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塩田千春展を見て

三連休の初日に、森美術館でやっている塩田千春さんの展示を見てきた。

「不在のなかの存在」というのが、彼女の作品に一貫したテーマらしく、繋がりや記憶、不安など、認識はできても視覚で捉えられないものを、絵画やインスタレーションとして表現しているそう。

部屋全体を赤い糸が埋め尽くすインスタレーションは視覚的にとても強烈で、多くの人が写真を撮っていた。(私もその1人だけど)

そのなかに、作品を背景にした自分のポートレートを撮っている人もいた。笑顔だったり、糸を自分を縛る何かに見立ててポーズをとったり、そういった写真はSNS上にたくさん上がっている。重いテーマや心境を孕んで作られた作品にもかかわらず、ポートレートの背景として使われる様子を見て、鑑賞者の態度としてどうなの?作品で遊ぶなよ、と展覧会を回っている最中に少しだけイライラした。(作者からしたら余計なお世話かもしれない)


塩田さんは作品と関連した言葉も展示されていて、その中の一つがとても胸に刺さった。

数年前、ファッションについて考える講座に通っていて、その時に考えていたことを思い出した。

衣服やメイクは生身の人間ではないけど、自分の輪郭をなぞってくれるもの。だから無くてはならないし、社会に出るための橋渡しのような役割にもなる。

私が服について考えるときは、いつも上記の考えが頭にあった。結局、この考えを自分なりの作品に落とし込むことはできなかったけど、塩田さんが書かれた「皮膚」という捉え方にヒントをもらった気がした。皮膚だから自分とは切り離せないし、外界との接点にもなるんだ、と。


一緒に見に行った友達と感想を交換したら、「生きづらそうな人だね」と言っていた。

きっと、不在のなかに存在を見つけてしまう(もしくは見えてしまう)人なんだろう。でも、それを作品として表す時には、自分の感じてる恐れや不安や憂鬱感をいったん綺麗なものに置き換えていて、強い人だと思った。

また、不在のものとして表現されているものは、不安や憂鬱といった悪い感情のものだけでは無い。「つながり」もまた、作品の中で形を与えられている「不在」のものだった。もしかしたら、何かに恐怖や不安を感じるのは、その対象とのつながりを自分自身が大切に思っているからなのかもしれない。

展示会では、思い出の品や故郷、病気や子供など、作者個人のパーソナルな出来事とのつながりを表す作品も多かったけど、それでも私はその作品に込めた思いと、それを表す作品に感動することができた。

作品によって自ら社会との接点を作ったり、つながりを可視化することができる人がいる。その人が作る作品を見て、自分自身の社会との接点を見つける人がいる。そんな循環が生まれているのであれば、作品を使ってポートレートを撮ってSNSにあげる人たちも、作品から何かを感じ取り、それを社会とのつながりへと昇華させる人たちと言えるのかもしれない。


#塩田千春 #森美術館 #アート

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