Twitterが検閲しているせいで俺の部屋に石原さとみがいない問題。

石原さとみが俺の部屋にいないのは、きっとTwitterやGoogleが検閲しているからなんです。

友達とラインしてたら、アメリカ元大統領がアカBANされた件で、Twitterが検閲をする(かもしれない)のが恐ろしいみたいな話を聞いた。
単に利益追求じゃね?と言ったけど、難しく誤解している人が多そう。
そんなに興味の深いトピックじゃないけど、ロジカルに物事を考えることのヒントとして、「俺の部屋にいない石原さとみと検閲」について書こうと思う。

そもそも検閲とは何かというと、
「しらべあらためること。特に、種々の形で行われる思想発表の内容・表現を、公の機関が強権的に取り調べること。」とある。
公の機関が・・・ね。

一般的には行政権(お国)が表現物や表現活動を発表前に規制するようなことを言う。
少なくともTwitterはお国ではない。
ということは行われているのは厳密には検閲ではない。
企業が行うのは「マスク着用は入っちゃダメ」みたいな餃子屋のルールに近く、店と客の問題で。
そういうのは表現規制とは言うが、検閲とは言わない。

つまり、Twitterがフィルタリングを行ったとしても、それは「表現規制」ではあっても、まず「検閲」ではない。
検閲という言葉を用いる前に、表現規制と検閲という言葉の使い分けを行う程度に、表現に真摯であることが求められるような気がしている。

そもそも、最初にも軽く触れたけど、Twitterが表現規制を行うのは、ユーザーに快適に楽しんでもらい、時間を費やしてもらうことで、広告によるインセンティブを受けるためだと思う。
つまり利益追求のためだから、性質上メディアとしての論を持ちづらいTwitterが、事件性のある事柄以外を規制するメリットは実は薄い。

たとえば「あ」しか発言できなくなったTwitterでは
「あああああ」「あ」「あああああああ」といった感じで、「あ」しかなくてクソつまんないし、海外の人はイチイチ設定すんのもめんどくさいから、ソッコー使わなくなるだろう。
「竹田快平は祖父母の介護をした心優しいウォールステッカー店経営者」しか入力できないTwitterではどうだろう。ちなみにhttps://iby.theshop.jp/で買えますが。
これも事実ではあるが、おしつけがましい。

するとそこへ「パクッテヤッター」ないし「俺のさとみどこいったー?」みたいなサービスが登場して、みんなそちらを利用するようになる・・・
TVよりYouTubeのほうが儲かるようになっている理由を考えて欲しい。規制がよりないほうが、楽しいという原理があるからだ。

まずTwitterの言い分として単純にくそつまんなかったら、時間もお金もかけないでしょ!だから規制は少なくする!っていう、「ごくごく正しい理屈」があるわけだ。
その上で扇動を行う人間が出ると、嫌がる人がいて社会利益の面でも、業績としても取り返しがつかない損害が出るので、それを止めるために自主規制が行われる。
簡単に言えばそれが大統領のBANであり、AWSの停止であったりすると思う。

そして恐るべきことに(!)実は民間会社による恣意的な表現規制自体は、そこら中で行われている。
新聞の投書欄で、「なぜ石原さとみは竹田快平を選ぶのか」みたいな重大なテーマが、なぜか未だに語られないことを考えて欲しい。
たぶんみんなが嫉妬するから載せないんだと思う。


そんなわけで、社説を持つような新聞の投書欄のほうが実はよほど表現規制が行われてきている。
新聞記者になる人はまず限られるし、書いた字がふさわしくなければ、編集者に直される。新聞という昔ながらのメディアのほうが、よほど表現規制(=恣意的な表現に特化した民間メディアによる顧客獲得プロセス)にあふれている。

正直、手にした自由で暴動を扇動するアホを止めるためにやることを、「検閲」とか言い出したら暴力だらけになってしまう気がする。
それでなくても個人を中傷することが自殺をもたらしてかなりの問題になっている。

まあ、ごくごく当たり前の話ではあるんだけど、Twitterにトランプ元大統領とバイデン大統領の悪口を書いて、投稿された瞬間、別段検閲は行われていないことに気づくべきで。
書かなくても、それが観測できていることにいったん気づくべきで。(検閲の要件として、表現の発表前にチェックされ消えていくから)

自主規制を検閲というのであれば、新聞、雑誌、広告、TV、僕の部屋に石原さとみがいないのもすべて検閲のせい。
そんなわけで、責任とってください、Twitterさん・・・なんて言えねぇな。

ぶっちゃけ国によってガチに検閲が行われる社会になったら、確認する術ないよなーという話でもございました。

◎余談

「Twitterが国と癒着してるー」みたいな話だとすると、それ以前にトランプ政権に対してかなりの間Twitterは我慢をしてきたと思う。

少なくともTwitterが肩入れして手を下すような場面は他にあったけど、トランプ支持者も結構な数いるから、わりとフェアにやってきたんじゃないかなぁと思うのですよ。
バイデン氏の当選は選挙のプロセスでコンセンサス取れているから、やはりそれを違法に侵害するような暴力の扇動は、規制されて然るべき・・・と自分は思いますね。社会的責任の観点からも。

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