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「自然に遊び心が発動される場づくり」のマイニング・インタビュー文字起こし Part 2

慶應義塾大学SFC「パターンランゲージ」の授業のために行った、「自然に遊び心が発動される場づくり」についての、原っぱ大学 塚越 暁さんへのマイニング・インタビューの文字起こしの続きです(Part 1は、こちら)。

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※Timestamp: 30分4秒

【塚越】実は我々、参加した人もすごくわかってくれてると思うんですけども、そうは言ってもそこのイカダをつくるために、この竹っていつ誰がどこから運んできたんだっけ、この丸太ってどうしてんだっけとか、ある程度のその事前準備・セットアップは結構頑張ってるんですよ。なんというかな、すごく準備はする。でも、そのプロセスの一番楽しい試行錯誤の部分は奪わない、みたいなことを意識してるような気がして。それはたぶん伝わってるんだ。

【井庭】だから、「なんか、ちゃらんぽらんだな」みたいなふうにして、「なんだよ」みたいに思われることはなくて、「一生懸命やってるのは伝わってるけど、一生懸命やった結果、これか」が楽しめるわけですね。しかもさっきの縄ぬったりとかしてね、あんなふうにして、「そこまでみんなで手間暇かけてやった結果、これか」みたいな、「ダメじゃん」みたいなのが、この突き抜けがあるのかもしれないですね。

【塚越】あとは、もうひとつ共犯関係ってなかでは、僕以外のスタッフもそば耳を立てていて、子どもって「やりたい」がパッと出るんです。「これやりたい」「やりたい」の嵐。その最初のブロックさえ取っちゃえば。
でも、大人って「やりたい」をなかなか言えないというか、言っていいのか躊躇するんです。でも関係性ができてくると、ぽろっと「やりたい」って言ってくる。これはつい最近あったんですけど、あるスタッフが僕のところに言いに来てくれて。もう1年ぐらい通ってくださっているお父さんが、最初すごい緊張していたんですけど、「丸木舟を掘りたい」って言ってる、と。丸木舟って何かって、何かテレビ番組でやっていたらしいんですけど、丸太から木をくりぬいて、それを船にするって言うんですよね。それをやるって言うんで、そのまま、「じゃあ、この木がいいかな、あの木がいいかな」って、そのお父さんが来たんでお父さんと二人で話しながら「実はこの木がいいと思うんです」ってそこまで行ってください、そして二人でカットして。「じゃあ、ぜひやってくださいってい」って。その人のプロジェクトになるわけ。じゃあ、「5月に今度やるときがあるから、その日までにこの丸木舟を完成させてね」って言って、「あなたのプロジェクトなんで」って。責任者を丸投げしちゃう、みたいな。で、もちろん、だから、「俺の責任じゃない。あなたの責任でしょ」みたいに、今、丸木舟のプロジェクトが動いてるんですけど。その時にどう言うかって「失敗してもいいですからね」って。僕が許す側になってる(笑)。
よく考えたらひどい話ですけど、でも、そこまで「やりたい」って言ってくれるようになっちゃったらしめたもので、ぽつりと「これやりたい」って言ってくれたら、あとはそれをちゃんと拾って、たいてい「そんなことできるのかな」みたいなこと言うわけですけど、それにどれだけ乗っかるか。

【井庭】「やってみましょう、やってみないとわかんないですけどね」みたいな。「そこに、木がありますよ」みたいな。

【塚越】そのときにはゴール・イメージ明確に持ってないなかで乗っかってみる、っていうことの繰り返しかな。

【井庭】今僕の手元、こんな感じ。(インタビュー中の手元の机の上の付箋を見せながら)

【塚越】すごい、そうやって拾ってくれるんですね。
そこまで、逆にぽつっと言ってくださるっていうのは、もうOKの状態なんです。でもその前の段階って何かっていうと、やっぱり僕は子どもと動き回っちゃってるんで、僕はできてない部分の裏側で、スタッフがやってくれているんですけど。さっきの子どもと大人を意図的に離すみたいな。
その時に親の最初のモードの多くはどうかっていうと、「子どもに自然体験をさせたい」「思いっきり遊ぶ場に子どもを連れて行って遊ばせたい」、他動詞で来てるんです。親としての役割を背負ってくるケースが多いですね。そこで僕らは当然、「親としての役割じゃなくて、あなた自身が楽しい場所なんですよ」ってことを伝え続ける。

※Timestamp: 30分4秒

それって、直感でわからないケースがあって。そこに寄り添うのが大人と対話するのが上手なスタッフの役割としてあると思っていて。で、一緒に焚き火をつける。「なかなかこのマッチ着かないんですよ」ってなったら、「実はこうやったら着くんですよ」なんてやって、一緒に火を着けると途端、仲間・共犯者になる。あとは、お母さん同士でいると、子どもが走り回ってるといろんなことが起きるのを一緒に見てる。で、お母さんとしては、自分の子が人の子の物を取っちゃいはしないかとか、叩いたりしないかとかドキドキしているわけです。そうなってるところを、「あはは」って笑っているみたいな、「なんか、あの子のおもちゃ取っちゃってる、あはは」みたいな。
それを僕らのちっちゃい子向けのコースで、「迷惑をかけあおう」って、すごく大好きなキャッチコピーなんですけど、だっていいじゃんと。別に子どもはそんなに天使じゃございません、欲求の塊でございます。どうせ、順番だって守れないし、相手のことを叩いちゃうケースもあるし、暴言吐くこともある。そんなもんだよね、それでもお互い様じゃないの、みたいなことを、やっぱりすごく強くスタッフ一人ひとりが思ってくれていて。そのときに、そういうもんなんだよ、と。やっぱり何を恐れるかって、自分の子育てだったり、自分のことをジャッジされることを恐れるわけです。「こんな子に育ててしまった私」っていうふうに言われるみたいな。保育園と小学校とかは言われる。「そうじゃない、そんなもんなんだ」っていう空気をつくるために、それは子どもへの声がけを通して親にするってのもあるし、子どものその姿を見ながら一緒に話しているケースもあるし、そうやって親の認識をちょっとずつリラックスできる場だっていうふうに「共犯者になる」、「緩める」、「リトリート」みたいなのは、特に女性スタッフがすごく上手です。

【井庭】じゃあ、ちょっと他のメンバーも質問、今までのなかであれば、どうですか?僕は聞きたいことまだまだあるのですが。

【川邊】ガラクタ転がってたり、なんか雑な、完璧じゃなくていい雰囲気をつくるっていうの、なんかそうすると周りの参加者の人たちもゆるまって、そうなんだろうなと納得的なんですけど。ともすれば、それが結構いきすぎたりして、危なくなったら怒るとかはもちろんあると思うんですけど、そのへんの塩梅ってどうされているのかな、とすごく思います。

【塚越】そこが本当にスタッフの難しいところで。まぁ、場が汚くなりすぎたら、僕が怒られて、みんなでちょっと整理するって話はもちろんあるんですけど、それは大した話ではなくて。安全との兼ね合いっていうところっていうのが、特に僕らみたいな場のなかではすごく大事で。大けがしたら一発でおしまい・意味がないので、そこを守りながらどこまで発動できるようにするかっていうところが肝だと思う。僕がいつも言っているのは、「自分がけがをしない、人をけがをさせない」っていう、「それさえ守ってくれたら、あとは何やってもいいよ」っていうメッセージを言ってるんですね。明確に言っています。
子どもはね、結構わかるんです。初めて来る子には、僕、2歳児でもこう目を見て、「ここのルールはひとつだけです、自分がけがをしない、相手にけがをさせない」 --- それは、二つな気もしますけどまあいいや --- 「そこだけは守れば、何やってもいいよ」って言って、いくつかその気をつけるポイントがあるんで、「自分がけがしないために、こういうことは守ってほしいです」っていうことはあるけども、伝えて、「どうぞ」というふうに。

※Timestamp: 40分0秒

最初にルールを明確にするというか、線引きのラインをきめてそれをやってるんですけど、それでもやっぱり初めての子が動き出せばいろいろ危険な、我々から見ると慣れてる側から見ると、それは危険だろうと思うことに入っちゃうケースもあるので、そこをどうしてるかと言うとスタッフ同士がさっき言ったその関わりという意味合いにおいては、一点集中だったりするんですけども、もう一個俯瞰の目をみんなにもってもらう持っていていう両方を要望している。
それは安全と安心と二つの観点において今、目の前でその子とやり取りしてんだけど、パッと見て見上げたときに、あそこでサポートなく木登りしてる子がいるときに、誰かにアイコンタクトで行ってもらったりとか。パッと見たときに、そこでマッチ擦るするなよ、みたいな感じに、火事になるから、みたいな話とかっていうことを、ちゃんと察知できる鳥瞰の目線を一人ひとりが持って、そこは連携していこうと。また刃物の扱いとか。
そんなに、危険なパターンってそんなにないんですけど。落ちるみたいな話と、道具みたいな話と、あとは転がるっていうことがあって、あと火とか、いくつかパターンがあってある程度事前に押さえておくというのはある。ただ、事例はいっぱい共有してるんです。こんなケースがあって、こんなケースがあって、ここは危ない、危ない箇所の確認とかってやるんですけども。明確な線引きはしてないですよ。
例えば、棒をもって振り回したら必ず取り上げろみたいなことは、スタッフでは共有してなくて、棒持ったら振り回したくなるがなっていう前提で、そんなにそばに人がいないなかで別にいいじゃないか、と思うんですけど。でも、そばに焚き火に集中してる子がいているなかで、ここで振り回したら当たったら危ないよね、みたいなケースではもちろん止めるし。何かっていうと、スタッフ一人ひとりがその場所・シチュエーションでその人も感覚で危ないと思ったら、そこは止める。
さっきの「自分と相手をけがさせない」っていう観点を参加者に共有してるから、今が危ないじゃん、だからダメ、っていうふうにストップを発動するっていうのは、スタッフそれぞれに委ねられている。それ以外の部分で共有してるのには、刃物の扱いとか、高さ危険箇所って言われる所への振る舞いとか。最近の弓矢がすごく流行っていて、飛び交うみたいなことになって、それはまずいよねってことで、弓道場をつくったり。
それはそのとき次第で、工夫ながらですけど、あとはその場その場で。

【井庭】あの、今の五つぐらいあげるって言ってたのは今言ってたような話ですか?その伝えるのは何ですか?

【塚越】一つは、多いけがの例から伝えてるんですけど。公園ではないので、切り株みたいのがいっぱいある。切り株で転んだ先にも切り株があって手が出ないでおでこを何針も縫うみたいなケースがあるので、走り回るのはいいんだけど、それ、危ない場所だとわかって足元見て走り回ってね、というのが一つ。もう1回やっぱり次にあるのがノコギリで、本物の道具を渡すんで、ノコギリで自分の指を切っちゃう。こうやって、こうやって切るものを押さえて、自分の親指を切っちゃう。夢中になって左手に意識行かないで切っちゃうみたいなのがある。それは大人もそうだけど、意識してこっちも押さえるところを見る。
それからあとはまぁ、吊り橋はいっぱいあるんですけど、手づくりだから、ときどき落っこちる。高いとこにも、柵がなかったりするから落ちるとか。高いところは気をつける。
これからの季節は蜂が出てくるので、いそうなところだから気をつけるとか、帽子をかぶるとか、スズメバチがきたら止まる。

※Timestamp: 45分0秒

最後、迷子。どこにいるかを大人に伝える。結構、山は広くて、気づいたらいなくなってるみたいなことがあるので。この5つのポイントは明確に伝えていて、あとは、その時その時で、さっきの話とか、雨のあとここが緩んでこの崖が危なそうだからと、個別で伝えるケースあります。

【井庭】この一番危ない危険なところの外側、その境界の部分だけは固めて、後はこのなかだったら大丈夫だよっていう感じで、自由度がある。

【塚越】やっぱり」「聖域」をつくってる感じがするんです、このなかだったらいいんだよっていう。あの、それは本当思うんですけども、これは難しいというか、「ここが聖域なんだ」っていうことを明確にしておかないと、「下界」に降りてそのままのモードで行っちゃうこともあるわけです。それはもちろんいいんだけど、いいんだけど、例えば降りていくと民家があるんですけど、民家の車を守ってるチェーンがあるんですけど、それを振り回して車にバンバン当ててたりとか。で、怒られる。それは怒られますよね。そこは一般社会でございます、みたいな。
あとすごい笑っちゃうエピソードですけど、僕が泥んこになるじゃないですか、ある子が家に戻ってすぐ、この時期で入園式で、保育園だか幼稚園の入園式で、園長先生がいて、園長と「ガクチョー」(塚越さん)を勘違いしたんです。で、園長先生に葉っぱを投げつけるみたいな。園長先生も保護者も真っ青になるみたいな。
なんかそこ、だから、もちろん日常にそういうゆるんだ姿を持ってくのはいいんだけど、ちょっと違う、っていうことが。

【川邊】なんか聖域をつくるっていうのは、そこの場に来た子どもたちとこの大人の安心感のためでもありながら、外とは違うっていうか。

【塚越】何を持って帰ってほしいと思ってるかって、さっき言ったこととちょっと矛盾してるとも思うんですけど、でもやっぱり、日常には日常のルールがあります、ありますよねって。

【井庭】ただ、そのルールのなかで遊び心を発揮するということ、その辺りを持って帰ってほしいですよね。だから、だからこそ、またあそこに遊びに行きたいみたいなことがあって、リピートして、今度はこれやってみよう、あれやってみよう、みたいなのがあるでしょうね、きっとね。

【塚越】それがね、本当にありがたいことに、リトリートとまでは言わないけども日常から戻ってきたのでエネルギーを養いに来てくださってる、みたいなのを聞きます。大人も子どもも。

【安藤】参加者同士の関係性とかも重要だなぁって感じて、そこの初対面とかだと思うんですけど、そういうところをどうやって溶け込んでいくっていうか、仲良くなってくってどういうふうにして行くのかなって。

【塚越】それがまた不思議でして、僕らって今はチケット制で、チケットを持ってる会員がたぶん300ぐらいいて、それらの会員が、今、土日に、土曜日はちっちゃい子向けのリトルコース、日曜日はギャングコースって設定して、買って来てくれる。だからその日に集まる人ってランダムなので、毎回同じ子たちが集まってるわけではないから、なんとなく前も会ったことがある人がいるケースもあるし、全くの初対面のケースもあるし、いわゆる濃いコミュニティじゃないんですね。だから、子どもでよくあるケースは、今日は親がその日に原っぱ終わって、「誰と遊んだの?」って聞いたら、「名前わかんない」みたいな。名前をそんなに認識しなかったりする。認識しあうケースももちろんあるんですけど、しないケースもあって。
ゆるいつながり、ないしはこの世界感、やっぱり共犯者って言葉がすぐしっくりきますけども、その世界観をつくってる共犯者「原っぱ仲間」みたいな感覚の前提があって。それがあったらそれでとりあえずOKみたいな。

※Timestamp: 50分0秒

でもやっぱり、さっきの話とも重複しますけど、つながりが深い、関係性がずっとしばらく関係が深い人って必ず毎回何人かいて、その人たちが場をリードしてくださるというか。「こうでいいんだよ」とか、「こうじゃなくていいんだよ」っていう。やっぱり最初、初めのころは、来るとどうしても、「すごく自分が思いっきり遊ばなくちゃ」って頑張っちゃってる。逆に言うと、すごく警戒してるとか、いろいろいらっしゃるんですけど。
どっちでもいいみたいな。「僕は今日ここでずっとカップラーメン食べてるから」みたいな感じだったり、「俺は今日やりたいことやるぞー!一緒にやりませんか?」みたいに声をかけてくださったり。結構、そこにコミュニティをつくるために積極的に関わるみたいなことはあまりしてない。
あぁ!今そこ思った!コミュニティづくりみたいな意識は全然なくて、One to Oneの関係をいっぱいつくりにいってる感じがすごくするね。そうすると、結果として「面」になってるみたいな感じで。だからスタッフと参加者も最初は慣れないうちは「何々さん」って名字で呼んでるけど、そのうち名前で呼び合うようになったり、ともするとあだ名になっちゃってたりする、みたいな感じで。
もちろん我々は対価を頂戴してサービスを提供してるんですけども、サービスじゃない関係に移行してく。僕がよくスタッフに対して言ってるのは、わかりやすいのかわかんないけど、「ちょっと年上の高校時代の部活の先輩」です。「1年生のときにたまに来た先輩に接するように接してみて」みたいな。「久しぶりに遊びに来ました」みたいな、先輩だから多少リスペクトするし、敬語も使うけど、「10年前部活で一緒に辛い思いをした仲間である」みたいな距離感。リスペクトって大事。我々が場をホールドして偉い、とかじゃなくて、当然顧客だしリスペクトは大事だけど、過剰に「何々様、ようこそいらっしゃいました」だと、消費者的。だから、そうじゃなくて、「昔の先輩が遊びに来たときの接し方」みたいな、そうやってone to oneの関係がいろんな参加者とやっていくと、気づくと参加者同士もその面で囲われ、そのなかでゆるやかになっていく。
最初に焚き火をつくるというのが結構良い。結果的にそういうフォーマットになっているんですけど、それが結構良くて。ひと家族1個ではなく、何家族かで1個の焚き火をつくる。その焚き火を、慣れてない緊張しているような家族のところに、人当たりのよい人を入れていく。すると、一気に打ち解けるということは、それぞれの人たちが意識している。

【井庭】その焚き火の時間はどんな時間なのか、どれくらいの時間でどうするのかなど、聞きたい。

【塚越】僕ら、山に上がってくるとまず焚き火を着ける。みんな慣れてる。もちろんコンディションで風が強いとかだったらやらないとかありますけど、基本的には焚き火をつける。だいたい10時くらいに集まって、そこから。焚き火をするといっても、炭もないし、薪は基本的には焚き火には使わなくて。山に入って葉っぱとか落ち枝を取ってくるんですね。拾って来て集めて、火をつけるというのが。だいたい10時開催なんで、ゆるやかに、人も来たり来ていなかったりで、徐々に集まりながら3、4家族でバラバラに木を集めて。最初は子どもが松をつけたりするんですけど、子どもは勝手に遊びに行っちゃうので、その間大人が残って火をつけたりして。

※Timestamp: 55分0秒

そのプロセスで、ちょっとずつ会話が発生している。そこから、自分たちでご飯を持って来てもらっているので、焚き火で肉を焼いたりソーセージを焼いたりして。そうやって親がなんとなく火の周りで時間を過ごしているなかで、子どもが遊んだりしていると、だんだん場がほぐれてくる。

【井庭】そうですよね。最初たぶん、焚き火を着けるという目的のために枯葉を集めるというかたちで山のいろんなところに行って、それを持ち帰ってくるわけだし。そこで分散的に、遅れた家族がいてもキャッチアップできて。それで焚き火の火を起こすという一大イベント、難しいところがあり、それに向かいつつ、火を見たり焼けたりするのを見たりしながら、見る対象があって同じ場に立って、同じ眼差しで対話ができるので、焚き火をしているキャンプ・ファイヤーを見ながら語る、みたいなモードになるんですよね。一緒にそれを見ながら、話していきながら。それが食べることにつながって、それで昼くらいですよね。そこで食べて、子どもたちが飽きるからそこらへんで遊ぶようになり、親から子どもが離れ、親は親で対話し、ということが実現されるようになる。
だから、最初に焚き火というのがあるんですね。焚き火はなんとなく、(ふつうは)夕方最後にとか暗くなってからの方が良さそうな感じがしますけどね。

【塚越】最初につけた方が、場を溶かす。すごく役に立っている。

【安藤】子どもが徐々に離れていく、というのがいいなと思って。最初は恥ずかしかったり、親も緊張して、「ここにいてね」みたいになると思うんですけど、自然と離れていくのが当たり前のようにできていく、というのが面白いなと思います。

【塚越】飽きて。でも、それでも大人って所在がないと、なんですよね。
井庭さんの仰ったように、焚き火は12時くらいまでで、「そのあと何やるの?」みたいになるので、そのための役割があることが大人にとってすごく大事なんだよね。やることがある。それがある方が自分を出しやすいという部分も多々あるなと感じていて。なので、企画的なものを一応用意しておく。秘密基地だったり、さっきの縄文竪穴式住居をつくる日、イカダをつくる日、流しそうめんをつくる日、と。
それはだから子どもというよりも、実は大人に居場所をつくるためみたいなところ、大人がもしこれだったら参加してみたいって思えるための部分が多々あるんですけども、面白そうな企画があるんで。でもそこは、ワークショップではないので、その輪に入っても入んなくてもいいということを、すごく大事にしている。
そうやっていくと、その場自体が火がくすぶっちゃって、最初企画したものまったく進まないっていうケースもあるし、そこからワッと盛り上がるケースもあるし。こっちでやってるときに、実は違う誰かが始めたこっちの何かで盛り上がってそっちにみんなの意識が集中するとかあるし。三つくらい、そういうちっちゃな柱ができて、それぞれがそれぞれのところで活動してるみたいなこともあるし。そこはもう、まさしく委ねる。そのときに置いてきぼりになる人がいなくて、大人と子どもがそれぞれの場で楽しく過ごしてるっていう面ができ上がってることを、スタッフがフワッと感じられると「あぁ、今日良い場だな」て感じですね。

【井庭】その、役割とかやることがあるほうが大人はリラックスできて、自分らしくいれるのは分かる気がして。昔、子どもが通っていた学童が結構みんなで学童をつくっていこうって感じだったんですね。そうなると餅つき大会ありますとか、何々をやりますっていうと親がやるんですね。もちろん先生もいるんですけど、それで、焼き鳥焼いたり、向こうでお餅ついてたりって、そこにいながらビール飲みながら、昼から飲みながら焼き鳥を焼く担当に、お父さん同士3人ぐらいで。何もなくてただ向こうで話してると、話さなくなって、子どもの近くに行ったりしてなにかやりづらいんだけど。何かそういう役割の同じ人同士で話したり、それやりながら何か話したりするからその方がやりやすいっていうのはありますよね。

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