【鉄面皮日記】23/05/22. Rat Race. "掃除屋"
今日も今日とて配送仕分けのアルバイト。
どうやら沸点に達したようで、余計な思考を使わずともある程度身体が仕事を覚えたようだ。
沸騰したら、火を落とす、そうするととぬるま湯となりやがて冷めていく。
もうその時点でここでやるべきコトは終えている。(気持ちの中で)
そして惰性の方則が働き、ただただカロリーを消費し、時間を賃金と交換するだけの亡骸と成り果てるのだ。
こないだ働きアリのようだと云ったが、どちらかといえばあのネズミがくるくる回す車にも似ていて、無益にただカラカラと車輪が回っている態である。
働いて働いてそれで空回りし続けているコトに本人は至って満足げ。
されどもそれに気が付いたとて、回せば賃金が発生するのだから、つまらない邪推は消し、ただ回すだけ回しお給金を得るコトが得策のようである。
"掃除屋のバイト"
僕が初めて働いたのは16歳くらいの頃。
アルバイトニュース的な紙面で見つけ雇われた清掃の仕事でした。
たぶん年齢が基準に達していなかったようだが、その当時はあんがいアバウトで、人手も足りなかったのかすぐに採用された。
場所は麻布にあった外国人学校の清掃業務で、当時の僕は高校を中途退学し海外へ行きたいというザックリした夢しかなかったので、ここなら英語が自然と身に付くかも知れぬという野望を持ち、よくよく考えてみれば掃除は生徒が下校した後なので外人と逢うこともなかろうに、だだっ広い無人の校舎で掃除機を操るのであった。
すごくハイカラな校舎だった。
麻布という場所柄もそうだが日本の学校とは違った洋館、外国映画で見たような匂い、しかしえらくゴミがすごい。
後に東京ドームの清掃もやったことがあるが、野球が終わった後の無人の球場を想像してほしい。
飲み捨てられたビール紙コップ、お菓子の類い、応援に使われたであろう残骸が山となって捨てられてる。
あれは客席の上から下へ人海戦術で落としていくのだが、もう下の方は雪崩のようにゴミで埋まって無惨である。
外人は汚い、ゴミ箱を利用するという観念がないのだろうか、どこもかしこもクズだらけ、ガムも吐き捨てられてる。
うんざりしつつも、まだ思春期の僕は、渡航の夢を抱きながら掃除機を走らせた。
ここには主任と呼ばれるネズミのような上司が住み込みで居て、地下室にある狭い小部屋に居を構え、管理人の仕事も併用していた。
今思えばたぶん40歳前後くらいだろうか、家電フェチでカタログを眺めてはニヤニヤして、とても薄汚れた感じだった。
その主任はこの清掃会社の社長の弟で、兄の社長は高級日本車でスカしたイケすかない野郎だった。
この学校以外にも、三茶のドラッグストアだの臨海辺りの新築マンションだの行かされ、床のワックスかけなどやる。
あのポリッシャー(床用洗浄機)は、けっこう荒くれで慣れないとすぐに跳ね上がってしまうので両手でバランスを取らなければならぬ、それからT字ワイパーで水をかき、モップでワックスを塗って乾拭きするんだ。
ポリッシャーを任された時は、少し偉くなったような気がした。
約半年くらいのバイトだったが、その時期の半年はものすごく悠長で、そこで出会った人たちとの交流、例えば親睦費とかいう名目でバイト料から差し引かれていたお金について、後から入った大学生と結託し抗議したりとか、そんなような青臭い事件とかもあった。
それもバイト仲間の飲み会の積み立て金だったりして、会社は良かれと思っての事だったろうに、世間知らずの子供であった。
(でも僕16歳だし、法的には酒飲めないし、けれども飲まされてたし、なんだかなァ)
それからここを辞した後、東京から千葉浦安へと越し『青の時代』中古レコード時代へと向うのである。
以前から書いてみようと思っていたバイト遍歴を少しばかり。
約40年前の昭和、The Who "Baba O'Riley" のような四重人格の僕がいる。
Teenage Wasteland てな、いやまぁ、Rat Race ですよ、所詮は。
写真は約8年ほど前、たまたまリサイクルの仕事で通りかかり、懐かしさの余りパシャリと。まるっきり時間が止まったかのようにそのままだった。もちろん主任はもうそこには居ないだろう、たぶんきっとかなり。