『津軽』太宰治

私は全作品の中から何か一篇だけ選べと云われるなら、この作品を挙げたい。―亀井勝一郎

太宰文学のうちには、旧家に生れた者の暗い宿命がある。古沼のような“家"からどうして脱出するか。さらに自分自身からいかにして逃亡するか。
しかしこうした運命を凝視し懐かしく回想するような刹那が、一度彼に訪れた。それは昭和19年、津軽風土記の執筆を依頼され3週間にわたって津軽を旅行したときで、こうして生れた本書は、全作品のなかで特異な位置を占める佳品となった。
詳細な注解を付す。

太宰は代表作をいくつか若い頃に読んでそれなりに面白かったけれど、特に強く惹かれるものもなく来てしまったのに、何故この年になってまた手に取ったかというと、最近青森県の美術館がとても面白そうで、青森に旅してみたい気持ちがムクムクと湧いてきて、青森の旅といえばこの本が思い起こされたからだった。

紀行文(ノンフィクション)だと思っていたけれど、どうも創作も入っているらしい。太宰ファンには何処が事実で何処が創作かを腑分けすることも楽しいのかもしれない。既述の通り僕はファンでもないのでそういう観点の興味はない。

いくつか印象的な、そして小説的な場面があって、それらは太宰が旅先で出逢った懐かしい人たちの言動で、さすがに太宰の筆の冴えは彼らの個性を魅力的に描き出している。

しかしこちらは、青森に旅に出るなら、という気持ちで読んでいるので、特に観光名所の紹介もなく、歴史風土や生活文化についての記述もあるにはあるけれどあっさりとしていて、あまり“津軽に旅に出ようぜ!”とアジるような雰囲気もなく(そんなものを期待するほうが間違ってる)、何だか拍子抜けというかはぐらかされたような印象。

紀行文として読むのではなく、やはり太宰の小説作品として読むべきもののように思える。

解説は日本浪曼派の亀井勝一郎(新潮文庫の太宰の解説は全て奥野健男だと思っていたけど違うのね)。太宰とは生前親交が深かったらしい。坂口安吾が法隆寺をぶっ壊して停車場にしてしまえと書いた文章を読んで、てっきり無頼派は保守主義とは相容れないものと思い込んでいたけれど、そういうものでもないみたい。

アマゾンの紹介文に“詳細な注解を付す”とあるように、とにかく注が多い。小説の場合、注は読書のリズムを損なうので多ければ良いってもんでもないと思っているんだけれど、本当に呆れるほど多い。

“それに注、要る?”と思うようなものも多いし、“あれには注つけてこれには付けないの?”と思うこともしばしだし、“それって説明になってる?”というような注も少なくなかったりして、詳細な注解というのはあまりアピールポイントにはなってなくて、むしろあらずもがな、という気がする。

“マント”に付けられた注は

袖のない外套

マントを知らない読者は外套なら知っているのだろうか…?

“羽織って”にも注がついていて、

羽織を着るように、上からうちかけて着て

マントを知らない読者を想定しつつ、その説明に羽織は使って良いんだ。しかし読者は“羽織って”というのが分からないだろうから、注を付けるんだ。そして、“羽織って”が分からないだろう読者は、“うちかけて着”るのは分かるんだ。ふ〜ん。

すいません、やっぱり太宰とはあまり相性が良くないようで、こんな感想になってしまいました。

しかし、長い序編を過ぎて始まる本編の冒頭、

「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ」
「あなたの(苦しい)は、おきまりで、ちっとも信用できません」
「正岡子規三十六、尾崎紅葉三十七、斎藤緑雨三十八、国木田独歩三十八、長塚節三十七、芥川龍之介三十六、嘉村礒多三十七」
「それは、何の事なの?」
「あいつらの死んだとしさ。ばたばた死んでいる。おれもそろそろ、そのとしだ。作家にとって、これくらいの年齢の時が、一ばん大事で、」
「そうして、苦しい時なの?」
「何を言ってやがる。ふざけちゃいけない。お前にだって、少しは、わかっている筈だがね。もう、これ以上は言はん。言うと、気障になる。おい、おれは旅に出るよ」

こういうのを読むと、やっぱり太宰は上手いなぁ、とも思います。こういう読み処が何箇所かあるので、楽しく読めるのは間違いないです。好きか嫌いかはまた別の話で。

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