<サンディエゴ>レストランオーナー:薫子さん
今回は、サンディエゴでビジネスをして成功している薫子さんの話をしたいと思います。
彼女の経歴
彼女は横浜で生まれ育ちました。大学時代にあるきっかけからアメリカ人と出会い、その彼が1993年にサンディエゴに転勤になったのをきっかけに、親の大反対を押し切って結婚して渡米する事になりました。初めての海外の生活。親とはほぼ勘当状態。周りには知り合いが一人もいないし英語も流暢ではない。そんな生活の中、めでたく女の子を妊娠しました。
けれども、夫の職が続かず不安定でだった為、子供がまだ1歳半だった時、仕事を探す事にしました。日本語講師もやってみたけども、それだけではやっていけない。当時24-5歳だった彼女は、友人に紹介してもらい、サンディエゴのダウンタウンで展開していた日本食レストランで下っ端として働き始めました。
日本で学生時代にバイトとして塾の講師をしていた時は結構稼いでいたのに、そのレストランでの時給は当時 $4.25。働き始めて最初のPay Check(給料2週間分)はたったの$200ドルぽっち。あまりの少なさに涙が止まりませんでした。それでもコツコツ頑張っていればお金は稼げる。その事に感謝し、彼女はレストランで働き続けました。
レストラン業界で働く
レストランで働き始めて最初の5-6年ほどは、裏方で皿洗いをしたり、野菜切りを任されたりしていました。レストランでウェイトレスやバーテンダーなど表で働く仕事をするには英語が喋れる必要があります。なので、英語が喋れないメキシコ人などはレストランの裏方で多く働いています。
彼女はそんなメキシコ人達と並んで働くことになりました。
その時新人で若かった彼女は、メキシコ人先輩シェフなどとうまくやっていく為にはスペイン語でしゃべる事が必要だと思い立ちます。そして、大学で学んだスペイン語を復習し、オンラインの無料のスペイン語クラスを取りました。そして毎日のようにメキシコ従業員達とスペイン語で話しているうちに、スペイン語でも問題なく意思疎通ができるようになるのです。
当時彼女はこの仕事は単にお金を稼ぐ為の仕事と思っており、特に上昇志向はありませんでした。逆にメキシコ人達と一緒に裏方で働いているのが楽しかったのです。ですが、現状を変えなくてはいけない状況が訪れました。夫がずっと定職につかないのに業を煮やし、離婚する事にしたのです。そして、2000年には夫と別れ、シングルマザーになりました。
昇格と新たなチャレンジ
夫がいない分、自分で子供を育てなくてはいけない。その責任感と、お金の必要性から、勧められる仕事はどんどん受ける事にしました。そして、次第に裏方から離れ、レストランの表の仕事、バッサー(片づける人)、キャッシャー(会計係)などもするようになりました。
アメリカのレストランは時給が低い。それはお客からチップをもらう事を前提としているからです。チップは会計金額の15%-20%置くのが相場となっていますが、もちろんサービスがよくてお客様が満足すれば、これ以上もらう事も出来ます。そういう意味ではサーバー(ウェイター、ウェイトレス)はお客と直に接する事の出来る、レストランでは一番稼ぎがいのある仕事と言えます。ただし接客業が上手ければの話です。
彼女もその後、サーバーに昇格しました。でもそうなると、アメリカ人のお客さんと直接関わらなくてはならなくなりません。彼女にとって英語は第二言語。日本でも接客業をしたことが無い。そんな中アメリカ人の接客をする事は、彼女にとっては未知な、怖い仕事でした。彼女はそんな先入観から、しばらくの間は、サーバーの仕事は自分には向いていない、苦手な仕事だと思っていました。
人生に訪れた転機
そんなある日、彼女は気づいたのです。「向いてない、好きじゃないと思って働いているからチャンスをもらえないんだ。好きじゃないと思っていたら良い仕事ができるわけがない。どうせだったら好きになろう!」と。そして彼女は決めたのです。「好きか嫌いか、というのは自分が決めてることだから、自分が好きだと思ったら好きになる!」
そして、好きになると決断した瞬間から思考がポジティブになり、仕事に対しての視点が180度変わりました。つまり、「この仕事は自分には向いていない」、と考えていたのが、「どうしたらお客様を幸せにできるか」、どうしたら人気サーバーになれるか」に変わったのです。この決断が彼女の人生を変えました。
自分が成功したいと思ったら、なりたい自分に既になっている人(結果を出している人)を探し、その人の真似をするのが一番です。例えばお客さんが、「きょうは○○さんはいますか」と指名されるようなサーバーは、きっとお客さんに好かれるようなサービスをしているに違いない。なので、彼女は、自分がなりたいと思うサーバー、お客さんに所望されているサーバーを見つけ、一からその人の事を真似する事にしました。
お客さんからオーダーを受けた時にどのような言い回しをしているのか。クレームがあった時にどう対処しているのか。受け答えしている言葉、接客態度、問題の解決方法などを一つ一つ真似し始めました。そうしたら次第に自分にもお客がついてくるようになったのです。そして、お客さんを幸せにするという事に生きがいを感じ始めると、仕事もどんどん楽しくなりました。そうして彼女にとってサーバーは大好きな仕事になり、やりがいを感じるまでになったのです。
彼女の今
やがて、彼女はジェネラルマネージャーとして3店舗目の開店を任されるまでになり、2012年には3店舗のうち1店舗、サンディエゴダウンタウンにあったレストランを購入し、オーナーになりました。やがて、その日本食レストラングループの暖簾分けレストランから独立し、晴れて自分のレストランとして独立オープンしたのが2017年です。レストランで働き始めて実に22年目の事でした。
レストランの名前はSushi2、オーナーの名前は薫子さん(本名:Kuniko Holmes)と言います。
彼女のレストランのウェブサイトはこちらで見れます。
Sushi2 San Diego
アメリカで経営するという事
アメリカで経営する、それも女性でマイノリティでアメリカ人従業員を雇って経営するという事は並大抵の事ではありません。そんな中、現在彼女のレストランは、ダウンタウンにありながら行列ができる、人気日本食レストランへと成長しています。そして驚くことに、従業員が70人ほどいる中、日本人従業員が一人もいません。日本人経営者でアメリカで日本食レストランを経営している大多数の所が日本人を最低何人か雇っている現状で、これは異例な事と言えます。(従業員のほぼ半分がアメリカ人、後の半分はメキシコ人だそうです)
彼女のすごい所は、日本人でありながら、アメリカ人やメキシコ人従業員をうまく扱えるところです。もちろん英語とスペイン語が出来るという事は強みでしょうが、それよりもやはりレストラン業を一から叩き上げでやってきたという経験と、それに裏打ちされた強さや優しさのようなものが従業員に伝わるからだと思います。私がびっくりしたのは、彼女と一緒にSushi2に食べに行っても、従業員の態度が彼女の前で全然変わらないということです。委縮する従業員など一人もいません。そして、彼女がレストランで食べていると(もちろんオーナーと知ってて)普通に親しげに話してくる。それはなぜかと考えた時、彼女の人間性と、人間味のある経営のやり方だと思いました。
彼女曰く、アメリカで従業員をマネージするのに一番大変なのは、文化や人種、生い立ちの全く違う人々を率いる事だと言います。そして、レストラン業界に働きに来る人達は更に学歴まで違う。(特にサンディエゴなどメキシコに近い所では)メキシコから来たばっかりの英語が全然できない人もいれば、アメリカ人で大学院に入る前にお金を稼ぎたいからと入ってくる人もいる。小学校しか出てない人もいれば、大学を出ている人もいる。
そんな色んな背景の人達がいる中では、会社のゴールやコンセプトなど、一つの事を話していても、みんなが同じように理解しろという方が無理な話。よって、彼女はそれらの事を踏まえてチーム作りやトレーニングをしているそうです。また、オーナーとして従業員をマネージするだけでなく、マネージャーのコーチングも行い、一人一人が向上する為に、個人に合ったサポートを心掛けているそうです。そんな彼女だからこそ、従業員にも慕われているのだと思います。
彼女の今後:
そんな彼女はコロナ後の2022年5月にまた新たな挑戦をし、新しい場所で新しいレストランを開く準備をしています。そんな彼女の今後の活躍に期待します。
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