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「ふれる社会学」を読んで

※書いてたら約5000文字のそこそこ大作になりました。

編著・ケイン樹里安、上原健太郎

「社会」の輪郭をなぞる
と表紙に書いてある通り、
社会学の入門書として最適です。

・巷に溢れるニュースに何とも言えないモヤモヤした気持ちがある。
・「社会学」に興味はあるけど、とっつきにくい。
・ノリだけで社会学科に入っちゃったけど、何を勉強したらいいか分からない


っていう人にオススメの1冊です。
ちなみに、三つ目は自分の過去の経験を基にしています…笑

難しい学説が並ぶ学術書に門前払いされたり、
挫折した経験がある方でも読み易いのが本書です。
(映画マトリックスの影響で、ボードリヤールの本を買い、
何一つ理解出来なかった僕の話は置いておきます…。)

http://loisir-space.hatenablog.com/entry/20070825/p1

どの章も端的で読み易く、好奇心を刺激してくれますが、
特に気になった二つの章を取り上げたいと思います。

スニーカーにふれる(第6章)

スニーカーブランドに起点を置いた章です。
紹介されている通りに、
ヒップホップカルチャーにおいて特定の「ブランド」を支持することは、自分のスタンスを示す方法として定着しています。
RUN DMCのADIDASや、ティンバランドのブーツなど「HIPHOPカルチャー」と「ブランド」は切り離せない間柄です。

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スニーカーとは違いますが、ヘネシーというお酒のブランドには以下のような歴史があるらしく、全く知らなかったので面白かったです。

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NIKEのair jordanの「ブランド」と黒人の遊びから生まれた「ラップ」
に託された、シンボルとしての役割の類似性に着目しつつ、
ヒップホップの精神性やギャングカルチャーといった切り口では、
「黒人性」の議論に始終してしまうことを危惧し、
その文化の起源ではなく、
「経路(routes)」に注目すべき、と主張されていました。

確かに、
ラップは真似し易い歌唱方法であるが故に
地域や集団における価値観を、
自己表現の手段であるラップとして反映させることで、
表現の強度を高めてきました

それは同時に、黒人と白人といった人種的対立を加速させる装置にもなり、
日本では不良と文系などといった構図で弄ばれたりしています。

ヒップホップカルチャー、特に音楽ジャンルとしてのラップミュージックは、今となってはアメリカだけでなく、
ヨーロッパからアジア、アフリカ、地球上のほぼ全ての地域をカバー出来るほどに広まっています。

様々な方向に派生したカルチャーであるからこそ、
その起源を探るよりも、
どのような経路を辿って表現されているのかということに注目することは、無闇な対立を避け、
それぞれの立場多様性を豊かに感じることが出来るように思えます。

(よく「ROCKは自殺、HIPHOPは他殺」といった音楽的なメンタリティが説明されることがあり、その度にあたかも差別が肯定されるかのような主張をする方もいますが、HIPHOPに競技性や自己主張の要素があるとしても、差別はアウトです。マジ卍です。)

既に有名ですが、この章を読んでいて頭に浮かんだのが、88 risingというアーティスト・クリエイターの集団です。

88 risining

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アジア圏(中国やインドネシアなど)のMCやアーティストの集合体。
jojiやrich brianは、元々はyoutuberといういかにも今時な経歴です。
youtubeをメインに、やや下品なコンテンツや、
アジア人であることを逆手に取ったパフォーマンスでSNSでバズり、
知名度を獲得しました。
それから、メインの活動を音楽に移し、
本場USのランキングチャートに、
英語でなく母国語のラップで切り込み、見事チャートインしました。

現在もシーンでの存在感を増しており、
BTSや映画「パラサイト」と一緒に語られることも多いアーティストの集合体です。
音楽的には、現行のシーンを分析しつつ、主流をトレースしながら、
自分達のカラーをスパイスとして機能させているといった印象です。

「ブランド」に対しては、88rising所属のhigher brothersがmade in chinaという曲で
「あの娘が中国が嫌いって言ってたけど、ウソだよウソ。だって、持ってるモノ中国製ばっかじゃん!」とフックで歌ってたりします。
ブランドを肯定しつつ、自分の国をrepする(「代表する〜」などの意味)という、そんな切り口あんのか!?と驚いたと同時に、
確かに今勢いのある中国出身のラッパーにしか歌えないなとアガった記憶があります。
remixも含め、好きな曲です。メンバーのmasiweiはアルバムも良かったです。

https://youtu.be/rILKm-DC06A

88risingに関しては、以下の動画が分かり易いです。
というか、最近のHIPHOPに関してほぼ網羅しているので是非!

障害にふれる (第13章)

この章は「障害」です。
私は生まれつき左足の指が二本無いことで欠損や障害に関心を持ち、
障害福祉の現場で6〜7年の勤務経験があります。(現在は休職中)
なので、スラスラと読め…るわけではありません。

発達障害やHSPなど、日々そのカテゴリーが増えていく精神医学の領域や、
そもそも障害の定義とは何か?当事者とは誰か?
などの問いを持ち続けなくてはならない社会福祉の分野など、
「障害」について語る時、「障害」と括ってしまうと語りにくくなってしまうというジレンマがあります。

この章の第1節では、障害に「ふれる」ことへの違和感を大事にしつつ、
障害そのものではなく、二つの「まわり」へのアプローチから始まります。

社会モデルと個人(医学)モデル
社会モデルは、「個人を変えるよりも、社会が変わることは出来ないだろうか?」という問いが肝です。

それは、社会や時代が変われば、
障害は障害でなくなる、
つまり、「障害は無くせる」ことになります。

例えば、今の時代でメガネを掛けている人は、
大昔のメガネが無かった時代には、
獲物を見付けられない役立たずとして、
憂き目に合っていたかもしれません。
これは、メガネという技術によって、
障害が障害でなくなっている一例と解釈することが出来ます。
また、一例として、江戸時代の盲人の保護政策を挙げます。
障害福祉研究情報システムから引用しました。
(こちらのページ、障害福祉の歴史を学べて面白いのでお時間ある方は是非!)

盲人保護政策があり、これは手厚くて、かなり徹底したものでした。検校制度の公認と奨励がそれです。検校制度はとても一口に言えないぐらい複雑なものですが、大まかにいうとすれば盲人たちを検校・勾当(こうとう)・座頭(ざとう)・市(いち)の4段階に分け、1番上の検校ともなると社会的に大名の位の待遇を受けたと言います。
https://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/rehab/r054/r054_002.html

もちろんこの歴史の裏には、保護を受けられず、
時代に打ち捨てられた人々がいたことは間違いありません。
ただ、制度や社会の在り方によって、「障害」の定義は揺らぎます
アメリカでは、障害を持つ人などの呼称ではなく、
バルネラブルと呼ぶように、定義だけではく、呼称が揺らぐパターンもあります。

障害と家族について

福祉の現場で障害を持つ人を支援・サポートする場合、
家族とのコミュニケーションは欠かせません。
これは、どこで働いても常識のように捉えられていますが、
支援・サポートといった言葉は、家族への抑圧にもなり得ます。
この章では、「障害当事者の家族」にスポットが当てられていますが、
家族と福祉職員の立場からふれてみたいと思います。

そもそも子育ては一人だけでするものではありませんが、
「家族なんだから頑張って支えてあげないとね」や、
「素直で可愛いでしょ?」など
周囲の人が善意でガチガチに舗装した地獄への道を、
サポートするはずの現場の職員が、
保護者を後ろから追い立ててしまうことがあります。

支援の方法が一つではない以上、
まずは家族の話を聞く姿勢を取ろうと努力しますが、
家族がそれらのプレッシャーで完全に疲弊し切っているケースは、
現場でもよくありましたし、その度に社会や制度を呪いたくもなりました。

最後の一文、「私達一人ひとりが障害を構成しているのである」は、
社会モデルを端的に言い表しています。
「障害」を定義するのが、社会であるならば、
我々の言動と知識次第で、障害を無くせます

まとめ


「ふれる」は、
身体的な接触の意味や、
話題にするという意味もあります。
それと、感動したりした時に心の琴線にふれると使われることもあります。
(英語でtouch 人 heartでも似たような意味ですね。ちなみに英検3級の英語力なので違ったらすみません。)

心を育むのに身体感覚を通した学びが重要であることは間違いありませんが、
何かにふれることで、
自分とそれ以外の輪郭を認識して、
身体的にも精神的にも拡張させてきました。

そしてまた、対象を知ることで、
輪郭が曖昧になり、
ふれることで拡張する…の繰り返しこそが、
社会を豊かにする方法だと改めて感じました。

それと、構造主義以降は、「社会」が曖昧で移ろいやすいものであるという前提が共有されましたが、
一つの社会問題や定義にこだわるのではなく、
それぞれの切り口で「ふれる」手法は、
今後の社会を捉えるにあたって有効かもしれません。
特に、ケイン樹里安さんは、Twitterや各種メディアでも差別問題などに関して発信をしています。
語り口が重苦しくなく、それでいて真摯さも持ち合わせているという絶妙なバランス感覚で、いつも好感を持っています。

大学で社会学をやってたにも関わらず、
お世辞にも勤勉とはほど遠い学生生活だったので、
この本がある今の学生が羨ましくてしょうがないです。

社会に出たり、日々忙しくしていると、楽しいこともありますが、
社会で起きている問題を見逃してしまうことも多いので、
だからこそ、これを機に色々なことにふれてみたいと思われてくれる良書でした。

それと、最後の執筆者紹介の「好きな映画」が、その人となりや、
選んだ理由を想像出来て面白かったです。
(全然関係無いんですが、あまり興味を持てなかったビリー・アイリッシュが、3年連続で好きな映画を「フルートベール駅で」を選んでて、絶対良い奴じゃん!と思って、何周も遅れて彼女の音楽やスタンスにハマりました…笑)
ケインさんが好きな映画に挙げたインターステラーも大好きです。
劇中に出てくるディラン・トマスの詩も、静謐さの中に凄みがあって好きです。

”穏やかな夜に身を任せるな。
老いても怒りを燃やせ、終わりゆく日に。
怒れ、怒れ、消えゆく光に。”

追記(2022.5)

これを書いて、下書きに保存していたのが、2021年の2月。
私はネフローゼ症候群が再発し、入院していた時です。
ケイン樹里安さんとは面識はありませんでしたが、twitterで「感想教えてください!」とリプライしてくれました。
刊行イベントで話す姿をzoom越しで見て、
知性と柔和さを兼ね備えた言動に感動し、
是非いつか会いたいと思っていました。
そして、現在、2022年5月にこのツイートを目にしました。


面識は無く、一方的に知っているだけの自分でも辛いですし、驚きました。
ご家族やご友人はもっと辛いだろうと思います。どうぞご自愛下さい。
そして、ケイン樹里安さんのご冥福をお祈りします。

読んで貰うことが出来なかったのは心残りですが、
好きな曲の歌詞で、「貰った影響は同時に宿題になるから、一つの答えじゃ終わりはない」という一節があります。

きっとふれ続けることが自分が出来ることなのだろう、と戒めの意味も込めて公開しました。

ここまで読んで頂いてありがとうございました。
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