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たまたま竹、しかるべくして竹

今の時代に生まれて、どこで何をして、何を残すのか。

人生は1回で、興味や想いがあるなら、アクションすべきと、気持ちの赴くままに生きてきている。敷かれたレールを歩むことや、ゴールが概ね見えている安心感を求める生き方は、なんか面白みがないので、周りの意見・価値観に従わないスタイルできている。


大学・大学院の6年間、電気自動車に搭載するモーター(駆動源)の研究を行ってきた。いろんな学会に出て発表し、優秀賞も受賞し、大学院の博士課程への進学を教授から勧められた。
でも、社会に出て、揉まれて、自分成長をもっと加速させたいとの想いから、外資系コンサルティング会社へ就職することにした。初めて、東京で住むことになり、田舎育ちの自分には、東京に友人もいない環境でスタートを切った。


大企業での仕事も少しは慣れてきたころ、自分の未来について考え始める。目の前の仕事「経営コンサルティングのお客様の企業課題を解決する」ことは楽しい。解決することで喜んでいただけるから。
でも、自分以外でも解決できてしまうのではと強く思いはじめ、自分の存在意義はどこにあるのだろうと考える日々がはじまった。


何か自分らしさを身に付けたいという想いから、自分の才能(長く続けられて自分の能力を鍛錬できる要素)とは何かを客観的に炙り出した。
田舎生まれ・育ちで、自然と共に暮らしていた幼少期。父親の趣味(鉢植えの花育て)の影響もあり、花を活かすことを身に付けようと決心。


近所のフラワーアレンジメント教室に通い始める。今でもかもしれないが、当時は男性が花を習うこと自体が世間の価値観(メディア影響力)により、変な人という風に見られた。でも、そんなことに負けじと続ける。半年も経ったころ、今の自分が歩む道を考え始める。フラワーアレンジメントという世界では何か足りないのではと思いはじめ、華道の教室も同時に通うことに。それぞれの世界観と技術があり、ますます花の世界にのめり込んでいく。

華道を習い始めて、名前(芸名)を頂けることになった。
その名は、一竹(いっちく)。
※所属流派では、数字の一が必ず名前に入ってくる。

最初は、竹ってと思っていたが、松竹梅と言われるように、
家元が松で、その次にという位置づけで竹があるとのことを理解し、
とてもありがたき名前と思い始めた。そして、伝統的なスタイルを踏襲しつつも、自分の世界観を表現できるようになってきた。

デパートで開催される華道展に出展し、独特の世界観を表現し、にわかに一竹という華道家が認知され始めた。自分で自負できるのは、田舎育ちであることから、多くの自然の姿を見てきているので、花を活かす空間も脳裏にある風景を再現できる引き出しの多さだと確信が芽生えてきた。

今日はここまで。

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