えていなければならない中で生徒にそれっぽい事をさせても人の可能性は上がらないし感じ取ることも薄いだろうなと強く感じた。変わらなければならないのは、常に社会に関わる当事者である当人である。

今回は大まかではあるがこの活動の簡単な総括として、キャリア教育のコーディネーターの活動内容をここに記す。

今後も地域の教育発展のために何が出来うるかを考え一つずつ実践を行う次第である。





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