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アシタカにとって”生きる”とは、或いはもののけ姫映画感想文

今日は8月1日。
午前中は映画を見にいくつもりは微塵もなかったのだがバイト先に提出する書類があり、急遽往復で1時間30分の道のりを自転車をとばす。

いつもであれば映画は見っぱなしということが大半であるが電通の東畑さんが「なぜそれが心に残ったのか、何を面白いと感じたのか、を分析して言語化することが大事なのかもしれない」とおっしゃっていたので、完全に私の独断と偏見ではあるが2020/08/01 増川夕真(22)がもののけ姫を観て何を考えたのかということを簡単に記しておこうと思う。


もののけ姫のコピーである ”生きろ。”。

このコピーは私が数あるジブリ映画の中で、今回『もののけ姫』を選んだ理由でもある。

この映画の中で登場人物がアシタカに対して「お前はどっちの味方なんだ」という旨の言葉が幾度となく投げかけられる。なぜならアシタカはあるときはサン(もののけ姫)やモロの君を救うし、またあるときはエボシ御前とその側近に手を差し伸べるからである。無論、彼自身、どちらの味方という訳でも、彼の考えがブレている言う訳でもなく、むしろこの映画の登場人物の中では一番強くまっすぐであるのだが。。
何が彼の軸にあるのかと言うと、彼はいつでも動物と豊かな自然、そして人同士が何とかうまく共生し得る道はないのか、つまり、それぞれ違う未来の理想像を描く人と動物、それから神々がー軽率な表現ではあるがーみんなハッピーになれる道はないか、ということなのである。そしてその実現を誰よりも切望し、己の命をも惜しまず、ひたすらに模索し続ける。



私にとって印象的であったセリフが物語の終盤にジコ坊が呟いた「”ばか”には敵わんわい」 という言葉である。
客観的に見ると「ばか」とまで言われるほど自身の信念を強く持ち、そしてそれをどうにか実現する道はないのか、己の命をも顧みずに突き進んでいくアシタカの勇姿を端的に表した言葉なのかもしれない。

そして私はその言葉のように生きるアシタカこそが”生きろ”そのものなのだと思う。

アシタカにとって消極的に生きること、つまり自分自身を外的要因から守るために、または他者に好かれるためにする不本意な行動は彼にとって魂の死を意味する。



とにかくアシタカがものすごくかっこいい映画でした。私にはまだそこまで細かく(そして正確に?)映画を論評する力がないので今回はここまでにします。

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