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カレー屋流「休学」のススメ

2018年4月〜2019年4月までの休学の話。この一年間で自分の人生はこれまでと全く違う「意味のあるもの」に変わってしまった。

休学とは

時間をお金で買える唯一の機会。学生の特権。圧倒的暇を生み出すこと。20年間ずっと続いてきた教育から距離を置くこと。自分の意識で毎日を過ごすこと。時間に縛られないこと。

だと思う。

社会で生きている限り、お金、時間、人間関係etc...様々なものに追われて生きることから免れない。特にボクら学生は、

授業・宿題・部活・クラス内のヒエラルキーなど

常にナニカに縛られて生きている。

だから、自分で考えて決断する機会がとても少ないように感じる。毎日誰かに決められたやるべきことに追われたり。誰かの意見や、考え方に流されたり、固定概念という誰かが決めた常識や他人からの目にを気にして正解を追い求めたり。

その中から抜け出す手段が「休学」だと思う

イイ子になり過ぎてしまう

これまで大人が培ってきた社会構造、「大量生産」「大量消費」「年功序列制度」「縦社会」「画一化された教育方法」によってボクらはイイ子に育てられた。

例えば、高度成長期の工場を思い浮かべてほしい。

ひと昔の日本の製品は、「品質が良くて」「安い」ことが日本ブランドの価値とされていた。だから生産すればするほど売り上げが上がっていた。その工場における価値ある人材は「正確に」「効率的に」「ミスなく」仕事ができる人材だった。

だから、学校教育では個性が潰されて、集団としてのまとまりのよさが重視される。教師のマインドも生徒の個性や感情を受け入れるのではなく、否定してしまう。

その結果、ボクらはイイ子にならないと褒めてもらえない。

イイ子になった結果、自分のやりたいことが分からない。

自分がナニモノか分からない人になってしまう。

自分にとっての「休学」

休学はボクの人生を180度ひっくりかえし、全く新しいモノに変えてしまった。

自分は固定概念が強い人間だと思う。親の期待や、周りからの目を気にしてイイ子になろうとしていた。だから、自分がやりたいことというよりは何が正解なのかを追い求めていた。大学に進学するときもなるべく偏差値が高いところに進学できるようにと思っていた。

その全てを刷新したのが、休学中に会った人たちでした。

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人と繋がる

私は、去年一年間でとても多くの人と繋がることができました。その人たちはそれぞれの考え方を持っている人たちで、それぞれがジブンを持っている人たちでした。自分の大切にしている価値観や、作りたい世界観を持っている人たち。私は、そんな人に憧れを持つようになりました。起業家の方や、アーティストの方、サラリーマンの方、漁業関係の方。

人は、一人一人唯一無二の存在で、自分も誰に変わることのできない存在なんだということを感じました。

何もできない自分から、ナニモノかである自分に変わった。

そこで気づいたことが、ナニカをできないと誰かに認められないということではなく、すでに自分はジブンであることでした。

そして、自分が自分であることを表現することが自分のやっていきたいことだということに気が付きました。

私にとってのかけがえのないその手段がカレーでした。

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