物欲減少と能力主義からの脱却

今まさに電車に乗っていて、ふと思った事があるのでそれを書き綴ろうかなと。

最近どうも物欲が減ってきたなぁと。

でも出費はとても多いです。

何にお金を使っているのかというと自分の体験の為にお金を使っているという感覚です。

何より僕の場合は機能性発声障害と潰瘍性大腸炎という手強い敵がいます。

これらの敵のせいで僕の貴重な体験が奪われてしまうという現状があります。

お金を使って体験を買う事にプラスして、価値ある体験を逃さない為に自分の健康に投資をしようというのが今の自分のお金の使い方の主軸にあるように思います。

貯金をする余裕はないです。

しかし自分が体験を買う事というのは安心感の為に銀行口座にお金を貯めておく事よりも将来的に価値を生み出すんじゃないかと考えています。

特に僕が今お金を使っている対象としてはボイストレーニング、ゴッドハンド先生の施術、テコンドー、音楽活動、コーヒー、ファッション、美容あたりですかね。

散々偉そうに心理学的な記事を書いている身ですが、実のところ僕の根っこにはメンヘラが潜んでいるのです。

そのメンヘラをコントロールする為の投資という側面もあるのかもしれません。

根っこにある愛情飢餓のようなものは簡単に直せるものではなく、時々僕の脳内をもの凄いスピードで駆け巡り怒りや悲しみなどの感情を爆発させようとする時があります。

ADHDの影響もあるかもしれませんが、僕の脳というのは時に異常なほど活発でオーバーヒートしやすいのです。

病気があろうとも諦めずに何がなんでも音楽活動をしようとする理由はまさにそこにあります。

歌詞を書きメロディを作り声色を調整し自分なりの歌を歌う事は僕にとって自己表現として最強の手段で、1番の発散です。

さらに言うのであれば、こうやって文章を書く事も自分の心の安定の為でもあります。

おそらく僕が潰瘍性大腸炎になった理由も機能性発声障害になった理由も愛情飢餓が根っこにあり、ありのままの自分を受け入れられず高い理想に囚われすぎて焦燥感に苦しめられていた事にあると考えています。

音楽に対して異常なほど高い理想があり、音楽活動をしている時もライブ中に音が気に入らないと激怒したり、レコーディングした音がどうしても気に入らずお蔵入りにしたりと理想と現実のギャップに苦しめられていた過去もあります。

「自分が良いと思ったもの以外は出したくない」という気持ちは今でもあります。

しかし今は音楽ができなくても自分には価値があるという感覚があります。

もちろん音楽はやりたい事だからやれた方がいい、機能性発声障害も潰瘍性大腸炎も治ってくれた方が当然良いです。

ただ病気の自分でも価値があると思えるようになった事、そして病気という経験で心がタフになった事、考え方の幅が広がった事、そこに対してはお金では買えないような価値を感じます。

能力がなくても自分に価値があると思えた時に人は自分の力を存分に発揮できる

これが僕にとって1番大きな気づきだったかもしれません。

能力がないと自分には価値がない、生きている意味がないという価値観は強迫観念や執着のようなネガティブな感情が原動力です。

その状態は欲求不満を生みます。

満たされるという事がなくなる。

今より良い自分になる為にポジティブな気持ちで何かに打ち込む人とはやっている事が同じでも中身が違う。

原動力が違う。

原動力の違いというものに目を向けると色んな事が分かってくるかもしれませんね。


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