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OG-107ベイカーパンツ:戦争と衣服の関係性を踏まえてPart1

初めに

お久しぶりです。Ib2のオーナーです。かなり久しぶりにnoteを使う気がします。なんせ、最近は1300kg分の服の写真撮影などで毎日多忙でして、他の業務が全く手がつけられていませんでした。。。。

できる限り、Noteにて服の歴史とファッションについての記載をしていきたいので、これからもお付き合いいただければと思います。

さて、今回は新しく仕入れてきたミリタリーたちとファッションの関係性について紹介していきたいと思っています。今回は、その第一弾と称し、上記のテーマのような壮大なネーミングとなってしまいました。

それでは、本題へどうぞ。

今回はOG107についての歴史紹介と、ミリタリーファッションについてです。

OG107について

OG-107ベイカーパンツは、アメリカ軍の制服としてその名を馳せた歴史的なアイテムです。朝鮮戦争からベトナム戦争に至るまで、その耐久性と機能性により、兵士たちの信頼を集めました。

今回は、OG-107ベイカーパンツの歴史と戦争との深い関わりについて詳しく探ります。


朝鮮戦争

朝鮮戦争(1950-1953)は、韓国と北朝鮮の対立がエスカレートし、冷戦の一環として勃発しました。この戦争は極めて残酷で、軍事的および民間人を含む数百万人の死者を出しました。戦争は過酷な気候条件の中で行われ、特に冬の寒さは兵士たちにとって苛酷な試練となりました。都市や村が無差別に爆撃され、多くのインフラが破壊されました。また、捕虜の虐待や処刑が頻繁に行われ、双方の軍隊および民間人に多大な苦痛をもたらしたと言われています。


空襲を受けた現在の平壌

戦闘の激しさに加え、物資の不足や避難民の大量発生が人道的危機を引き起こし、数多くの家庭が分断されました。朝鮮半島は戦争によって荒廃し、その後の復興にも長い時間を要しました。戦争の終結後も正式な平和条約は結ばれず、南北の分断は現在に至るまで続いており、地域の緊張を保ち続けています。


38度線を超える金正恩

補足ですが、私たちは今、昔話をしています。1950年代の話。しかし、この上記の写真は、北朝鮮の首脳が初めて韓国領土に足を踏み入れる歴史的な瞬間の写真です。

1950年に始まった戦争は、ようやく2020年に小さな一歩を踏み出すことができました。

戦争はまだ終わっていないですが、着実に平和な未来に進んでいると信じたいものです。


朝鮮戦争とOG-107の誕生


1952年の導入 朝鮮戦争の最中であった1952年、アメリカ軍は新たなユニフォームとしてOG-107を導入しました。寒冷な朝鮮半島の厳しい環境に適応するために設計されたこのパンツは、その堅牢さと実用性で高い評価を受けました。兵士たちは、過酷な戦闘や移動の中でも、このパンツの耐久性に頼りながら戦いました。

話が変わりますが、M51モッズコートやM51パンツも朝鮮戦争の時期ですね。
しかし、M51カーゴパンツは戦闘用、モッズコートは極寒地用です。


M51を着たイギリス人たち

そういえば、一年ほど前に、韓国に行った時の話なんですが、韓国って私たちが思っている以上に冬って寒いんですよね。よくある話だと、青森県民は、雪がたくさん降るから寒さに強いように思えますが、東京の冬の風はしんどくて耐えられない、ってやつと一緒ですね。そういえば、韓国はお酒が安いです。もう一度行ってみたい。。。。

140円のソジュ(チャミスル)



閑話休題



ベトナム戦争とOG-107の進化


1960年代の変遷 ベトナム戦争が本格化する中、OG-107ベイカーパンツも進化を遂げました。湿潤で熱帯気候の南ベトナムでは、ジャングルファティーグスが主流となり始めましたが、それでもOG-107は依然として重要な役割を果たしていました。特に1964年に導入された「タイプIII」は、ベトナム戦争中の兵士たちに広く使用されました。
タイプIからタイプIIIまでの進化

  • タイプI(1952-1963):

    • 初期のモデルで、シンプルなデザインが特徴。袖口は直線的で、ポケットフラップは長方形。ボタンは尿素ボタンの平ボタンが使用されていました。

  • タイプII(1963-1964):

    • ポケットフラップの形状が変わり、やや洗練されたデザインに。限定的な生産期間のため、タイプIやタイプIIIほどは見かけられません。

  • タイプIII(1964-1989):

    • 最も一般的なモデル。シャツのポケットフラップは尖った形状に変更され、袖口にはボタンが追加されました。また、サイズ表示も真の寸法に基づくものになり、よりフィット感が向上しました。

ここら辺は他の資料を参考に。私は紹介する必要もないので。


戦闘服とファッション

去年(2023)でしょうか。ユニクロでものすごく流行りましたよね。もう町中どこを歩いてもベイカーパンツとGUカーゴでしたよね。

UNIQLO ベイカーパンツ


さて、こうして色々な歴史背景を遡ると、このパンツの見方が変わってきますね。
なぜなら、戦争の道具が、今やファッションに落とし込まれているからです。とても興味深い一方、皮肉の効いた事実ですね。

見方を変えてみる

戦闘服は、人の命を奪う道具です。これは事実なのです。
しかし、一方で、自分の命を守るためのものでもあります。

一つの命を守るために各国が考えに考えた至高のデザインなんです。

具体的に言うならば、必要なものを必要な分だけ組み込んだデザイン性ということ。なぜなら、戦時というのは物資制限下に置かれることから、できるだけ服を多機能にしたいという願望と、戦争のコスト低減の二者のトレードオフの関係が生まれるためです。

機能美としての魅力

こうしたトレードオフの関係を見据えながら、軍服を作成するデザイナーは日々、頭を悩ませたことでしょう。

そうした中から生まれる美しさこそが、ミリタリーの魅力なのだと思います。
シンプルかつ多機能。


OG107


現代の私たちと軍服の向き合い方

私の好きな偉人の名言をここに置かせていただきます。

''Be kind, for everyone you meet is fighting a hard battle''

「親切にしなさい。人は皆、厳しい闘いをしているのだから」

Plato(プラトン)


私たちはつい、自分はなんて辛い人生を歩んでいるのか、ということを考え、親友に力説をしてしまいます。しかし、人生において戦いをしていない人など存在しないんですよね。

私たちは今日も命をかけて自己と終わりのない闘争をしているのです。そこに他者との優劣はあるのでしょうか。

私がミリタリーファッションが好きな理由はここにあります。

今日命を賭けて生きてみる。戦場の兵士のように。

そんな私にとって、ミリタリーの服は私に強さを与えてくれます。

マンガ「賭博破戒録カイジ」 ©福本伸行 / 講談社


MEMENTO MORI(死を忘れるな)

皆さんはメメントモリという言葉を知っているでしょうか。メメントモリは、ラテン語で「死を忘れるな」という意味です。この概念は、自分の死を意識することで、現在の生をより深く、豊かに生きることを考えさせてくれます。

何か、戦争とミリタリーファッションの意味との関係性がありそうです。


『メメント・モリ』、ローマ時代のモザイク

つまり、ミリタリーファッションの意義とは

皆さんお疲れ様でした。
よくここまで、私のくだらない持論にお付き合いしてくださいました。感謝です。

さて、これまでの背景を踏まえて、私がミリタリーファッションをする理由は以下の通りです。

「今を強く生きる。今日死んでもいいと思える一日を送る。ミリタリーファッションとは、その意思の表れそのものだ。」


割と自分の内にある感情を言語化して、ちゃんと論理的に考えてみたんですけど、痛いっすね。まだ22歳なので、多めにみてやってください。

そして、私の好きな偉人の言葉をもう一つだけ紹介して、終わらせていただきます。

「われわれは現在だけを耐え忍べばよい。 過去にも未来にも苦しむ必要はない。 過去はもう存在しないし、 未来はまだ存在していないのだから。」

アラン 幸福論より引用


最後に

今回は、OG107の紹介、戦闘服とファッション、ミリタリーファッションの意義について持論を展開させていただきました。

僕は、服に全く興味ない人間だったので、他の方と視点がかなり違うかもしれません。共感できないかもしれません。

もし間違っていることがあったら、教えてあげてください。むしろ、指摘や批判大歓迎です。古着の業界には、「ファッションに正解はない」という武器を盾に、言論が進んでいないように感じます。

古着の概念の Re:start  をさせたい。それが私の夢です。



参考文献


BuzzFeed News
かつて朝鮮半島は戦場だった。27枚の写真で見る韓国と北朝鮮の戦い
2017年4月17日

BuzzFeed News
南北首脳会談はなぜ歴史的なのか? 背景を解説します
2018年4月27日

画像提供
AFP=時事

ユニクロ ベイカーパンツ

©福本伸行 / 講談社
マンガ「賭博破戒録カイジ」


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