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38/* カタツムリの速度

最近ラジオで、きのこ帝国の『金木犀の夜』がよく流れる。金木犀の曲つくってよ、と友達に言われて、じゃあ書いてみようかと作った曲らしい。

今日の僕にもそんなチャンスが舞い込んできて、カタツムリの日記書いてよ、と言われた。だから有り余る想像力を武器に書いてみることにした。

善きことはカタツムリの速度で進む

カタツムリと言われると、どうしたってあのヌメヌメした体と、鈍足さが思い浮かぶ。カタツムリの殻はヤドカリのようにどこかから拝借している訳ではなくて、自分自身で生成しているものだという。だとすれば、もっと外敵から守れる強靭な肉体を目指して進化できたろうよ、と思うけど、なぜだかカタツムリはカタツムリのままだ。人間の尺度で測るのは意味のないことだけど、あの鈍足さでここまで生きてこれたからには、相応の理由があるんだろう。

というかそもそも、僕はかたつむりの生態について話したいわけじゃない。軌道修正するために、唐突だと言われようがなんだろうが、ガンジーの言葉をかりることにする。

善きことはカタツムリの速度で動く。

確かに、悪きこと、はとにかく足がはやい。悪評はあっという間に拡散するし、転がり落ちる速度もとにかく早い。何年もかけて積み上げたものだって、ものの一瞬で崩れ落ちてしまうことだってある。いくら早く走ることができたって、高を括ってさぼってしまえば、カメに負けてしまうことがある。

花を咲かすまでが、

ものごとは、ある瞬間から加速度的に前進していくものだと僕は思っている。長い長い時間をかけて、考えて、悩んで、行動して、それでも結果が見えなくて、また悩んで。そんな時間は短くてすむに越したことはないんだけど、そう簡単に花を咲かせてくれるわけじゃない。

これは僕自身への慰めなのかもしれないけど。隣の芝は青く見えるように、悩んで停滞しているときは、花を咲かせた人がとてつもなく輝いて見えるし、絶望するほどその世界に憧れてしまう。そうするとどうしても、生き急ごうとしてしまう。そこで思い出すべきが、さっきのガンジーの言葉だ。

善きことはゆっく〜〜〜〜〜り動く。それは自分が進んでいるのかわからなくなるほど、ゆっく〜〜〜〜〜り、と。で、ある時にポっと花が咲く。もちろんそこで、サボってしまえば枯れていくだけなんだけど、そこからまた歩き続けることができれば、加速度的に前進していく。

満足と過信さえしなければ、僕はどこまでだって行けると信じている。


せっかくガンジーの言葉を借りたから、ついでにもう一つ。僕が一番好きな言葉を。

信念が変われば、思考も変わる
思考が変われば、言葉も変わる
言葉が変われば、行動も変わる
行動が変われば、習慣も変わる
習慣が変われば、人格も変わる
人格が変われば、運命も変わる

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