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【鉄面皮日記】23/08/03. 箱男の虚夢。

落ち着け、と自分自身に云いたい。
どうもいけない、自身の範疇を超えると急にそれは怒りへと変わる。
怒りは一種のパワーともなりうる。
負けるもんか、なに糞コンニャローって暗黒面の力を借り、
火事場のクソ力ではないが、思った以上のバカチカラを発揮する場合もある。
それは欲望とも似ていて、 I can't get no satisfaction,
満足できない状態が満タンになることはない。
どんなに補充しても追いつかないほど欲は渇望していて、乾ききっていて、満足することはないのが常。
「どろろ」(手塚治虫)に出てくる、どんぶり飯を無理やり喰わされる長者のように、妖怪から喰え〜喰え〜と差し出される米で腹がパンパンに膨れ上がっても、まだ渇望は収まらない。
「AKIRA」に於ける鉄雄でもいい、もう自身でも制御できないくらいにあらゆるものを喰らい、どんどん膨れ上がっていくというのが、欲望の成れの果てである。
宇宙は膨張しやがて収縮へと向かい、そしてビッグバンと同じ高密度状態に逆戻りしビッグクランチで幕を下ろすという。
なにが始まりで終わりなのか、地球46億年、たかが600万年前の猿が、たかが2,30万年のホモサピエンスが、なにを分かろうというのか、たかがたかがでたかがじゃないか、と。
大風呂敷を広げれば広げるほどに人の理解の範疇を逸脱し難解となり、
されども単純明快にすればするほど答えは散逸し行方を眩ます。
答えがないのが正解で、自身で決めてしまうことが自由の制約となる。

さて、最初に戻り、自身に落ち着けと云いたい。
風呂敷を広げるのはいいが、それにゃ何も入ってないじゃないか、怪談か!?
せめてなにか包んでおこうじゃないか、失礼すぎるぞ。

では怒りについて、この反パワーは利用如何では有意義にもなりうる。
その矛先の問題かと思われ、平坦な生活の薬味ともいえる。
ええ、それがないと、あまりにも無味乾燥でロボットにでもなったような気がします。
仕事で小言をくらうと発奮し、いつもより余計に動く。
僕がゴジラだったら放射能熱射を吐き散らし、倉庫全部を焼き払っていますが。
でも見渡すと周囲はお爺さんばかりなので、ハッと我に返って唾を飲み込み、平静を保つ。
老い先短いご老体をぶち殺すのも想像の中でなら許されるし、つまらないルーティーンの刺激にもなる。
いいんですよ、相手もガス抜き、こちらも暇つぶし、それで賃金を頂くのです。

いろいろ比較していくと、自分は労働を舐めていたことにも気付く。
今までずっと遊びと仕事は紙一重だったような気もしてくる。
でもどんな心持ちであったとしても、30年以上それでやってきたコトにもっとも驚愕する。
よく生きてこられたな、と。
そう考えると、逆にどんな胸の内で仕事をしようとも、なんとかなるという証明でもあろう。
あ、だから儲けられないのか!
まぁいいや、くるくると旋回してしまうが、きっとこのやり方が向いてるんだろうから、
少しづつでも改善しつつ、余生をできる限り遣り過ごしていこう。
僕は労働が嫌いです。
ずっと遊んでいたいけれども、時にはその欲望を抑え込む反作用が必要なのです。

空調の悪い倉庫内で、ただひたすらベルトコンベアーで運ばれてくる箱を、地域別にカゴ車、或いはパレット台に運ぶ労働を続けます。
汗でべちゃべちゃになったり、すごく些細な嫌なコトもあったり、地方の方言がよくわからず会話もしません。
でもそれは夢を見させられているのです。
水槽内でぷかぷか浮かんだ脳に与えられた余暇、電気信号でそういった労働体験もできます。
そのシチュエーションを終えたら今度は何をしようか?
もちろんその体験中には、今までの一切の記憶は抹消され、新たな記憶下でそれを味合うよう設定されており、新鮮さは失われません。
そうやって何十年、いや何百年と生かされ続け、たくさんの人生を味わうので水槽内に意識が戻った時はとても博識で、また次の今生を切望するのです。
はて何のためにそれをするのだろふ、悟りの境地へ達するためか、はたまたただの遊戯であろふか。
そんな妄想で時間を遣り過ごし、箱男の労働はまだ暫く続くようでございます。