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15/* 僕たちは世界を知らなすぎる

仕事で、商流の話をしていて、ふと立ち止まった。
これ、上を辿り続けたらどこまでいくんだろうか、
これ、下を遡り続けたらどこまでいくんだろうか。

仕事をする上では、顧客がここで、僕たちはここで、他にはこんな人が動いていて、ってA4一枚にまとまってしまう世界だけど、もっと大きな流れの中で考えたとき、自分は今どこに立っているんだろうか。

考えたこともなかった。

人体をお手本に考える。

例えば人間の体で例えてみると、
人体が一番大きな要素としてあって、機能するための脳みそや内臓があって、それを支える骨や筋肉があって、それを動かす血管があって、血管だって、大動脈から毛細血管まであって、その中には赤血球や白血球があって、細胞があって、染色体があって、、、、
というように、どこまでも遡ることができる。

それらは一つだって欠かすことはできないけど、染色体は人体を目の当たりにすることはできないし、血管は意識することができない。細胞が毎日、破壊と再生を繰り返しているなんて、人体は知る由もない。

じゃあ、僕たちは今どこにいるんだろうか。僕たちはまだ、世界を知らなすぎる。考えることは少し恐ろしいけど、意識しなければいけない気がしている。

人間は考える葦である

細胞と僕たち人間で大きく違うところは、意思を持つことができるということだ。「人間は考える葦である」はフランスの思想家 パスカルの言葉だけど、葦のように弱々しくとも、考えることができる。

考えることも、意思を持つことも、その人の自由だけど、僕は考える人でありたいし、その中でも意思を持つ人間でありたい。

学生のころ、背表紙が取れて紙がボロボロになるまで読み込んだ、星野智幸さんの小説『呪文』にも、同じようなことが書かれていたな。抗うことだけが勇気じゃなくて、留まり続けることだって勇気と度胸がいることなんだ。

いい本だから、紹介だけしときます。


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