『芭蕉紀行文集 付 嵯峨日記』中村俊定校注

松尾芭蕉の紀行文を集めたもの、芭蕉といえば『奥の細道』で、あれはそれだけで一冊の本になるだけの分量があるのだけれど、それ以外の短い紀行文を集めたのが本書。

『奥の細道』は、細やかに旅先の情景やそこを訪れた芭蕉の心情などを記し、文章はよく彫琢されているのに対して、ここに収められたものは、古跡を巡る蘊蓄も少なく、構成もあまり練られておらず、全体にあっさりしている。

それでもところどころ歴史の無常や、人の世の儚さを落ち着いた視線で観察する芭蕉の批評眼は健在で、「笈の小文」のラスト、瀬戸内の海に平家滅亡を幻視するくだりなどは、義経主従の滅びた地に涙した『奥の細道』とよく対を成している。


「野ざらし紀行」にある捨て子についてのエピソードをどう受け止めるか。

袂(たもと)より喰物なげてとほるに、
  猿を聞人捨子に秋の風いかに
いかにぞや、汝、ちゝに悪(にく)まれたるか、ちゝは汝を悪むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ、唯これ天にして、汝が性(さが)のつたなきをなけ。

芭蕉のフィクションでは?とする学者さんの解釈も見たけれど、「野ざらしを心に風のしむ身哉」と発句し、たとえ行き倒れて死すとも、という強い決意で旅をする芭蕉には、父母に捨てられた子どもの運命も、明日をも知れぬ自身の道行きも、同じく人の世の無常であっていかんともしがたいと思っていたのだろう。お互い明日もしれぬ身は同じ、同情したところで救ってやることもできぬ。そういう厳しさが芭蕉にはある。

一方、長野を旅した「更科紀行」の、月を観ながらの酒宴の様子は何とも物好きな気配で、楽しげだ。酔っ払って「ふつつかなる蒔絵をした」という。都の人はそんな田舎じみた遊びはしないだろう、と自虐しつつ、「思ひもかけぬ興に入りて、碧碗玉卮の心地せらる」と興じている。

あの中に 蒔絵書きたし 宿の月

この酒宴の場で読まれた一句が、集中一番のお気に入り。

「嵯峨日記」は紀行文ではなく、嵯峨の落柿舎(弟子の結ぶ寂れた庵)に滞在した日々の日記。数年前京都に行ったときすぐ近くまで行ってたのにその時はまだこの本を読んでなくて落柿舎と言われてもピンと来ず、素通りしたみたい。あぁ勿体ない。

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