「正解はない」が「正解ではない」

長いこと書かずに日々を過ごしてしまいました…

ライフスタイルが変化したり、いろいろありました…

とりあえず、最近感じたことをまとめていこうと思います。

最近、職場で指導していただく機会が増えまして。

教えてもらう→理解する→実行する→振り返る(いい点、悪い点、疑問点を洗い出す、改善点を考えるなど)→実行する・・・という流れで、仕事を自分の中に落とし込んでいくことで、納得のいく仕事ができると私は考えているので、指導=教えてもらえる環境があるということは、私にとってはうれしいことです。

嬉しいことですが…なんとここにも、もやっとポイントがありました…

皆さんは聞いたことないですか?

「正解はないんだから」
「間違いはないんだから」


うーん…そうなの…?正解、ないの…?ないのかもしれないけど…なんか…

ってなってしまう私。

教えてくださる方からすれば「やり方はひとそれぞれ」、「失敗を恐れる前にとにかく行動することが大切」という意味合いもあるかもしれませんし、私を安心させようとしてくださっているのかもしれませんが…

私から言わせていただくと「納得できないことをおいそれと行動できるわけがない」です。私だけでしょうか…

「やってみて初めて分かることもある」

そいうこともありますよね。分かります。ですがそれは、「理解しないままやってみてもいい」ということではないはずです。

「理解してやってみる」ということに意味があるはずなんです。

理解しているか、理解していないか。それは行動した後が、全く違うと思います。

理解しているなら、「○○という原因でうまくいかなかった」「△△という要素があったから□□という変化があった」という次回につながる学びを得たり、「なるほど、こういうことだったのか」と実感を得たりすることができるでしょう。

理解していないなら、「とりあえずやってみたけど…多分、○○が原因かな」「言われた通りやったけど、うまくいかなかったな」という不安が残る学びであったり、漠然と行動してみたという結果だけが残ったりするかもしれません。

こんなに違うなら、私はきちんと理解して、行動に移したいと思うんです。

「教える」ということは、とても難しいことです。

「教えること」を専門にしている人でなければ、1人ひとりにあった指導は難しいでしょう。

私は教えてもらいたい、学びたいと感じているのですが、それを提供してくれる人が身近にはなかなかいない…

何とも歯がゆいです…

私が言いたいのは、指導は、「正解はない」「間違いはない」で終わらせるのではなく、理解まで落とし込むことが重要ではないだろうかということです。

つまり、指導、教育という場面で「正解はない」は、「正解ではない」ということです。(言葉遊びのようになってしまいました。ニュアンスの違いかな…)

私も少しずつではありますが、キャリアを積んできましたので、教えてもらうばかりではなく、教える立場になることも今後はあるかもしれません。

そんなときに、今回のもやもやを活かせたらと思い、今日も学びに勤しんで参ります。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
あなたの目に留まったご縁に感謝して。
✳︎i-kish✳︎

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