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【私の専門】Herinandro faha 7

今日は、私の学問と私の心持ちのお話。

私の専問は、、

紛争解決学

昨年の9月まで、イギリスの大学院で1年間勉強していました。
聞き馴染みのない学問ですが、簡単に言うと戦争・紛争に関連するあれこれ(主に政治と外交)を学んでいました。

大学院入学当初に紛争解決学への私の心持ちを書いた下書きnoteがあったので、今日はその時の記事を抜粋して載せます。その後に、大学院を終えた今の心持ちも書きたいと思います。長くならないように努めますね。

けったいな言葉が並ぶノートが世界平和のためにありますように。(2021年9月28日)

けったいな言葉が並ぶノート

私のノートには、けったいな言葉たちが並んでいる。

The number of casualties(犠牲者の人数),Traditional conflict resolution(伝統的紛争解決), Sustainable peace(持続的な平和), liberal peace building(リベラルな平和構築)

そして、私の語彙ノートには、悲劇的な言葉が並ぶ。今は、それが机上の空論でしかないように感じている。間違いなく、その視点が欲しくてここに来たのだが、、。

しかし、気分転換に大学時代の恩師の論文を読んでみた。それはわたしをもっと悩ませた。彼女の論文はもっと現場の近くにいた。現場でのNGOワーカーに当てられる目が冷ややかさは、いたたまれない。しかし、現地の人の考えも、間違いなく理解できる。というか、そりゃ、そうだ。

紛争解決、平和構築、、

現地の人はそんなものを求めているのだろうか。私たちが苦し紛れにつけた名前のように感じる。意味がわからなくなってきた。自分が偽善者のように思えてきた。

ここから1年、どうしようもなく悩む日々が続く。わからない道を突き進んで行こうと心細げに思う。

ここが、1人の紛争解決学徒のはじまりなのであろう。

けったいな言葉が並ぶ論文を読んで書いたわけだが、、。

過去の私の心持ちはとても青臭い。
しかし、今の私が何か変わったかというと、もっと悲観的になっただけだ。

ウクライナ戦争と研究者

私が授業のプレゼン発表の日に、ウクライナとロシアの戦争が勃発した。
奇しくも、プレゼンのトピックは、
「ハンナ・アレントと全体主義について」

ヨーロッパの戦争の話をする日に、ヨーロッパで戦争が勃発するなんて、本当に皮肉だ。

このウクライナ戦争によって、「我こそは」とこぞって議論したがる研究者や学生が色めき合っていた。

「ほら、このプーチンの戦略は、前に解説したこの戦略家の理論を適用しているのだ!」

人の命が失われていく戦争をテレビゲームかなにかと勘違いしているのかと、私は困惑した。そして、戦争を研究している研究者たちは、決してこの紛争を終わらす気はないことを私は確信した。真っ当だ。戦争がなくなれば、研究対象もなくなるもの。

けったいな修士論文

私の修士論文の謝辞

修士論文は、コンゴ民主共和国の紛争関連性暴力と国連PKOの活動の相関について書いた。

統計を利用した数値的な研究だ。だが、論文を書き進めるほど、現場を見ずに、パソコンを眺めている自分に嫌気がさした。
もちろん、研究の結果は、世界が平和に向かう結果ではない。

私は紛争解決学という学問は好きだし、もっと理解を深めたい。しかし、この学問を学ぶだけでは、その先に「平和」の光は見えないことをひしひしと感じている。紛争解決学を学べば学ぶほど、この世界の複雑さややるせなさに打ちのめされる。

でも、私は諦めたくない。

私はいつでも、紛争を解決する人間でいたい。

ちゃんと、頭を動かして、体を使って、この世界の戦争を終わらせたい。

悲観の中に咲いた希望の花であり続ける。

それが今の心持ちです。
なので、協力隊の活動は今の私にぴったりかもしれません。

今日はなんだか、抽象的なわかりにくい話でした。

では、来週は任地でのお話をしようと思います。



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