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優等生がとつぜん学校に来なくなったのは ~思いを引き出す関わり(事例編)~【交流分析for Teacher⑤】

「息子が家のふすまを壊して暴れています。先生、今すぐうちへ来てくれませんか?」
T村先生のクラスのS太くんは、高校へ入学した時から成績優秀で、運動部にも入りがんばっていました。その彼がとつぜん学校に来なくなったのは一週間前です。「どうしたのかな?」と思っていたところ、ある日放課後に保護者の方から学校へ電話がありました。

T村先生のお話より

「交流分析 for Teacher」シリーズ記事では、学校現場の事例について交流分析を通した解釈を書いています。子どもたちと向き合うためのヒントにしていただけたら幸いです。

この事例は高校の元教員の方にうかがったお話です。個人が特定されないよう、設定などは変えてあります。そのうえで、先生ご本人の許可を得て掲載しています。

「息子が家のふすまを壊して暴れています。先生、今すぐうちへ来てくれませんか?」
その日は雨で、S太くんの家はかなり遠いところにありましたが、電話を受けてすぐにT村先生は彼の家に向かいました。
家に着くと、ふすまが何枚かボロボロになっていて、S太くんの姿はありませんでした。
「どうしたんでしょうね…」と言いながら、そのことは追及せず、S太くんのお母さんが淹れてくれたお茶を飲みながら20分くらいご両親と話していると、お母さんが
「S太は先生が来る前に、そこの押し入れに隠れたんです」
と言いました。
押し入れを開けるとS太くんが顔を真っ赤にしてうずくまっていました。
「そんなところじゃ暑いから、出ておいでよ」
とT村先生は言いました。
S太くんがこんなに暴れたのは、どうやら初めてのことのようです。
T村先生はS太くんに言いました。
「先生のうちへ来てゆっくり話するか?お父さんお母さんの前だと話しづらいこともあるだろうから」
「え、行っていいの?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、教科書持ってきます」
といってS太くんは庭に出ました。そして雨でどろどろになった土の中から教科書を取り出しました。
「どうしたんですか…?」とお母さんにたずねると、
「先生が来る前に、S太が庭に穴を掘って教科書を埋めたんです」
という答えが返ってきました。

S太くんを連れて家に帰ると、もう夜の9時ごろでした。T村先生の奥さんがおにぎりを作ってS太くんに出してくれました。
「今日はもう遅いから、うちに泊まっていくか?明日も学校なんて行かなくていいから」
T村先生が言うと、S太くんは
「えっ、行かなくていいの?学校の先生がそんなこと言っていいんですか?」というので、
「うん、行かなくてもいい。それより、うちでゆっくりして考えてみたらどう?『どうしてこういうふうになったか』について」
というと、彼はうれしさと、不安が入り混じったような複雑な顔をしていました。
「このあたりは自然も多いし、良いところがたくさんあるから、明日になったら散策でもしておいで」

次の日、T村先生が学校から帰ると、S太くんはまだ戻ってきていませんでした。30分ほど待っていると、S太くんが帰ってきて
「すみません、道が分からなくなって遅くなってしまいました」
と言いました。
ご飯を食べた後、T村先生とS太くんは二人で話しました。
高校での勉強の事や、S太くんが入っている部活の事など、少し話した後にT村先生はS太くんにたずねました。
「S太は勉強も部活もあんなにがんばってたのに、一週間休んだのはどうして?」
「それは、自分でもよくわからなくて」
「家で何か困ってることあるの?」
と聞くと、S太くんはこう答えました。
「…お父さんがきびしくて」
「お父さんはどんなふうに厳しいの?」
「小学校のとき、夏休みの宿題をやってるとね、お父さんはそばで見ていて、僕が間違えると定規でピシッと手を叩いたりするんです。こわかったけど、でも『やらなきゃいけない』って思って」
「じゃあ、S太が成績優秀なのは、お父さんのおかげでもあった?」
「うん。お父さんのおかげでがんばってこれたと思う。だけどこわくて、逆らえなくて。」
「それで学校も、本当は『行かなきゃ』と思うの?」
「そう。本当は『行かなきゃ』と思うけど、そう思っても、ここ最近は何だか体がついていかなくて…」
S太くんがお父さんについての思いを人に話すのは、これがはじめてのようでした。
「つらいけど、これからS太はお父さんを乗り越えていかないといけないな」
T村先生はS太くんに向かってそう言いました。

その後もS太くんは時々学校を休み、T村先生がS太くんの家に行くことが何度かありました。T村先生はそのたびにS太くんを自宅に招き、彼の話を聞きました。
T村先生はS太くんのお父さんにも、こう話しました。
「厳しくするよりも、本人が言いたいことを聞いてあげるようにしてください。お父さんも、『厳しくし過ぎたからダメだったのか』と自分を責めないようにしてくださいね。親が自分を責めても、子どもは変わりませんからね。それよりも、『どうやってこの子を信頼していくか、そして信頼しているということをどう伝えるか』を大事にしてください」
その後、お父さんは厳しい態度を変えました。
S太くんは時々学校を休みつつも、退学することはなく、勉強を頑張って大学に進学しました。

でも、S太くんはお父さんに直接「こわいよ」と言うことはできなかったそうです。家で暴れた事件のあとも、直接親に逆らうことはできず、お父さんのこととなるとひたすら「従うしかない」という感じでした。

そんなS太くんが、お父さんを乗り越え始めたのは大人になってからです。
S太くんは大学を出た後、技術職として製造系の会社に就職していました。会社では度々つらい思いもしたようですが、高校一年生のときのように荒れたりはせず、その都度周囲の人に相談したりしてがんばってきたようです。
T村先生も時々電話でS太くんの話を聞いたりしていました。

T村先生とS太くんは長い付き合いになり、社会人になっても時々T村先生の家に遊びに来ていました。

T村先生の家にはS太くん以外にも、学年の違う他の教え子も遊びに来ます。あるときS太くんを含め大勢がT村先生の家に集まってお酒を飲んでいるときに、S太くんがこう言いました。
「やっぱり、なかなか親父は乗り越えれん。親父はすごい」
それを聞いて、T村先生は言いました。
「それじゃあ、もう乗り越えたようなものだな!そう思えるなら、それはS太が親を客観的に見られるようになったということだ。」
S太くんの口からお父さんを客観的に評価する言葉を聞いたのは、それがはじめてでした。S太くん
はそれまでT村先生の前では、お父さんに関して「こわい」とも何とも言うことがありませんでした。
「親父はすごい」というのは、社会人として「すごい」という意味のようです。「S太はまだ父親を乗り越えたわけではないけれど、一人の社会人として対等に見られるようになっていたのではないか…」T村先生はそう感じました。
二人が話していると、ほかの教え子も会話に加わってきました。
「なになに?S太の親父は厳しい人なの??」
「オレの父親も、こわいぞ~。もうほんと、ヤクザみたいでな!」
S太くんは他の教え子と一緒になって笑っていました。

高校生の頃、S太くんは自分の思いや感じていることをうまく話すことができず、ただただ親に従うだけでした。それが今、社会人になり、仕事も家庭も持つようになって「父親も、自分と同じ社会人なんだな」ということが実感として分かってきている。T村先生はそう思います。

T村先生のお話より

この関わりの良さは何でしょう?
S太くんが良い方向に変わるのを信頼して待っていたこと、そして親御さんにも関わりの方法を提案したことなど、いろいろありますが、
交流分析の視点からいうと
「A(大人)の自我状態で関わった」
というところが重要なポイントだと考えられます。

言い換えると、T村先生に「抜群の発問力があった」ということです。

解説編は別記事に掲載しています。



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