人生ステージ論②

今回は前に書いたこの記事の続きや補足の内容になっています。
人生ステージ論①

前の記事で書いたように自分のステージが上がると今まで関わっていた人たちとは話が噛み合わなくなったり居心地が悪くなったり足を引っ張られたりする現象があります。
このような現象が今年に入ってからかなり多く発生しており、人間関係におけるストレスが最近かなり増えつつあります。
そんな中で人生ステージ論についてもう一度考察していたところ新たに分からない事が出てきたので今回はそれについて書いてみたいと思います。

ステージが上の人はいわゆる人徳者や人格者に該当すると言えます。
自己を確立しており芯がある、周りの人たちや社会に良い影響を与えるエネルギーがある、物事を見る目が養われており感覚が鋭い、感情的に安定しているなどの特徴があります。

しかしながら、ステージを10段階とした時にステージ10にあたる人でもない限りは当然ながら同じ人間なので弱さも存在するでしょう。
相対的に見て周りの人よりステージが高いだけでその人たちも決して完璧な人間ではなく弱さもあるのです。
ところが、相対的にステージが上の人たちというのは下のステージの人たちを引っ張る事が求められてくるのです。
これは一つ前の「強者の苦しみ」という記事で書いたように強者と見なされる事により自分の周りから頼れる相手がいなくなり、逆に頼られる事が増えるという苦しみを生みます。

この記事で書いたように最近僕が感じているのは、自分が強者の立場に回る事が増えて頼れる相手が少なくなり、逆に頼られる事が増えた、自分より精神的に弱い人の力になる事が求められるようになったという事です。
しかしながらそこで露呈したのが僕自身の余裕の無さでした。
まだまだ自分の中にも弱さや悩みが沢山ある中で他の人たちを優先したり譲歩するという事に対してしんどさを感じているのです。

これは「人生ステージ論①」でも書いたように僕がステージ8〜10のような高度な領域にいるわけではないから起こる事でしょう。
以前よりステージが上に上がってきたのも確かですが、まだステージが上がりきっていないのでモヤモヤしてしまうのです。
弱者に対してどこまで想像力を働かせて優しくなれるか?という事が問われているように思います。

そして最近強く感じているのが、自分の思考が深まったり感覚が鋭くなる事によって逆に失われやすくなるものもあるという事です。
今の自分は昔に比べるととにかく多くの事に気がつく傾向にあります。
ところが、それによって増えてくるストレスもたくさんあるのです。
自分が昔のように鈍感であれば気づかなかった嫌な部分にも多く気がつくようになり、気づいていない人たちとは話が合わない事も増えて、そこでフラストレーションが溜まってしまうのです。

フラストレーションが溜まると当然余裕がなくなるので、他者に対して優しくする難易度というのが上がってしまいます。
ステージが上がる事によって自分の能力が一気に上がりますが、能力が上がる事によって逆に人格的に悪い方向に向かいそうになる場合があるのです。
そこで時々自分は本当にステージが上がったのだろうか?むしろ前より精神的に余裕が無くなってステージが下がっているんじゃないか?という感覚を覚える事があるのです。

本当に高いステージにいる人徳者というのは他者に対して非常に優しいと思います。
しかしながら他者に対して優しくする難易度というのは人によって大きく違います。
ある種、適度な鈍感な人間の方が人に対して優しくする事は容易いように感じています。
しかし同時に鈍感な人には持つ事ができない、感性が鋭い人間にしか持てない優しさも存在するでしょう。
優しさにも種類があるのです。

優しさは大きく分けると存在そのものを肯定してくれるような母性愛的な優しさと時に厳しく間違った事をした時には叱ってくれる威厳を伴う父性愛的な優しさがあるでしょう。
これはどちらが優れているというものではなく、両方のバランスが大切になってくるでしょう。
母性愛と父性愛についてはこちらの記事で解説しています。


仕事ができる人であったり、感性が鋭い人、思考が鋭い人、頭の回転が速い人というのはその能力の高さが理由で自分より能力的には劣った相手と関わる際に難しさを生じやすいです。
というのもその能力の高さが相手にとってはプレッシャーにもなり得る上に、自分らしく自分の高い能力を存分に発揮したまま生きていく事で存在そのものがまるでハラスメントであるかのようになってしまいがちです。
先日書いた存在ハラスメントという記事も参考にしてください。

ステージが上がるにつれて人間の能力というのは底上げされていく傾向にありますが、能力が上がる事によって人から妬まれたり恐れられたりする事も多く高い能力を有する事が一概に良い事ばかりではないのが事実でしょう。
そういう意味で感性が鈍くネガティブな事に気が付きづらい人というのは多くの人に「優しい」と慕われる難易度は低く、ある種それも才能であるとも言えます。

あえて比較します。
感性が鈍く思考は浅いものの誰にでも優しく接する事ができるいわゆる典型的な優しい人と、思考が深く感性が鋭い為に周りの人の卑しい部分にも気がついて普段は優しくとも時々人に対してイライラしてしまう事がある人というのは果たしてどちらの方がステージが上でどちらの方が人格的に優れているのでしょうか。
これは答えようのない質問なのかもしれません。

しかしながら間違いなく言えるのは、人間のステージを決める要素というのは複数あるという事です。
思考が深く感性が鋭い人は自分より鈍感で頭が回らないけど人柄の優れた人から学びを得る事ができますし、逆も成立し得るのではないでしょうか。
つまりお互いに補完し合うことができれば、特定の能力等に差があったとしても対等な関係を構築できるのではないかとそう考えています。
大切な事はお互いに尊重し合う事でしょう。
非常にありきたりでシンプルな言葉ですが、結局のところそれが真理なのかなとそう感じています。

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