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「自然に遊び心が発動される場づくり」のマイニング・インタビュー文字起こし Part 3

慶應義塾大学SFC「パターンランゲージ」の授業のために行った、「自然に遊び心が発動される場づくり」についての、原っぱ大学 塚越 暁さんへのマイニング・インタビューの文字起こしの続きです(Part 1は、こちら)。

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※Timestamp: 60分0秒

【塚越】なんかそこが面白くって。そうやってやっていくのはきっかけとして必要なんだけど、そのうちいい感じになってきた人たちだけだと、役割一切なしでもできるような。それはそれですごく快適で、そうなったらすばらしいなって思う。でもまあ、そう役割をつくってやるのも、また楽しい。

【井庭】焚き火ができない日はどうしてるんですか?コンディションでできない日は、代わりのことがあるんですか?あまりないんですか、できない日は。

【塚越】あんまり焚き火ができないときはないですね。焚き火ができないぐらいの日にはそもそも山に入るのが危なかったりして、開催しないっていうケースが多くて。

【井庭】昨日(大雨だった)とか無理ですよね。暴風だし、寒いしね。雨の日は焚き火できるんですか?

【塚越】ブルーシートで屋根みたいな、タープみたいなものをつくっちゃって。

【井庭】枯葉濡れてても大丈夫なんですか。

【塚越】頑張る。

【塚越】それはそれでチャレンジなんですね。焚き火が重要なんですね、やっぱりね。

【塚越】焚き火が大きいですよね。居場所をつくりやすいし。

【安藤】焚き火以外の方法もないのかなと思って。思いつくものがあると。

【塚越】えーと、何のための、大人の何のための方法ですっけ?

【安藤】最初にこうやって居場所をつくったり役割をつくる時に、必ずその焚き火じゃないといけないのかとか。

【塚越】企画を走らせるときには焚き火より前に先にやっちゃうっていうか、最近ちょっと、あの、若いスタッフが入ってきて、今までやってなかったことをいろいろやっていて、この前ちょっと山の中で「逃走中」をやるぞって言って。焚き火ついていると危ないので、最初にやろう、と。で、先に申し込んできてくれたなかから何人か「ハンター」になる人を事前に依頼して。僕はBOOKOFF行ってスーツ買ってきて、やりましょうって言って。どうせ、こんな山にスーツで来るなんて誰もいないだろうなとかと、思ったらみなさんバシって決めて、本気だ…みたいな。
山全体を使うので、迷子になったらいけないので、一人ひとりというよりは、グループごとに大人の逃走者の大人リーダーと子どもたちみたいなグループをつくって。かつ、本当に危ないんで、基本、歩行中心、走らない。まぁもう阿鼻叫喚ですよ。山の草むらを歩きながら音も立てずに黒ずくめの大人がきて。恐怖体験でしかない。トラウマにならないかなって。
これ、最近我々の一つ見つけた、焚き火以外のパターンですけど、最初の1時間ぐらいがっつり企画ものというか、ルールのなかで遊ぶってことを、好きなだけ。

※Timestamp: 65分3秒

でも、やっぱりルールは変わったりすることはあるんだけど、もうでもそうやって1時間思いっきりやって、チームごとに固まってっていう、なんかその恐怖感も含めてガってやると、それが終わったときのほぐれ具合がすごいっていうか。原っぱだから自由だろって思うんだけど、自由ではないと。
そこも、僕は、パターンを壊したというか。結果、そのギュッとあって、濃密にゲーム的な遊びをしたことによって、そこから残りの時間がすごいゆるんで、ハンター同士が超仲良しなんです。ハンターがすごくセンスがいるわけですね、当然ギャン泣きされるとハンターも人の親なんで、すぐにひるむんですね。あとは僕ら普段やってるんだけど、ハンターとして行くんだけど、「今この子を捕まえるとちょっとまずいな」と見たときは、ちょっと素通りしてみるとか、そういう配慮が必要で。
こっちが別のハンターが配慮して素通りしたのに、その状況を知らなくて別のもう一人のハンターが思いっきり捕まえたら、「今すぐ帰る!」みたいになっちゃうとか。そういうのも含めて、終わった後にハンター同士が共犯者になるっていうか。
「泣かれてまいった」みたいのとか、「すげー疲れた」、「万歩計をつけたら今日何歩歩いたよ」みたいな話をし合うことによって大人同士もふわっとゆるむ、というか。そこはね、我々の学び、型を取り入れたんですね。

【安藤】「逃走中」だったら成功も失敗もないからこそ、気にせずに楽しめるというのも、つかみやすいなと思います。

【井庭】山でそういうゲームやると、めっちゃおもしろいよね。昔、井庭研の追いコン合宿って、すっごくつくり込んでたんだけど、めちゃくちゃつくり込まれててね。そういうゲームをやったことあるんです。卒業生を送るときに、下の代が企画をしてやってて。「逃走中」みたいなので、ゼッケン付けて、そのゼッケンの番号がメモられたら負け、みたいな。タッチしなくてもよくて、目撃されたらダメで。「31番見えた!」みたいな、スマホで流れてばれちゃった、みたいなのでやって。すごくみんなコソコソ隠れながらで連携しながらやるみたいなやつで。そういう人工的なゲームなんだけど、自然のなかでやるとすごい開放感で。なんか本当に冒険してるみたいで、みんな道じゃないところを移動して。

【塚越】すごく面白くて、やっぱり僕らのチャレンジはその山だから、型がどんどんでき上がってくるんで、そこを乗り越えるというか。なんか、山だからっていうか、いつの間にか、そのまさしくルールのあるゲームじゃない場みたいになんとなくなっちゃったんだけど。最近新しく入ったスタッフが「逃走中やってみよう」とか、「リアル脱出ゲームやってみよう」、「宝探しやってみよう」とか。リアル脱出ゲームとかやると、すげぇグタグタなんですよ。でも、すごく準備して、また地図を描いたり問題を書いたりとかってやると、やっぱり違ったルールのなかで遊ぶことが、次の開放につながるみたいなのは、すごいよね。

【井庭】さっきの追いコン合宿で、例えばどんなのがあったかって言うと。あの、例えばね、あの、足柄で追いコン合宿やると、そこに行くまでの間に、ウォークラリー、スタンプラリーじゃないな、あの、まず最初に、あの、車で昔行ってて、7台ぐらいでみんな分散して乗って。湘南台で集まったら、ドライバーの人はこの封筒はみんなが集まってから開けてくださいってのがあるの。で、開けると、「まずここに行け」みたいな、円行公園、「湘南台の円行公園の行って、どこどこを見よ」みたいなのが書いてあって、なんかその門のところにカプセルがあって、カプセルに次の指令が書いてあって、「次はどこどこインターのサービスエリアのなんとかの看板の裏」とか書いてあって探す。それは、同じ車同士でチームになって探すんですよ。それ超大変で、その、写真付きでアップの写真が載ってるんですね、それをやるために何をやってるかというと、企画したメンバーは一週間前にそこに行ってカプセルをおいて写真をとって、そのまま置いとくと無くなっちゃうから、その写真撮ったら回収して、僕らが回る1時間前に全部の場所に、コンビニの電話のボックスの裏とかに、いろんなとこに全部行って、僕らより先行して全ての物を置いていく、みたいな。そういうのやってすごく手間暇かかっていたんだけど、めっちゃ面白くて。それで、最終的にそれを辿っていき、着いたときは順位があって、それなんかこう、なんという言葉かわかったかどうか、みたいになってて。ヒントがあって、全部無くても、その言葉を最後当てるんですけど、抜けてても大丈夫だから見つからからしょうがない、って感じなんですけど。そういう手間暇かけてやるゲームで人工的なんだけどそれがまたすごくみんなで盛り上がる、みたいな。

※Timestamp: 71分00秒

【塚越】僕らもその前の「逃走中」もそうだし、「リアル脱出ゲーム」も事前に同じように地図を描いてそこに宝をセットアップして、写真を撮ってみたいなのを、山じゅうでやるんです。その文化祭ノリというか、こっちも文化祭の手づくりの学生とか高校生とかのころの感覚。それもやっぱり共犯者、仲間なんですね。たぶん我々がプロとしてリアル脱出ゲームのプロデュースっていうふうに、求められるクオリティじゃないわけです。
楽しいことが大事だから、子どもギャン泣きしだすとルールがどんどん変わってくるんです。ギャン泣き一番強い、みたいな。そこはお互い様で行こうぜっていうところがあって、勝ち負けをつけることがすべてではないっていうふうなのを、すべてのステークホルダー ----- 子どもは真剣だったりするんですけど ----- 大人が理解しあって、でも、例えば、小学校の年齢の幅があるんで、中学年ぐらいの子たちはやっぱり勝ち負けにすごくこだわりたかったりする。その子たちとその恐怖心と戦いながらそこの間に参加することだけで意味があるというような年中ぐらいの子たちとが一緒に遊ぶんで、やっぱり大人にとってすごいクリエイティブというか、成り立たせるために必死みたいな。最後謝る
、みたいな、「ごめん!」。むっちゃクレームとか来るわけです。「なんかズルくない?」みたいな。

【井庭】「中学年のあの男の子とかマジズルくない?」みたいな。人数違うしとかね。

【塚越】「うるさい!」と一言で終わらせることもありますし、「大変申し訳ないです、でもわかって」みたいなこともあります。こっち側は腹をさらけ出すみたいな。

【安藤】あの、参加者が多様である事って結構重要なんですか?年とか。

【塚越】多様であることであることが重要か?結果として多様にやっぱりなるから、みたいな。多様であることが良いみたいなふうには思ってない、と。多様だからどうせ、みたいな。ただ、一応ゆるやかに発達とペースによってコースを分けていて、「リトルコース」っていうのが主な対象が2歳から4歳ぐらいの、割とスローペースで遊ぶ子たち。「ギャングコース」って言って、5歳から10歳で、ここまでが親子で遊ぶコース。で、「青春」ってカテゴリがあって、それは子どもだけで来る。10歳ぐらいから、中学3年生まで、みたいな3つに分かれてるんですけども。
当然ギャングコースだけど、お兄ちゃん6歳で弟3歳みたいなところで家族が来れば、3歳でもそこにいるし、リトルコースでも、この子をメインに遊ばせたいから3歳児の子と来るけど、そのお兄ちゃんの小学校1年生の子が来る、みたいなケースはあったり。
あとはすごく意識的にと言うか、我々が助かっているのは、スタッフの子ども。「スタッフキッズ」って我々は呼んでるんですけども、場にいるケースが多いんですよね。みんな現役子育て世代だから、スタッフの子どもたちがいるんですけどまあ異分子なわけですね。参加者の子どもたちは月に1回とかだからすごく新鮮なんだけど、スタッフキッズは常にそこによくここに来るから勝手にデュエマ(デュエル・マスターズ)カードゲームを始めたり。

※Timestamp: 75分8秒

一番いいツリーハウスの一番いい場所を占有して、そこでポテチを食べながらデュエマやって、他の子が来たら足蹴にするみたいな。「ここ、俺らの城だから入ってくるな」みたいな。それはすごく良くって、こっちは問われるわけです。デュエマってやっちゃだめなんだっけ?何で? スマホ・ゲームだとして、スマホ・ゲームってやっちゃだめなんだっけ?なんで駄目って思ったみたいな話だとか。ないしは、スタッフキッズらしく振る舞いなさいっていうことが、要望できない子たちっていうか。むちゃくちゃというか、「今日は秘密基地つくるぞ!」って言っても、「それもうやったし、俺もうわかってるし、つまんねーし」みたいな。
ある意味、カナリアですよね、炭鉱のカナリア。こいつらがつまんないって言ってるときには、何かこうなんかこうこっちがパターンに陥ってるケースがあるのかなとか、彼らがやりたいっていうふうにやって一番素で振る舞っているので、「じゃあ、デュエマカード大会」、「カードゲーム大会やる?」みたいな話とか、「スマホゲーム大会やってみる?」みたいな話で、それを追い出さないというか。そこはなんかすごく大事なサインというか、大事な遊びの種を持っていて。
でも、すごい葛藤なわけですよ、「お前、俺の立場わかれよ」みたいな。そこでそれを全力で発動したら負けと言うか、っていうためにスタッフの子どもたちが自由に振る舞っっていて、そこにどうやって我々は乗っかれるか、ないしはどうするかみたいなのが常に問われてるし、逆にとそれでいいんだって安心感があるんですね。他の親御さんには「子どもたちのありのままがいいと思うし、いいじゃん」とかって言っといて、自分の子どもに関しては、「お前ちょっと挨拶しろ」みたいなのは矛盾になっちゃうので。すげぇ放ったらかして、「そのまんまだね、この子たちも確かにそのままだね」みたいなのは。
でも、ときには、「やっぱりお前さ、スタッフの子どもなんだからさ」みたいなことで出しちゃうこともあるんだけど、それも含めてなんていうかそれは出しちゃうよね、だってお金頂いるんだし、というのも含めて人間的に接していくっていう。なので、揺れるわけですよね、我々も揺れてるみたいなところのなかで気づいたり、っていう感じ。

【井庭】やっぱりどうしても僕も子どもいて、僕の都合でいろいろな場に連れていくことある。やっぱり「他の子たちはみんな何週間に1回とか、そこに行くのが楽しみだったり親と一緒に行こう行こうって言ってるけど、俺、別そうじゃなくて親がスタッフだから来てるだけだし」と、そうなりますよね。「これやりたかったんだよね」とか「これ、家じゃなくてここでやってるだけだから」みたいな感じは当然あるだろうから、そういうふうになりますよね。でもそれもいいですね。

【塚越】そこはやっぱり今度は輪の中心になっていたりするわけですね、だから、そこをいかに、何て言うか、制御しようとする自分を抑えられるかっていう戦い、戦いだったりします。

【井庭】今の聞いていても、本当思うんですが、なんか不確実性とか、よくわからない混沌状態をうまく耐え抜き乗り越えるみたいなことが重要そうですね。

【塚越】なんか、その、やっぱりそれは伝わるんですよね。「あ、今、不確実性に乗っかって、そこからこう流れてってるなぁ」っていうのは、参加してくれてきた人たちもわかって、そうなってるときに仲間になるというか、上下というスタッフと参加者って境が揺らいでいくというか。

【井庭】そこ、重要だな。つまり、この場はスタッフがコントロールしてる場ではなくて、スタッフの人たちもよくわからないことが起きるし、いろんな偶然的なこともあるしっていう場なんだな、ってことが共有されているし、一緒にそれをどうしましょうかとか、もっとこうしたらよくない? みたいなことになるわけですね。

【塚越】そうなっているときは、たいがい良い場になっています。

※Timestamp: 80分1秒

【井庭】そういうことはスタッフが新しく入ってきたなかですぐ慣れますか?それとも、何かそこが大きな、何かこう、そのあとの違いになるというか。

【塚越】それが実は僕がよく分かんないところだったりして、そこがどうか。そのとき、だから結構スタッフとしたら所在なかったりするわけですね、そこに自分がどう立ち振る舞えばいいのかっていうことも、なんていうのか、役割としたらすごく曖昧というか。目指すものも曖昧なんですね、やっぱりわかりやすいのは、この竹イカダを成功させるのがわかりやすいんですけども、そうじゃないところや、それは表面上はそうなんだけど、場の価値ってそこから出てるところに立ち上がっているところの、じゃあ、そこに対して自分がどうあるべきか。哲学的というか捉えどころがない、と。とらえどころがないというところも僕は、「理解しなくて、適当でいいんじゃないの?」みたいな。長嶋茂雄状態ですね。

【井庭】わかります。「僕の講演とかワークショップに来て」とか言って、(井庭研のメンバーが)見学に来るじゃないすか。で、ブレイクアウトルームで、なんか他の参加者と初めて来た参加者と一緒になったら、どうすればいいんだろうって、たぶんみんな思うんだけど。もうそれぞれしといたらいいんじゃないのとか、話したいこと話したり聞いてるんじゃないの、みたいな感じしか言いようがないですもんね。君の役割は質問に答えることだ、とか、
井庭研のこと伝えといてとか、魅力伝えてとかいうのではなくて、変わりはなくて、参加者としてなるようにやっといてとしか言えない、みたいな。むしろ、そこがまあそれ重要だよね、そこが重要だよね、みたいな感じで、それ以上言えないとこありますよね。

【塚越】それでも、でも、そこの奥に何かがあるような気はやっぱりしていて、何て言うのかな、場に委ね過ぎてもいないわけですよね。やっぱそこにスタッフとして居るっていう自分もやっぱりどこか残っていて。でもコントロールしすぎないけど、場に熱を発し続けてるというか、ちょっとだけ3ミリだけ先に入ってるみたいな。なんかわかんない。ないしは、3ミリ後ろからちょっと押しているのかわかんないんだけれども、何らか、やっぱり役割を発してるんだなぁって思って、それを完全放棄するとやっぱりスタッフとしてやっている意味ないなぁと思って。というのを要望している気がしてるんだけど、それは何かっていうものをきちんと言語化してないっていうところの悩みというか、パターン化の話ですけど。

【井庭】そこ、もうすこし掘っていきたいんですけど。例えば、井庭研のメンバーでいうと、ブレイクアウト入ると、みんな井庭研の人だって自己紹介するからわかるじゃないですか。そうすると本人が何かをしようじゃなくて、「ここってどうなの?」とか、「井庭先生こう言ってたけど、どうなの?」みたいに聞かれるわけですね。だから、自分が「こうしよう」じゃなくて周りから見たときに、「井庭研の人なんだ」と思うと、他の人が聞きたくなってきて、そんな感じだよね?多分ね。(井庭研メンバーに向かって)
そうでしょ、そうでしょ。そういう感じがあって、スタッフの人も、「この人、スタッフだよな」って思ってるとどうなろうとか、そういう空気というか、これってどうなのとか。自分がスタッフとして振る舞おうってしなくても、当然なんか私スタッフとして振舞うっていうようなことも入ってくる、ゆるやかに入ってる感じはあるんじゃないかと思ったんですけど、その辺りはどうですか?

【塚越】それこそ「場のデザイン」としてどうなんだっていうのはありますけど、よく言われるのは、「スタッフかなんだかわかんない」って言われるんですよね。お揃いのTシャツを着るとか、ちょっとそういうのは苦手で、そういうのを用意してないんです。一応名札は貼ってたりするんですけども、「スタッフだったんですね」みたいなこと言われるケースがあるみたいです。それは、場のデザインとしてはそうじゃない方がいいのかな、って最近思ったりはするんですけど。

【井庭】でも、同じTシャツとか着ない方がいいよね、その人らしくないし、めちゃくちゃスタッフになっちゃうから。

【塚越】僕は「ガクチョー」としているから、役割をもってるんですよね。お前、ずるっこじゃんみたいな。だからちょっとだけ楽してるんだけど、でもスタッフも、特に入りたてのスタッフなんかで、子育て世代だったりすると、もはや本当に他の親と区別つかないっていったときに、「俺はどう振る舞っていいんだろう」って話をしてて、「それは困るよなぁ」って思いながらも、今までのケースで言うと、すごいみんな悩むと言うか、「うーーーーーん、じゃあどうやってみよう」っていうことを、それぞれが試行錯誤しながら、なんとなくポジションをつくっていってくれてる、っていうのがこれまでだった。

※Timestamp: 85分3秒

だからこそ力まないで関わり方とか、立ち位置を見つけてくるんですけども。でも、だからこそ非言語で、全然できる人、できない人がいますね。

【井庭】そこはみなさん、どんな悩みなんですかね?他のスタッフの方々で。

【塚越】「所在ない」みたいな、「俺どうしたらいいかわかんない」っていうのが多いっぽいですね。その、「これでいいのかわからない」、「こうしたけど、これで良かったのかな?」みたいな。
究極けがさえしなきゃどっちでもいいと思ってるんです。短期的に場が硬くてもそれはそれで仕方ないっていうか、その次にあるきっかけになればいいやっていうふうに思っている。だからどっちでもいいと思うっていうような伝え方をしてるんだけども、そういう人はいないんですけど、その場をコントロールしようとする力が強すぎるとよくないなとは思うんですけど、あんまそういう人はいない。

【井庭】じゃあ、その「これでいいのかわからない」って人は、塚さんから見たら「別にいいんじゃない?」っていう。

【塚越】僕は、だから、良いと思って、よく動いてくださっているなぁという風に僕からすると見えてるんだけども、本人の中で葛藤がいっぱいある、と。

【井庭】それでいいんだよっていうふうに言ってあげたらいいんだ。それがお守りとなって、そのまま自分らしくいられる。

【塚越】それは僕自身も一緒だから。やっぱり葛藤しながらだし。よくよくある葛藤がですね、子ども同士の喧嘩が始まったみたいな。で、なんとなく力関係がこっちの方が力が強そうだ。さぁ!どうするんですか?やられてるほうのお母さんが目の前でこっちを見てて。スタッフが脇にいるというふうなこと、認識されてる。私はさて、どうこの瞬間振舞うか?
でも、ケースバイだったりするわけで、僕も困ったり失敗したりするんですけども、そういうときはやっぱすごく所在なくなるんだろうな、誰しも。そのときによく聞かれるのは、どこまで、どのタイミングで喧嘩を止めるべきですかね、と。

【井庭】それは難しいなぁ…。

【塚越】もちろん、武器持ち始めたら止めます。じゃあ、止めた後どうすんだって。双方に言い分がある。「あいつが最初に俺のこと蹴った」、やった方は「あいつが最初に俺の何とか取った」みたいな。で、どうする?みたいな。

【井庭】自分の子どものだったらね、「ちょっとやめなよ」ってなるけど、そうじゃないから。どっちがどっちって、仲裁にね。

【塚越】そうしたときに、両方の言い分じっくり聞く。正解ないというか、しこりが残っちゃうケースもあるし、そうじゃないケースもあるし。生ものですよね、そういうことって。その一つひとつにこれが正解ですとなかなか言えないんだけど、僕自身意識しているし、経験豊富なスタッフがすごく意識してるのは、ジャッジをしないというか。それはすごく意識していると思うな。ジャッジされた瞬間に、なんか信頼関係崩れるというか、守りに入る、壁ができる、と。それは、双方に言い分があるわけですね。そこはすごく大事にしていて。

【井庭】それしかないですね。あの、僕、きょうだい喧嘩してると親として止めがちなんですけど、本当は止めない方がいいんだよなぁ、と思うときがあって。ヴィゴツキーが ---- ロシアの心理学者の ----- argumentする力をつけるのはどうやってかというと、最初はみんな喧嘩のなかで、他の人との口論のなかで意見を戦わせてやっていくことが内面化されて、最初はコミュニケーションで始まって、それが内面化されて自分の中で、ああでもないこうでもないっていう考えに発展するんだ、っていうの読んだときに、そうか、と。だから、口論しっていうことはそういう効果もあるんだなと思うと、無下に「喧嘩やめなさい」とすぐ言っちゃうんだけど、実はそれはちゃんと喧嘩で議論を戦わせる、暴力的な喧嘩じゃなくて、なんか、「こうだって」、「そうじゃないでしょ」とか言ってるのは、意外と重要かもしれないなって、発達において。っていうのがあると、必ずしも止めたりとか、その仲裁して場を収めるっていうだけが、正義じゃないなっていうのも考えたりもするので、難しい問題ですね、その辺り。

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