『牧水の恋』俵万智

旅と酒の歌人・若山牧水は、恋の歌人でもあった――。

白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
幾山河越えさりゆかば寂しさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく

これらの名歌が生まれた背景には、小枝子という女性との痛切な恋があった。
若き日をささげた恋人の持つ秘密とは?
恋の絶頂から疑惑、別れまでの秀歌を、高校時代から牧水の短歌に共感し、影響を受けてきた俵万智が丁寧に読みこみ、徹底した調査と鋭い読みで、二人の恋をよみがえらせる。スリリングな評伝文学。

主に1978年に刊行された『若山牧水新研究』に依拠しながら、牧水最初の恋の顛末を描く評伝なのだけれども、単に年表風に時系列を追うのではなく、牧水の短歌を精緻に読み解くことで、それぞれのフェーズにおける牧水と小枝子それぞれの心情や情念を炙り出す、俵万智の読みの鋭さが凄い。

何時、二人の恋は始まったのか?―冒頭から謎解き小説のようなスリリングな考証。そして次第に深まっていく二人の恋の道行きを、見てきたかのように語る俵万智。それら全てが牧水の短歌の読み解きによってなされる。そしてそれらがすごく説得的なのだ。

まさに歌人にしか書けない評伝文学。

牧水と人妻の許されぬ恋を読み解くのに、『チョコレート革命』の著者ほど相応しいものもいないだろう。

それにしても牧水の情念の激しさ、愚かしさは、身を切られるように痛い。恋は人を盲目にするというが、多かれ少なかれ、牧水の愚かしさを我が事のように感じない人には、この本はきっと響かないだろう。僕はもう、読みながら何度身を捩って悶えたかしれない。あぁ、牧水は我なり!

面白いのは、だいたいにおいて牧水に寄り添う俵(この本を描く過程で、自身が思いの外牧水に影響を受けていたのだと再発見している)だけれども、時折ふっと身を剥がして、牧水の愚行に冷静にツッコミをいれる。そのツッコミがまた的確で、女性からしたら牧水の激しさというのは時に困惑や迷惑でしかない、という冷徹な事実を突き付ける。その、牧水に寄り添った視点からツッコミへ切り替わる際の塩梅がまた絶妙に面白い。

牧水の短歌を読み解いて牧水と小枝子の恋の道行きを辿った俵は、俵に従ってついてきた読者に、最後に強烈な一文を突き付ける。この文章は是非原典に当たって欲しいので引用はしないけれど、最後のこの一文に、本当に打ち震えた。優れた恋愛文学、例えば山本文緒の『恋愛中毒』に匹敵する幕切れ。俵でなければ辿り着かない文章だと思う。

恋をせずには生きられなかった牧水への、やはり恋をせずには生きられなかった俵万智からの、最高のリスペクト。名著中の名著だ、個人的に。

追記
文庫の帯に文章を寄せているのは俳優の堺雅人さん。帯に入り切らなかった全文が版元のサイトで読めます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?