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【鉄面皮日記】22/07/07.七夕ベイベ

七夕ベイベ。
織姫と彦星が天の川で逢引するのよね、一年に一度、かなり萌えるだろね。
もっといろいろ意味があるんだろうけれど、今はそれで、天上のどっかで入れたり出したりしてる二人を見守ろう。
もしかしたら人と人の関係てそれくらいのスパンが丁度いいのかも知れない。

「僕の6月をよこせ!」とKMくんが激昂した。
壁に貼ってあるカレンダー(6月の)を巡り、女性のAMさんと睨み合い。
一触即発、とはこのことか!
AMさんはかなり尖ってる、我関せず度がかなり高い、独自レーダーで独立独歩だ。
鳥のような姿見、パッと飛んではスッといなくなるような素早さ。
鋭い眼光のAMさんと、どでかいKMくん、その間には6月の剥がされたカレンダー、
ヤベーぞこれは、と誰もが固唾を飲む。
剥がされた6月の紙を手で押さえ睨みつけるAMさん、凝固する時間、
そこへ割ってはいる熟練の職員さん、
「二人で半分づつ、分けあいましょう」という妥協案を提案、
こりゃまるでマフィアの抗争を見てるようだぞ、
殺るのか、それとも握手するのか、殺っちまえ、6月のカレンダーを奪っちまえ、と
物見遊山な僕はワクワクして眺めてる。
そんなコトは日常茶飯事である。
どこかで絶叫がきこえ、破壊音がつづく。
ここは野鳥園なのか、動物園なのか、否、人の原点が交差し、野生が炸裂するジャングルなのだ。
自分の欲求が満たされないと物にあたる。
この施設、よく目を凝らせばそこもかしこも蹴られたり殴られたりした痕を発見できる。
彼らは飼い慣らされているので人を無闇に傷つけない、物を破壊する。
精神年齢が子供のまま大きくなってしまったのだ。
ピーターパンシンドロームの成れの果てを見せつけられる。
もちろんいろんな場合はそれぞれにあり、同じ人は誰ひとりとしていない。
分類できるのは大雑把なところで、それは正常という括りにいる僕らと変わらない。
たくさんの薬を処方されていて、抑制され去勢され、ロボトミー状態なのかも知れない。
むかし躁鬱を抑制するクスリを飲んだコトがある。
遊びで飲んだのでお酒と共に流し込み、いわゆる非日常の領域へいく積もりだったのだが行き先は無感情だった。
何も感じない場所、感情の起伏はすべて抑え込まれ、喜怒哀楽などは仕舞い込まれ、反応することさえ億劫になって、石ころと化した。
死ねないし、生きていないし、僕は鉱物なのだ。
これを発明した人は悪魔だ、恐ろしいクスリだと思った。

もはや少ないお魚やさん


半夏生 焼き鯖ベイベ(左/宮城産、右/ノルウェー産)

ここら越前大野では、半夏生といって(夏至を3つに分けた最後の3分の1の期間こと)丸々一匹の焼き鯖を食べます。
むかしはここらで採れたのでしょうか、でも近年はずっとどこか遠くで採れたサバなのです。
大体が東北もの。(写真:宮城とノルウェーで採れたもの)
もうそれを売る専門店も少なくなり寂しいものだが、この町では量販店の前で販売してる。
ノルウェー産が脂がのり美味しかった。

朽ちていく町、それを今日も仕事帰り缶ビール片手に徘徊する。
これが日常っていってしまうと、そんなことないよ、まだ一ヶ月とちょっとだよ、と答えます。
驚くことなかれ、いま働いている施設、10年くらいほぼいるメンバーは同じなのだという。
少し恐怖を覚えた。
あの日常茶飯事が10年繰り返されているということか!?
絶え間ないルーティンが、もちろん起こるべく事件は様々だろうが、
それでもまるで止まったかのようなループが脈々と続いている。
あの人たち、歳取らないんだよね。
冷凍保存されたかのような知的障害者たち、それに付随する職員とその施設、ホラー映画だな。
ネバーエンディングな展開が”うる星やつら”「ビューティフル・ドリーマー」的な止まった世界観。
それに気付かない彼らはこの町とも連鎖していて、ずっとここを構成していくのだろう。
だって、それで結構、案外、わりと、小さく幸福なのだらうから。

今日の帰り道、七夕ベイベなので日本酒(ワンカップ)で豪気。
まるで花屋さんのような家に出会し、酔いも手伝って「売ってらっしゃるんですか?」と云うと
「趣味でやってるんですよ」という小母さん、
多肉植物が絨毯のように乱れている。
お話をしてるうちに、たくさん育ててらっしゃる多肉を頂戴してしまう。
ほくほく顔、否、火照ってるな、日本酒は効く。
天の川で逢引、羨ましいのです。