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私が思う「才能を得る方法」

 とても美しい絵を描く人が居ました。人々は、彼の絵を見て言います。

「才能があるっていいなあ」
「こんなに上手く描けたら楽しいだろうねぇ」
「私にもこんな才能があれば良かったのに」

 皆深く考えず褒めたつもりになっていましたが、彼は喜ぶどころか不機嫌になってしまいました。

 絵に限らず、何かを極めた人々からよく聞く話です。
 私はこれ、どちらの気持ちも分かってしまうのですよね。

 自分が頑張って技術を高めてきた事に対して「才能があっていいねぇ、羨ましい」「私にもそんな才能があれば……」という褒められ方をしたとき、手放しで喜べない方は結構いらっしゃいます。
 これまで血の滲むような努力をしてきた事を無視されたように感じるのです。

「最初から上手くできたわけじゃない。大変でも諦めずにやってきたのだ」
「『才能が無いから描けない』と言う人は、殆どの場合、そもそも描いていないじゃないか」
「自分は他の人が遊んでいる間にもずっとこれを続けてきた。それと同じぐらい努力すれば、ある程度は出来るようになるものだ」と。


 ただ私は、"努力を継続できる"という事もまた才能であると思っています。

 「普通の人」はその事柄(例えば絵)について、そんなに努力し続けられないのです。

 フィギュアスケートの羽生結弦選手は「これ以上の努力はできないと思うくらいまで追い込む」そうですね。
 彼と同じだけ努力してスケートを頑張れば彼と並べる、というわけではありません。ですが、そもそも彼と同じぐらい努力できる人がどれくらい居るのでしょうか。
 私は挑戦すらしないと思います。

 そして、彼に対して「すごい才能だ!いいなぁ!」と言った人が居たとして、おそらくその人もそこに凄まじい努力がある事は分かっているのではないでしょうか。

 本当に向いていない事柄というのは、少し頑張るだけでもとてもつらい。

 更に「努力を継続する」となると、実行出来る人の割合はグンと下がってしまう。
 一説によると「行動を起こす人は全体の20~25%、継続できる人の割合は5%」なんて話もあるぐらいです。

 継続できるのはすごい事なのです。
 天才は1%のひらめきと99%の努力でできています。

 凡人からすれば、夢中になって打ち込める事がある時点でその人がとても眩しく見えたりします。
 場合によっては、何に対しても努力できない自分が情けなく思える……なんて事も。


■つまり何を言いたいか

 私は決して「自分には才能が無いから努力し続けられなくても仕方がないよね~、才能があればな~」「頑張り続けられないって事は自分には才能が無いんだ……」という捉え方を推奨したいわけではありません。むしろ逆です。

 別にめざましい成績を残せるというほどではなくても、長く続けられる事があるなら多かれ少なかれ才能はあると思っていいのではないでしょうか。

 みんな才能というものを「その界隈のトップでなければ才能が備わっているとは言えない」「それが備わっているならすぐに何でもできる!」超能力か何かのように大袈裟に捉えすぎているのかもしれません。

・才能が欲しいと願うなら

 どうにか習慣化する事ができれば、自分を「多少才能ある人」にする事は可能なのではないか。

 継続のコツは根性でがむしゃらに頑張る事ではなく、ハードルを下げて毎日の歯磨きのように当たり前にする事だといいます。

 「才能を得る方法」というと難しく感じたり胡散臭く思えますが、「習慣化する方法」ならやりようがある気がします。

 また、継続しても見当違いの方向に進んでいては効率が悪いので、程々にリサーチして勉強する事も必要かなと思います。

・他人から「才能があるんだね」と言われた場合

 才能の有無は努力を否定するものではありません。素直に誇って良いと思います。

 もし仮に相手から努力を軽視しているようなニュアンスを感じたなら、「まぁ毎日○時間は続けてるからね」とか「最初は下手くそだったよ(笑)」とかのように返せればモヤモヤを残さずに済むのではないでしょうか。


 継続は天才の重要な構成要素。
 才能がある=努力し続けられる人の中でもより高いところに至れるのは、努力を「楽しみ」や「習慣」だと認識を変えられる人なのかもな~と思います。

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