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ドッキドキ、港区女子とのクリスマスディナー

今日はもうすぐ交際半年になる彼女との初めてのクリスマスデートだ。中華が好きな爆美女の彼女のために念入りに食べログで店を調べ上げ、気合いを入れて10月から六本木一丁目の店で1人2万円のディナーコースを予約した。新卒で不動産会社に勤務し始めて1年目の僕にとっては身体が固くなる高級店だ。

しかし父が経営者だという彼女にとっては特別な様子はない。ジャケットにシャツでキメてきた僕とは対極にいるような緩めのニットにデニムの彼女。隣の席のカップルも畏まった服装どころかお揃いのニットのセットアップというラフさで、それでも腕にはロレックスが存在感を主張するように輝いていた。

テーブルに置いてあるメニューには高級食材がずらりと並んでいた。僕はくるりの『琥珀色の街、上海蟹の朝』でしか上海蟹を知らない。彼女が「グラスシャンパンにする?」とメニューを見て言った。1杯2200円。彼女は酒が強いから5杯は飲むだろうが、ケチって格好悪いところを見せるわけにはいかない。

笑顔でシャンパンのオーダーを受けたウェイターが「蒸しご飯にプラス2500円で黒トリュフ、上海蟹を追加できますがいかがなさいますか?」と僕に聞いた。「えーどうする?」と試すかのような笑顔を向ける彼女。何かの試験なのだろうか。明らかに背伸びして来るような店ではなかったことを思い知った。

「要らねぇに決まってんだろ会計5万は超えるじゃねぇかこちとらプレゼントのセリーヌのノットリングも2回払いなんだよ」と叫びたいのを抑え「じゃあトリュフ追加で」と答えた。少し声が震えた。これは一瞬のハラスメントと呼んでもいいのではないか。「じゃあ」と言わざるを得ないハラスメントだ。

店全体から「クリスマス限定コースの枠を埋めたからには金使え」という圧を感じる。選択肢があれば選ばなくてはならないし、選ばなければ貧乏人という扱いを受けるに違いない。コースが進み食べたことのない上海蟹や伊勢海老に舌鼓を打つ振りをする。彼女は料理に合わせてワインをオーダーしてゆく。

デザートの前に出てきた蒸しご飯には元々フカヒレとフォアグラも入っていて、追加した黒トリュフの香りはほとんど主張を感じなかった。追加したことによって格段に美味しくなる訳でもなく、彼女は僕のようにシェフがトリュフを削っている姿をムービーに収めなかった。彼女にとっては日常だからだろう。

彼女は終始上機嫌で春から勤めるキー局の話をしていたが何も耳に入ってこない。僕はキリの良いところでトイレに立つと、壊れたおもちゃのようにギクシャクと足が動いた。疲労感に襲われトイレで思いきり深くため息をつく。しかし今日こそ彼女の部屋に行きたい。それだけが僕の身体を突き動かしていた。

漬物石のように重たい足を運びトイレを出ると、ウェイターと彼女が楽しそうに会話をしていた。その様子があまりにも弾んで見えたので呆気に取られながら席に着くと、彼女は「本当にここ大好きなの。美味しいよね」と言った。彼女は前にも来たことがあったのだ。不意に鳩尾を殴られたような気がした。

嘘でも「うわあ、初めて」と喜んでくれたならどんなに救われただろう。僕と彼女と住む世界の差に言葉が出なかった。ウェイターが会計を持ってきたので銀色の楽天カードを出すと、彼女は見てはいけないものを見てしまったかのように視線を逸らした。悪かったな、アメックスのプラチナカードじゃなくて。

すっかり酔いも熱も冷めて71000円を店に支払い店を出た。彼女に「家に行っていい?」と聞いたが「汚いから今度ね♡」とかわされた。僕が住む北千住までピンヒールを履いた彼女が電車でついてくるわけもなくタクシー代を出せる余裕もない。彼女と朝まで過ごせるだろうという淡い欲望が消失した。


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