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ゆるふわダイアリー

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日々感じたこと・考えたことなど。
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#日記

何を書こうかな、という話。

 note記事のことではなく、小説のこと。  最近、あれこれと考えている。

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連作短編の話。

 企画中の商業向け小説も、文学フリマ東京39に出展予定の小説も、連作短編形式を予定している。  連作短編小説は4~6話くらいの構成のものが多く、それぞれの話自体は独立しているものの登場人物や設定が共通していて、少しずつ話が発展していくようなものだ。  私見だが、連作短編小説はシンプルな短編小説や長編小説を書くよりも難易度が高い。  それぞれの話は完結しなければならず、それでいて話がつながっていって全体としてのまとまりを持っていないといけない。  たとえば主人公の成長だったり

SNS離れ、という話。

 ここしばらく、オンラインコンテンツをあまり見なくなった。  以前はほぼ毎日、Xのタイムラインを眺めたりYouTubeで動画を観たり、Discordで誰かとやり取りをしていたけれど、今ではたまにXでポストしたりDMのやり取りを交わすくらいになっている。  浮いた分の時間をどう使っているかというと、すべて小説の執筆に……できていれば幸せだったのだが、残念ながらほぼ本業に充てられている。  しばらくSNSから離れて分かったのは、ちょっと気持ちが軽くなったかも、ということ。  Y

最近、書きたいなぁと思っているもの。

 企画中の連作短編お仕事小説や、文学フリマ東京に向けて準備中の短編集以外にも、こういうの書きたいなぁと構想しているものがいくつかある。そのうち3つを忘れないうちにメモしておく。 データサイエンス×青春×高校生  競技プログラミング(競プロ)を題材とした青春部活小説『アルゴリズムの乙女たち』を刊行したけれど、別の題材や世界観でも書いてみたい。  ひょんなことから高校生数名がkaggle※をきっかけに集まって、ソロプレイやチームプレイでコンペに挑む、的な。その過程で繰り広げら

自分の強みとは何か、という話。

「強みとは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ。普段はそんなものは存在しない」  ……というS川先生のような考えに至ったわけだが、最近ふと考えることがあったので書き留めておく。  何かを競う、勝負事をする、利益を求める――こういった活動においては、自身の「強み」というものが重要になる。  競争や勝負事では勝つために相手を上回る「何か」が必要になるし、何かしらの利益を得ようと思ったら利益を提供してくれる側への対価が必要になるからだ。この対価というのが強みから生

小説を読む目、という話。

 この2年ほどで、それ以前よりも小説を読む量が増えた。  小説の読書量が最も多かったのは学生の頃で、社会人になってからはほぼゼロになり、読むのは専門書や技術書ばかり。  それがここ最近では、書店やAmazonで購入するのは小説が多くなった。  時間に余裕ができた、というわけではない。  むしろ時間は年々限定的になっている。  それでも小説を読む量が増えたのは、小説を書くようになったからだ。  ジャンルやストーリィ構成の研究をしたり、文体や文章表現を参考にしたり。  自分が

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たまにはゆるふわな話でも。

 相変わらず書きたいものが多い。多すぎる。  鋭意構想中のお仕事ミステリィもの以外に、文学フリマ向けの短編集、それ以外にも数作品ある。  しかし本業も多忙を極める中、それらの執筆候補をいっぺんに書けるはずもなく、ここのところやきもきする毎日を過ごしている。  さて、いきなりだが、私は空耳をすることがたまにある。  人の話をちゃんと聞いていないわけではない。  むしろ意識的に耳を傾けようとしているのだが、それでも空耳をすることがある。  先日、コンビニへ向かう途中で、1人

小説のタイトル付けって難しいよね、という話。

 先日、書店でライトノベルのコーナーを見ていたときの話。  棚に収められた本で、やけに黒い背表紙があるなと思って見てみると、そういうデザインではなくタイトルの文字列だった。  ちっちゃい文字が80文字ほどギュッと並んでいた。  ……覚えられなかった(著者の方ごめんなさい)  昨今では定着しつつある、長文タイトルというものについて考えてみる。  たとえば、こういうやつ。  あ、このタイトルはいま5秒くらいで私が適当に思いついたものなので、深掘りは不要である(こんな作品は存在

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三つ子の承認欲求百まで、という話。

 先日、私は親戚の3歳児・Aちゃんと遊んでいた。  Aちゃんとは久々に会ったのだが、言葉をたくさん覚えていて行動範囲もぐっと広がり、いろいろなことに好奇心を持つようになっていた。  そしてお絵描きをしては私に「見てー!」と自慢げに見せてきて、積み木をしては「見てーー!!」と誇らしげに見せ、YouTubeで動画を観ながら踊っては「見てーーーッ!!!」と楽しげに呼んでくる。  ふと私は、インターネット社会そっくりではないか、と感じた。  多くのクリエイターたちが小説を書いた

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完結させることって大事だよね、という話。

 創作界隈では「エタる」という言葉がある。  あるいは「エターナる」という表現をすることもあるようだ。  読んで字のごとく、作品がエターナル(永遠)に完成・完結しないまま途絶えてしまう状況を意味する。  最初は毎日更新だったのが毎週〇〇曜日更新に変わり、そして不定期になり、やがて……。さすがに毎日や毎週は大変だよね、と読者もはじめのうちは書き手を気遣うが、だんだんと「あれっ、もしかして……?」「うわっ……作品の更新頻度、低すぎ……?」となってゆく。  それでは読み手だけで

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執筆速度って大事だね、という話。

 小説を1作書き上げようとすると、それなりに時間がかかる。  新人賞への投稿やWeb連載をする場合、同じ文章量であれば書くのが速いほうが時間の使い方にゆとりが生まれる。  1時間で2千文字書けるとすると、もし1日に3時間執筆できるのであれば合計6千文字書き上がる。  家事・育児があったり、仕事や学業があったり、執筆以外に本業がある場合は毎日欠かさず3時間執筆するというのは現実的に難しいと思うので、たとえば1か月間に執筆できる日数を20日とする。  このとき、2千文字×3時

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