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【鉄面皮日記】23/05/20. とりあえずダンス

機械の歯車となり、空調の悪い倉庫内でじっとり汗ばみつつ、特にストレスなく働いています。
ストレスレスは嘘であるが(もう労働それ自体がストレスなの)、
余計な感情がない分、ベルトコンベアーで運ばれてくる荷物を黙々と仕分けしていくだけ、
これはすごいぞ、脳みそが溶けていくようで、トルエン吸うよりトロトロなので無我に入っていく。
無我の境地に至り涅槃に入っていくというコトは、もはや死に近い領域なので、身体が動いていても心は寝ていて、もう暫く経てばどこか気絶していても勝手に自動化し、自身をAI化していくかも知れぬ。
詰り、いちいちハードディスクに記憶せずともRAM(この場合身体で覚えるということ)で読みとって高速化するまでが大変なのだけど、一度覚えてしまえば簡単かつ思考せずとも、仕事がこなせるようになるのだ。

皿洗いとは、洗った皿を元あった場所に仕分ける仕事。
僕の嫌いで苦手なコト、その場所を記憶するコト。
今回の仕事、配達物を地域別に仕分ける仕事。
要約、否、ようやく仕事(労働)というものを理解しつつある齢50過ぎであった。
好きや嫌いでなく、それを覚えるというコトがすなわち仕事なのだ。
今まで何を勘違いしていたのだろう、お金を稼ぐというコトは嫌なコトをすることなんだ。
そりゃあ好きなことだけして稼げればそれに越したことないが、
或いは嫌いでも好きになってしまうという手もあるが、
とにかく働きたくないのだから先っからお話しにならぬのであるが、
稼がなければ生きていけないから、是が非でも働かなければいけない。
当たり前だのクラッカーなのですね。

コンベアーで運ばれる箱を地域別にカゴ車まで持っていき、一杯になるとトラック先まで持っていく。
その繰り返しで、無限にも思える時間を遣り過ごす。
カゴ車から下ろし、パズルを組み立てるように器用に荷台に組んでいくトラック運転手、彼らは高給取りだ。
それぞれに箱を積んでいくスタイルに美学を感じる。
僕らはそこまでしない仮仕事であり、ただ仕分けるという作業のみである。
それにしても働きアリのようだ。
僕が一番若手であり、他の作業員はゆうに60歳は越えていてヨボヨボで心配になる。
アリはとにかくせっせと荷を運ぶだけ。
時給930円の重みが僕をナーバスにさせやがる。
それでも歯車は歯車として、しっかり絡んで回らなければいけない。
これは手渡しで運ぶリレーであり、工場から出荷、流通を経て顧客へと配達され、それから個人消費者へ。
箱の中身は知らない。
精密機器らしいが知ったとしても意味はない。
見える物は、様々な形状、重さの箱でしかない。
ふとベルトコンベアーに乗った箱の中に入って運ばれたい、
なんて妄想をして遣り過ごすんだ。

とりあえずダンスだ。
とりあえずビールでもいい。


働き蟻の職場